コンテンツにスキップ

「あんどうゆみこ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
そらたこ (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
1行目: 1行目:
{{改名提案|あんどうゆみこ|date=2019年10月23日 (水) 22:09 (UTC)}}
{{複数の問題
{{複数の問題
| 宣伝 = 2018年9月
| 宣伝 = 2018年9月

2019年10月23日 (水) 22:09時点における版

安東由美子
出生名 未公表
別名 あんゆみ
出身地 日本の旗 広島県広島市
ジャンル 歌謡曲
職業

シンガーソングライター

ラジオパーソナリティ[1]
担当楽器 ボーカル
アコースティックギター(2015年 - )
ブルースハープ(2016年 - )[2]
ピアノ(2017年 - )
活動期間 2010年 - 2012年10月(ラジオレギュラーのみ2013年3月まで)
2014年7月 - 2017年11月
2018年8月-2018年12月
レーベル MAAN RECORDS
公式サイト 安東由美子オフィシャルサイト

安東 由美子(あんどう ゆみこ、3月15日生まれ)は、日本の元シンガーソングライターラジオパーソナリティ[3]

安東由美子は活動名であり、本名(旧姓、結婚後共に)と年齢は非公開。広島県広島市出身。血液型AB型。身長155センチ[4]

既婚者でコンサートPAの男性と結婚している。ブログにて、上京時から共にしていたこと、年齢差が大きいことを公表。親友が夫婦になったような関係だと表現している[5]

2011年9月7日「平凡ガール」でデビュー。2013年3月活動を引退、2014年7月に復帰。

2017年11月に慢性硬膜下血腫の診断を受け、ラジオレギュラー番組を休止させ、制作中であったフルアルバム「私の事情」(仮タイトル)も一旦中止していたが、手術、静養を経て、2018年7月20日のブログにて、8月より約10ヶ月ぶりに活動を復帰したが、[6][7]

2018年12月24日のオフィシャルブログにて、音楽と会社員の両立は難しく、会社員として会計、税務に専念する為、また家族との時間を優先する事も熟慮し、2018年をもって安東由美子としての活動終了を報告した。 [8]

人物

趣味はライブ鑑賞、靴下とワンピース集め[9]

小学生の頃から元プロ野球選手の落合博満のファン[10]

音楽プロダクションで、経理を担当していた。音楽に目覚めたのは、中学時代。歳の離れた姉の影響で歌謡曲に夢中になる。なかでも1980年代の楽曲を好んでいる[11]

人とのつながり方は、直接会ったりまた電話や手紙を大切にしている観点から、SNSは開設していない(twitterのみスタッフアカウントはある)。ブログのみ自身で更新している[12]

来歴

高校卒業後、広島から上京。音楽プロダクションに入社。

学生時代はテニス一筋で、広島県大会で2位の成績を残した[13]


OL時代に先輩の他界をきっかけに、曲を制作。

音楽知識、楽器経験もないため作曲はアカペラで制作する。

これをきっかけに、曲を制作するようになりデビューを決意した[14]

制作した曲はジャンルなど意識しないで作っていたが、周りから昭和歌謡のようだと言われ歌謡曲を制作している事に気付いた[15]

デビューを決意した際、提供曲は受けない事を自ら前提としている[16]

楽曲制作は詞先である。デビュー時から譜面がほぼ書けない為、アカペラで作曲後はミュージシャンにコードを付けてもらう。その際、独自のリクエストをする為、ピアノを少し使う[17]

2011年9月「平凡ガール」で全国デビュー。2ndシングル「ホームランは狙わない」(佐久間正英プロデュース)がUSENのチャート上位にランクインされ、またベイエフエムのプッシュ楽曲の一曲に選ばれる。3rdシングルの「一ヶ月」リリース。また2ndシングルと同様、ベイエフエムのプッシュ楽曲の一曲に選ばれる。フリーライブを積極的に行っていた。

OL時代ライブハウスに通っている時期に古田たかしとも親しくなり、安東自身が音楽活動を開始してライブを行うようになってから2012年の一時活動引退まで古田はバンドマスターを担った。

2016年の活動復帰作品から、プロデューサーを離れ、セルフプロデュースに移行。編曲も手がけるようになった[18]

2011年安藤優美(HFMのラジオ出演のみ)、YUMIKOの名義と幾度か名前を変えて活動していたが、2015年10月にデビュー当初の安東由美子名義に戻している。


デビュー前から各局で、ラジオパーソナリティを担当。2017年の病気で活動休止前は、2局同時に番組を持っていた。

台本はなく、ゲストも基本呼ばない姿勢で、フリートークを得意とする。ラジオでのみ自由奔放なトークを展開していた[19]

影響

影響されたアーティストは、寺尾聰の他に、YO-KINGスピッツの草野マサムネ、堀内孝雄柴田淳GOING UNDER GROUNDの中澤寛規、THE ALFEEの坂崎幸之助を尊敬し、ライブに度々通っている旨をブログで綴っている。また、YO-KINGの影響で2016年よりブルースハープを始め、同じくGOING UNDER GROUNDの中澤寛規、THE ALFEEの坂崎幸之助の影響で2015年よりアコースティックギターを始めた[20]

音楽業界でOLをしていた経緯と、ライブに通いつめていた経緯から知り合いを通じ、憧れであった、寺尾聰、YO-KING、GOING UNDER GROUNDの中澤寛規、柴田淳とはライブ楽屋などで対面を果たしている[21][22]

活動履歴

  • 2010年 - 作詞・作曲を開始。都内ライブハウスを拠点に月に1本のペースでライブを行う。
  • 2011年 - ライブハウスでの活動と並行して、路上ライブ活動を始める。
  • 2011年5月 - 同年3月11日に発生した東日本大震災の惨状を受け、独自で支援活動を開始。「あんゆみらい基金」と題し、チャリティーライブを不定期ではあるが開始した。その際の名義は「安東由美子with古田たかし」とし、チャリティーライブの際はこの名義で出演していた(活動引退の2012年までアーティストを招き定期的に自主企画ライブを行っていた)
  • 2011年9月 - 「平凡ガール」でデビュー。
  • 2011年10月 - 泉谷しげるらが主体となった石巻での被災地支援イベントに、当初手伝いとして参加をと志願したところ、参加者の嘉門達夫の計らいでオープニングアクトとして出演し、デビュー後すぐ大先輩アーティスト達と共演を果たしている[23]
  • 2012年3月15日 - 初のワンマン&バースデーライブを渋谷7thFloorにて行う。
  • 2012年4月 - 佐久間正英プロデュースの2ndシングル「ホームランは狙わない」を発売。USEN上位にランクインした。bayfmで番組が開始、同時に同曲がプッシュ曲に選ばれる。
    • 2012年初め、47都道府県フリーライブを決行する旨を発表。毎週末は地方でフリーライブを行った。
  • 2012年6月16日 - 初のホールコンサートを渋谷 Mt.RAINIERHALL PLEASURE PLEASUREで行った。

[24]

  • 2012年7月 - 3rdシングル「一ヶ月」を発売。
  • 2012年9月6日- 2度目のワンマンライブとなる、デビュー1周年ライブを渋谷duo music exchangeで公演。
  • 2012年9月- 1stアルバム「年齢制限」発売。
  • 2012年10月 - HFMのレギュラー以外の活動を引退する旨を発表。
  • 2013年6月 - 全ての活動の引退を正式に発表した。
  • 2014年7月 - ライブ等全ての活動再開を2年ぶりに再開することを発表。
  • 2016年5月 - 初のセルフプロデュースとなる4年ぶりのリリースであるアコースティックミニアルバム「スポットライト」を発売。編曲も手がけている。

病気による活動停止

デビュー約1年後の2012年の引退の理由はうつ病、パニック障害であった事を告白している。活動再開後、2017年3月に再発し、無期限活動停止をしている。病気中は音楽に一切触れられない程悪化し、外出さえも出来ない時期があった。家族の支えで完治し、2017年6月に復帰。

また、病気への理解が増えれば、病気に苦しむ人が少しでも救われると、自身の体験を経てコメントしている[25][26]

2017年11月に体調の異変を感じ検査を受けた際、慢性硬膜下血腫の診断を受け、手術、静養の為再び活動停止中であったが、2018年7月20日のオフィシャルブログにて、完治し、8月より約10ヶ月ぶりに復帰した[27]

主なライブサポートメンバー

ディスコグラフィ

シングル

  • 平凡ガール(2011年9月7日) - 作詞・作曲:安東由美子
    • (C/W)14才
  • ホームランは狙わない(2012年4月25日) - 作詞・作曲:安東由美子 / プロデュース:佐久間正英
    • (C/W)9月の風
  • 一ヶ月(2012年7月25日) - 作詞・作曲:安東由美子
    • (C/W)はんぶんこ

ミニアルバム

  • スポットライト(2016年5月14日) - 作詞・作曲・編曲・プロデュース:安東由美子

アルバム

  • 年齢制限(2012年9月19日) - 全作詞・作曲:安東由美子

出演

ラジオレギュラー

  • 安東由美子と根岸孝旨のえいや〜!(2011年5月 - 2011年8月、エフエム世田谷
  • 安東由美子と根岸孝旨のよ〜いどん!(2011年9月 - 2012年3月、エフエム世田谷)
  • 安東由美子の「木曜日の電話」(2012年4月 - 2012年12月、ベイエフエム)
  • 安藤優美の年齢制限なし★(2013年2月3日 - 3月24日HFM)※体調不良により2013年3月24日放送分をもって休止。この番組のみ安藤優美名義で出演した。
  • 安東由美子のざっくばらん!(2016年10月 - 2017年10月、wbs和歌山放送)
  • 安東由美子の月にナイショ(2017年4月4日 - 2017年11月(休止中)、FM-FUJI

インターネットTVレギュラー

  • 「安東由美子の願はくば」(2012年4月 - 2012年6月30日、あっ!とおどろく放送局) ※同局の閉局(新局立ち上げ)に伴い番組も終了した。

脚注

  1. ^ 公式サイトより
  2. ^ 公式サイトより
  3. ^ 公式サイトより
  4. ^ 公式サイトより
  5. ^ 安東由美子が昨年離婚した男性と再婚”. 音楽ナタリー. 2017年7月28日閲覧。
  6. ^ 安東由美子が慢性硬膜下血腫と診断「戦い抜いて強くなりたい」”. 音楽ナタリー. 2017年12月10日閲覧。
  7. ^ 安東由美子オフィシャルブログ「平凡ガール」”. 2018年7月20日閲覧。
  8. ^ 安東由美子オフィシャルブログ「平凡ガール」”. 2018年12月24日閲覧。
  9. ^ 公式サイトより
  10. ^ 安東由美子インタビュー「ホームランは狙わない”. hotexpress. 2018年7月2日閲覧。
  11. ^ 安東由美子インタビュー「OLからシンガーへ転身 私が歌い始めた理由」”. 音楽ナタリー. 2018年7月23日閲覧。
  12. ^ 安東由美子活動復帰インタビュー「2度と戻れないと思った音楽の世界へ」”. 音楽ナタリー. 2018年7月23日閲覧。
  13. ^ 公式サイトより
  14. ^ 安東由美子インタビュー「OLからシンガーへ転身 私が歌い始めた理由」”. 音楽ナタリー. 2018年7月23日閲覧。
  15. ^ 安東由美子インタビュー「踏み出す勇気に年齢制限はない 遅咲きシンガー1stアルバム完成」”. 音楽ナタリー. 2018年9月14日閲覧。
  16. ^ 公式サイトより
  17. ^ 安東由美子うつ病とパニック障害を乗り越え、2度と戻れないと思っていた音楽の世界に”. 音楽ナタリー. 2018年8月20日閲覧。
  18. ^ 安東由美子「復帰後初CDはスポットライト”. 音楽ナタリー. 2017年7月28日閲覧。
  19. ^ 安東由美子うつ病とパニック障害を乗り越え、2度と戻れないと思っていた音楽の世界に”. 音楽ナタリー. 2018年8月20日閲覧。
  20. ^ 公式サイトより
  21. ^ 安東由美子インタビュー「OLからシンガーへ転身 私が歌い始めた理由」”. 音楽ナタリー. 2018年7月23日閲覧。
  22. ^ 安東由美子オフィシャルブログ「平凡ガール」”. 2018年9月21日閲覧。
  23. ^ 矢野きよ実、嘉門達夫、泉谷しげると共演
  24. ^ 安東由美子インタビュー「ホームランは狙わない”. hotexpress. 2018年7月2日閲覧。
  25. ^ 安東由美子うつ病とパニック障害を乗り越え、2度と戻れないと思っていた音楽の世界に”. 音楽ナタリー. 2018年7月4日閲覧。
  26. ^ 病気療養の安東由美子がライブ活動を再開”. 音楽ナタリー. 2017年4月27日閲覧。
  27. ^ 病気療養の安東由美子がライブ活動を再開”. 音楽ナタリー. 2017年4月27日閲覧。

外部リンク