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| 公式サイト = [http://www.ikushimakikaku.co.jp/kousaka-rika/ 生島企画室]
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2019年10月1日 (火) 18:36時点における版

こうさか りか
幸坂 理加
プロフィール
出身地 日本の旗 日本秋田県能代市
生年月日 (1988-05-13) 1988年5月13日(36歳)
血液型 O型
最終学歴 法政大学
所属事務所 生島企画室
職歴 秋田放送
(2011年 - 2019年3月)
→生島企画室
(2019年4月 - )
活動期間 2011年 -
ジャンル パーソナリティ
公式サイト 生島企画室
出演番組・活動
出演中 ACTION
出演経歴 本文参照

幸坂 理加(こうさか りか、1988年5月13日 - )は、生島企画室に所属するフリーアナウンサーで、元・秋田放送(ABS)アナウンサー

人物

秋田県能代市の出身で、血液型はO型[1]、身長は160cm[1]。自身の思春期(中学生時代から高校生時代)にABSのアナウンサーとして活動していた伊藤綾子への憧れから、アナウンサーの道を志した[2]

秋田県立能代高等学校から法政大学へ進学。大学卒業後の2011年に、アナウンサーとしてABSに入社した[1]。同期入社のアナウンサーは八重樫葵2018年3月31日付で退社、現福島テレビアナウンサー)[3]。幸坂が後に述懐したところによれば、ABSでは2011年度にアナウンサーを1名だけ採用する予定だったが、追加採用扱いで入社に漕ぎ着けられたという[2]

ABSへの入社後は、記者やテレビ・ラジオ番組のディレクターを兼務。パーソナリティを務めるラジオの収録番組で、収録後の音源を放送用に自身で編集することもあった[2]。アナウンサーとしては、2012年4月2日から2016年11月4日まで、当時『ABS news every.』(テレビ)で放送されていた「ヤン坊マー坊天気予報」で気象キャスターを務めた[4]。さらに、2016年10月31日から2018年12月28日までは、同番組のメインキャスターを担当(最初の1週間のみ気象キャスターを兼務)した。

その一方で、2016年9月13日火曜日)には、『情報ライブ ミヤネ屋』(ABSでも放送される読売テレビ制作の全国ネット番組)に出演。本来のアシスタントである林マオ(読売テレビアナウンサー)の夏季休暇に伴う代演で、宮根誠司と共に司会を務めた。この時には、書道10段であることや、祖母が栽培した重さ12kgのスイカを30分で完食した経験があることなどを明かしている。

ABSではテレビ・ラジオを通じてスポーツ関連の取材も任されていたが、2019年3月16日付で同局を退社した。「(同年の誕生日で)30代を迎える前に自分を見詰め直したい」との思いが高じての決断だったことから、退社の前後には、放送以外の業種へ転じることも検討していた。しかし、法政大学の学生時代に生活していた東京での就職活動中に生島企画室社長の生島隆(前述の八重樫と同じ宮城県出身で生島ヒロシの実弟、生島淳の実兄)を紹介されたことから、東京でフリーアナウンサーとして活動することを決意。同月19日から同社に所属すると、4月1日月曜日)から『ACTION』(TBSラジオが同日から平日の夕方に放送中の生ワイド番組)の全曜日でアシスタントを務めている。幸坂によれば、アシスタントを選ぶオーディションに欠員が出たことを生島企画室への所属当日に知らされたことから、翌日(3月20日)開催のオーディションへ急遽参加したところ採用へ至ったという[2]

ちなみに、フリーアナウンサーへの転身後に初めて臨んだ『ACTION』の制作発表記者会見では、堀井美香TBSテレビのアナウンサーで自身と同じく秋田県の出身で大学の先輩)の質問に対して、「名前(幸坂)の通り、今は幸せの絶頂にいる。秋田では(同番組で共演するパーソナリティ陣のような)素晴らしい方々とお仕事をする機会はなかなか無いので、『東京ってすごいなあ』と思った。『(勇気を出してABSの)正社員を辞めて良かったな』と感じている」というコメントを残した[5]。その一方で、ABSのアナウンサーや『ACTION』のアシスタントへ採用されるまでの経緯(前述)を背景に、「(人生には)運(の良さ)以外に大事なこともあるが、自分は運だけで(人生の節目を)生きてきた」とも語っている[2]

担当番組

フリーアナウンサー時代

秋田放送時代

テレビ

ラジオ

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 幸坂理加 ABS ANNOUNCER PROFILE”. ABS秋田放送. 2016年5月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e 幸坂理加アナ8年ぶり東京 秋田放送で何でもやった”. 日刊スポーツ (2019年5月10日). 2019年5月10日閲覧。
  3. ^ 八重樫葵 ABS ANNOUNCER PROFILE”. ABS秋田放送. 2016年5月28日閲覧。
  4. ^ 前々身番組の『プラス1あきた』では、当時ABSに勤務していた伊藤が、最後期の気象キャスターを担当。幼少期にその姿をテレビで見ていたことが、伊藤への憧れやABSアナウンサー採用試験への受験につながったという(参照)。
  5. ^ 幸坂理加アナ TBSラジオで大抜てき”. 東京スポーツ. 2019年3月19日閲覧。
  6. ^ ごくじょうラジオ”. ABS秋田放送. 2016年5月28日閲覧。
  7. ^ 幸坂理加のCheer HAPPINETS!”. ABS秋田放送. 2016年5月28日閲覧。
  8. ^ ランチリクエスト”. ABS秋田放送. 2016年5月28日閲覧。
  9. ^ なんてったって日曜はスポーツ!”. ABS秋田放送. 2016年5月28日閲覧。

外部リンク