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* [[告発〜国選弁護人]](2011年)
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* [[13歳のハローワーク (テレビドラマ)|13歳のハローワーク]](2012年)
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* [[必殺仕事人2012]](2012年)
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** [[必殺仕事人2013]](2013年)
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2019年10月4日 (金) 08:57時点における版

うちやま さとこ
内山 聖子
生年月日 (1965-03-04) 1965年3月4日(59歳)
出身地 福岡県北九州市
国籍 日本の旗 日本
学歴 津田塾大学英文学科
職業 テレビプロデューサー
所属 テレビ朝日
活動期間 1988年 -

内山 聖子(うちやま さとこ、1965年3月4日 - )は、日本テレビプロデューサーである。株式会社テレビ朝日社員。

経歴・人物

福岡県北九州市出身[1]福岡県立八幡高等学校[2]を経て津田塾大学英文学科卒業。

大学時代は教員志望であったが、教育実習を行っている間に各社の就職試験が終わっており、わずかに残ったテレビ朝日の就職試験を本人曰く「記念受験のつもりで受けた」ところ、合格したために1988年度新入社員として入社した[3]

テレビ朝日入社後、秘書室に配属[4][3]、1993年から1994年にかけて制作局ドラマ部に異動となる[4][3]

内山がドラマ制作現場に配属された当時、女性の現場スタッフは内山ひとりという状況であり、毎クール馬車馬の如くアシスタントプロデューサーを務めていたことを語っている[3]

1995年よりプロデューサーに昇格。テレビ朝日では前身のNETテレビ時代を含めても初の女性ドラマプロデューサーであった[5]。以後数々の作品を手掛ける。

自身が北九州市出身であり、同郷の大作家である松本清張の作品を全て読破していたこともあって、清張作品を手掛けたいと思っていた時に米倉涼子主演ドラマ製作と、清張作品の『黒革の手帖』のドラマ化の話が同時に来たため、「米倉さんで『黒革の手帖』をやってみたらどうだろう」と思いつき、2004年に米倉主演の『黒革の手帖』を制作[1]。これが大ヒットとなり、これ以後、内山と米倉のコンビで数々の作品を世に送り出すと共にこれが評価されて2012年度の放送ウーマン賞を受賞した[6]

現在は総合編成局ドラマ制作部ゼネラルプロデューサーを務めている[5]

担当作品

プロデュース

テレビドラマ
映画

ゼネラルプロデュース

エグゼクティブプロデュース

賞詞

脚注