「ミラボー橋 (詩)」の版間の差分
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痛みの後にいつも楽しみが来ると |
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2019年12月15日 (日) 04:16時点における版
「ミラボー橋」(ミラボーはし、フランス語: Le pont Mirabeau)はイタリア生まれのポーランド人でフランスで詩人として活躍したギヨーム・アポリネールの広く知られた詩である。1912年2月に文芸誌『レ・スワレ・ドゥ・パリ』(Les Soirées de Paris)に掲載され、1913年には彼の詩集『アルコール類』(Alcools)に入れられた。
この詩はパリのミラボー橋の下のセーヌ川の流れを比喩的に表現して、時間の経過に伴う愛の喪失を扱っている。画家マリー・ローランサンとの恋とその終焉を綴ったといわれている。
パリのミラボー橋(北緯48度50分47秒 東経2度16分35秒 / 北緯48.84639度 東経2.27639度座標: 北緯48度50分47秒 東経2度16分35秒 / 北緯48.84639度 東経2.27639度)にはこの詩の最初の6行を書いた銘板が取り付けられている。
日本では「ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ」で始まる翻訳が堀口大學によるものなどいくつかあり[1]、ポール・ヴェルレーヌの詩「秋の歌」(上田敏訳)、フランス民謡「月の光に」の詩などと共に、広く親しまれている。
また、この詩にレオ・フェレが作曲した歌、ルイ・ベシェール(Louis Bessières)が作曲した歌、などがある[2]。
詩
ギヨーム・アポリネールの原詩 | 日本語直訳(GDFL) |
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Le pont Mirabeau |
ミラボー橋 |