コンテンツにスキップ

「チョン・ヒョンギュ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
全宰厚 (会話 | 投稿記録)
日本統治時代の安辺郡は咸鏡南道。
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: Template:基礎情報 アナウンサーの引数変更 - log
21行目: 21行目:
| ジャンル =
| ジャンル =
| 配偶者 =
| 配偶者 =
| 家族 =
| 著名な家族 =
| 公式サイト =
| 公式サイト =
| 現在の出演番組 = <!-- 代表的なもののみ -->
| 現在の出演番組 = <!-- 代表的なもののみ -->

2019年10月1日 (火) 14:53時点における版

チョン・ヒョンギュ
전 형규
プロフィール
出身地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡南道 (日本統治時代)(現在江原道)安辺郡
国籍 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
生年月日 (1934-08-28) 1934年8月28日
没年月日 (2006-09-06) 2006年9月6日(72歳没)
勤務局 朝鮮中央放送
担当番組・活動
チョン・ヒョンギュ
各種表記
ハングル 전 형규
漢字 田 亨奎
発音: チョン・ヒョンギュ
日本語読み: ちょん・ひょんぎゅ
テンプレートを表示

田 亨奎[1]チョン・ヒョンギュ朝鮮語: 전 형규1934年8月28日[1] - 2006年9月6日[2])は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の男性アナウンサー

朝鮮中央放送所属。北朝鮮において高位のアナウンサーを意味する “人民放送員” の称号を持つ。

略歴

江原道安辺郡出身。1950年元山工業専門学校を卒業、1965年平壌師範大学を卒業した[1]朝鮮戦争中の1951年3月から咸鏡南道咸興市鉄道局で働き始める[1]。同年4月、咸興市鉄道局で鉄道復旧の展示鉄道輸送の任務を引き受けた。1954年3月から咸興市鉄道局指導員、1955年3月からは鉄道局指導員として勤務する。

1956年5月1日朝鮮中央放送委員会アナウンサーに抜擢[1][2]1963年3月3日朝鮮中央テレビジョン放送開始時より生涯アナウンサーとして活動した[1][2]

北朝鮮政府朝鮮労働党)の発表、主要国との首脳会談などの重要なニュースの大部分を担当し、朝鮮中央放送の中でも特に優れたアナウンサーであった。政府・政治関連の報道・中継をはじめ、歌のコンテスト、スポーツ競技中継など多種多様な番組の進行を務め、視聴者から高い人気を得た。1981年人民放送員” の称号を、1995年勞力英雄” を受章[1][2]

1994年7月9日正午金日成死去を伝える臨時報道にて第1報を担当したが、その際「泣きながら報道しなかった」という “不敬” を理由に左遷された。

2006年死去。72歳没。朝鮮中央放送は、彼の没後に金正日総書記花束を贈ったと報道している[3]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 북한지역정보넷 - 전형규” [北朝鮮地域情報ネット - チョン・ヒョンギュ] (朝鮮語). 平和問題研究所평화문제연구소). 2017年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月30日閲覧。
  2. ^ a b c d 北 최고 아나운서 전형규 사망(종합)” [北の最高アナウンサー チョン・ヒョンギュ死去(総合)] (朝鮮語). 연합뉴스(聯合ニュース). 2006年9月8日閲覧。
  3. ^ 北朝鮮のトップアナウンサー、チョン・ヒョンギュ氏が死亡”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞 (2006年9月26日). 2018年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月11日閲覧。