「ロッド・ペリー」の版間の差分
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[[フレズノシティカレッジ]]から[[コロラド大学]]に編入、最終学年に[[ビッグ・エイト・カンファレンス]]のオールチーム及びオールアメリカンに選ばれた<ref name="oregonlive">{{cite web|url=http://www.oregonlive.com/beavers/index.ssf/2012/02/oregon_state_hires_rod_perry_a.html |title=Oregon State hires Rod Perry as secondary coach |publisher=Oregonian Sports |date=2012-02-14 |accessdate=2014-01-12 }}</ref>。 |
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2019年10月30日 (水) 12:29時点における版
Rod Perry | |||||||||
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基本情報 | |||||||||
ポジション | コーナーバック | ||||||||
生年月日 | 1953年9月11日(70歳) | ||||||||
出身地 |
![]() | ||||||||
身長: | 5' 9" =約175.3cm | ||||||||
体重: | 178 lb =約80.7kg | ||||||||
経歴 | |||||||||
大学 | コロラド大学 | ||||||||
NFLドラフト | 1975年 - 4巡目全体98位 | ||||||||
初出場年 | 1975年 | ||||||||
初出場チーム | ロサンゼルス・ラムズ | ||||||||
所属歴 | |||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||
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NFL 通算成績 | |||||||||
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Player stats at PFR |
ロッド・ペリー(Rod Perry 1953年9月11日- )はカリフォルニア州フレズノ出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはコーナーバック。
経歴
選手時代
フレズノシティカレッジからコロラド大学に編入、最終学年にビッグ・エイト・カンファレンスのオールチーム及びオールアメリカンに選ばれた[1]。
1975年のNFLドラフト4巡でロサンゼルス・ラムズに指名された。1978年、1980年にプロボウルに選出された。
1979年シーズン、チームは第14回スーパーボウルに進出、彼も先発出場している[1]。この試合で彼は第4Q、ラムズが19-17でリードし、ピッツバーグ・スティーラーズの第3ダウン8ヤード、敵陣27ヤードからのプレーで、ストロングセイフティがアウトサイドのレシーバーをマークしたことから、身長では5インチ高いジョン・ストールワースと1対1になり、自陣34ヤード地点でのレシーブを許し、そのまま34ヤードを走られ、73ヤードの逆転TDレシーブを許した[2]。さらに自陣22ヤードまで攻め込まれた後、パスインターフェアランスの反則で21ヤードの罰退となり、続くプレーでフランコ・ハリスに1ヤードのTDランを許し、チームは19-31で敗れた[3]。
ラムズでは1982年までプレーし、28インターセプトをあげた。彼はラムズの40周年記念チームに選ばれている[4]。
1983年、1984年はクリーブランド・ブラウンズでプレーし、2インターセプトをあげた[4]。
コーチ時代
現役引退後、1985年にコロンビア大学のコーチに就任、1986年には母校のフレズノシティカレッジのコーチとなった。1987年、1988年はフレズノ州立大学のコーチを務めた[1]。
シアトル・シーホークス(1989年-1991年)でNFLコーチのキャリアをスタート、ロサンゼルス・ラムズ(1992年-1994年)、ヒューストン・オイラーズ(1995年-1996年)、サンディエゴ・チャージャーズ(1997年-2001年)、カロライナ・パンサーズ(2002年-2006年)、インディアナポリス・コルツ(2007年から2011年)でセカンダリーコーチ、ディフェンシブバックコーチなどを務めた[1]。
オイラーズのコーチ時代の1995年にはダリル・ルイス、ブレイン・ビショップがプロボウルに選ばれた。チャージャーズのコーチ時代の1998年、トータルディフェンスで1位、ロドニー・ハリソンがプロボウルに選ばれた。2001年にはハリソンとライアン・マクニールがプロボウルに選ばれた[4]。
パンサーズのコーチに加入して最初の2シーズン、チームのコーナーバックはNFL全チーム中唯一2人ともドラフト外入団選手であったがパスディフェンスで2シーズンとも10位以内に入った。2004年にチームはフランチャイズ記録となる26インターセプトをあげた。また2006年にはパスディフェンスでNFC2位、NFL4位の成績を残した。パンサーズに在籍した5シーズン、チームはリーグトップの96インターセプトをあげた[4]。
コルツのコーチ時代は2007年にチームはトータルディフェンスで1971年以来最高の3位[4]、彼の指導を受けたボブ・サンダースがAP通信から最優秀守備選手に選ばれた[1]。2008年、コルツのパスディフェンスはスターターで全16試合出場したのはアントワン・ベゼアだけで、故障のためマーリン・ジャクソンが7試合、ボブ・サンダースが6試合、ケルビン・ヘイデンが10試合の出場にとどまり、ティム・ジェニングスが12試合、メルビン・ブリットが9試合で先発したが、トータルディフェンスでリーグ11位、パスディフェンスではリーグ6位、さらにNFL記録となる6TDパスしか許さなかった(それまでの記録は1978年のデンバー・ブロンコス、1980年のピッツバーグ・スティーラーズがマークした9TD)[4]。
2012年、オレゴン州立大学のセカンダリーコーチに就任した[1]。
家族
息子のロドニー・ペリーは、2001年のMLBドラフト12巡でフィラデルフィア・フィリーズに指名された[1][5]。
脚注
- ^ a b c d e f g “Oregon State hires Rod Perry as secondary coach”. Oregonian Sports (2012年2月14日). 2014年1月12日閲覧。
- ^ Thomas Bonk (1993年1月27日). “Super Bowl XXVII : THROUGH THE YEARS : Footnotes To History : XIV : JOHN STALLWORTH : PITTSBURGH STEELERS”. ロサンゼルス・タイムズ. 2014年1月12日閲覧。
- ^ Joe Belock (2013年12月30日). “Super Bowl XIV: Steelers and John Stallworth bring down Rams”. ニューヨーク・デイリーニューズ. 2014年1月12日閲覧。
- ^ a b c d e f “BIO”. インディアナポリス・コルツ. 2011年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月12日閲覧。
- ^ “2001 Draft -- June Amateur Draft”. mlb.mlb.com. 2014年1月12日閲覧。