コンテンツにスキップ

「伊波伴准」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
→‎来歴: インターネット・アーカイブから拾ってくる必要はなかったので少し修正
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: Template:基礎情報 アナウンサーの引数変更 - log
21行目: 21行目:
| ジャンル = [[報道番組]]・[[情報番組]]
| ジャンル = [[報道番組]]・[[情報番組]]
| 配偶者 =
| 配偶者 =
| 家族 =
| 著名な家族 =
| 公式サイト =
| 公式サイト =
| 現在の担当番組 = <!-- 代表的なもののみ -->
| 現在の担当番組 = <!-- 代表的なもののみ -->

2019年10月1日 (火) 13:34時点における版

いは ともちか
伊波 伴准
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 沖縄県西原町
生年月日 (1973-10-22) 1973年10月22日(50歳)
血液型 A型
最終学歴 國學院大學卒業
勤務局 岩手朝日テレビ
職歴 報道制作部長
報道制作局アナウンス部長
活動期間 1996年10月 -
ジャンル 報道番組情報番組
担当番組・活動
出演経歴IATきらめきワイド
IATスーパーJチャンネル
IATスーパーJチャンネル金曜スーク。

伊波 伴准(いは ともちか、1973年10月22日[1] - )は、岩手朝日テレビ (IAT) の元アナウンサー

来歴

沖縄県中頭郡西原町出身[1]沖縄尚学高等学校國學院大學卒業[1]

大学を卒業後、1996年10月の開局を控えていた岩手朝日テレビに6月1日付で入社[1]。同期に元同局アナウンサーの西村正行山田美保土岐聡子、高橋香有がいる。

2006年9月、開局から10年間キャスターを務めてきた夕方のニュースワイドを卒業。ニュースデスクとなり、以後は取材とニュースの取りまとめが業務の中心となる[2]。ただし、アナウンス業務もナレーションを主体にして続けていた。

その後は報道制作部長、報道制作部アナウンス部長を歴任[3][4]。また、自社制作番組のプロデューサーを務めることもある[5]

担当番組

脚注

  1. ^ a b c d アナウンサー紹介: 伊波 伴准”. 岩手朝日テレビ. 2003年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月21日閲覧。
  2. ^ 改めて10年”. 20061023の雑感: 伊波 伴准 (2006年10月23日). 2019年6月22日閲覧。
  3. ^ 第156回 放送番組審議会議事録” (PDF). 岩手朝日テレビ. p. 1 (2012年3月29日). 2019年6月21日閲覧。
  4. ^ 第206回 放送番組審議会議事録” (PDF). 岩手朝日テレビ. p. 2 (2017年3月29日). 2019年6月21日閲覧。
  5. ^ 特別番組 > 18歳 2人の夢〜甲子園がくれた未来〜”. 岩手朝日テレビ (2014年12月23日). 2019年6月21日閲覧。
  6. ^ a b 「ぶらり伊波」”. 心のアーカイブ (2011年10月12日). 2019年6月21日閲覧。

外部リンク