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「大東亜戦争肯定論」の版間の差分

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== 林房雄の著作 ==
== 林房雄の著作 ==

2019年12月26日 (木) 15:02時点における版

大東亜戦争肯定論(だいとうあせんそうこうていろん)は、林房雄の著作の題名[注釈 1]。林は、大東亜戦争の開始を1845年 (弘化二年) とし、西欧勢力の東漸に対する反撃として"大東亜百年戦争"を本質は解放戦争であると主張した[2]

林房雄の著作

作家・林房雄は、『中央公論』に1963年から65年にかけて、16回にわたりこの題名の論考を連載した。その後、1964-65年に番町書房で正続2冊が刊行(のち全1巻)、他社でも四度にわたり新装再刊した。長らく絶版だったが、2001年に夏目書房(2007年倒産)から復刊された。なお続編的著作に東京新聞で長期連載された『緑の日本列島-激動の明治百年』(文藝春秋、1966年)がある。

林は本書で、従来「太平洋戦争」と称された「大東亜戦争」の名称をあえて用い、これは「東亜百年戦争」とも呼ぶべき、欧米列強によるアジア侵略に対するアジア独立のための戦いであった、と述べた[要ページ番号]。同時に、その理念が捻じ曲げられ、「アジア相戦う」ことになったことを悲劇と見て、「歴史の非情」を感じると述べている[要ページ番号]

後半は、幕末維新期の歴史に説き及び、西洋の衝撃に対して維新の志士たちがどれほど誠実に対処したかを論じる[要ページ番号]など、話題は多岐に及ぶが、戦争協力作家と見なされ長らく文壇から干されていた林が、長年の鬱積した想い(憤懣-ふんまん)をぶち上げた著作とも言える[誰によって?]左翼・戦後民主主義勢力(進歩的文化人)からの批判は浴びたが、林はこの連載が始まってから、「朝日新聞」で文芸時評を、やはり1965年まで担当する。[要出典]

しかし上に見る通り、題名から想像されるような全面肯定論ではなく、また「東京裁判史観」とは別の意味で、天皇(昭和天皇)に戦争責任はあると述べている。[要出典]

「大東亜戦争肯定論」論争

上山春平は、昭和36年に「大東亜戦争の思想史的意義」で太平洋戦争という呼称を占領下の所産と指摘していた[3]が、昭和39年に「再び大東亜戦争の意義について」で植民地再編成の戦争であると主張した[4]。昭和40年、『中央公論』7月特大号で羽仁五郎[5]の批判を受け、『中央公論』9月号の"特集・「大東亜戦争肯定論」批判"では、神島二郎[6]井上清[7]星野芳郎[8]吉田満[9]小田実[10]らの批判を受けた。また、竹内好は、興亜と脱亜の両面から分析し、対中国戦争が侵略戦争であると主張した[2]

日本基督教団

国策遂行のため建設された日本基督教団は、1944年復活祭に「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」を発表して、大東亜戦争は白人種の優越性という聖書にもとる思想によって人種差別と搾取を行う米英から、大東亜を解放するための聖戦であるとした。もっとも、1967年3月に「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を発表し悔い改めている。[要出典]

戦後も日本基督教団の手束正昭牧師は、2007年 - 2009年に連載されたキリスト教系月刊誌『ハーザー』の記事で、今も大東亜戦争肯定論を唱えている。[要出典]

パール論争

2007年、中島岳志は、小林よしのりが『戦争論』で『パール判決書』の一部分を都合よく切り取り、『大東亜戦争肯定論』の主張につなげることには大きな問題があると批判し、西部邁牛村圭八木英次らを巻き込む論争に発展した。

脚注

注釈

  1. ^ 斎藤一晴によれば、日本の近現代史における戦争や植民地支配について、日本だけが悪いことをしたのではない、植民地支配にはよい面もあった、日本の戦争のおかげでアジアは独立できた、アジア・太平洋戦争はやむを得ず戦った自衛戦争であるなどの自国中心的な戦争認識、アジアに対する優越意識を伴った歴史認識までを指すことも少なくなく、右派言説のなかでステレオタイプ化され歴史修正主義を支える歴史観の一つになっている、という[1]

出典

  1. ^ 斎藤一晴「大東亜戦争肯定論」吉田裕森武麿伊香俊哉高岡裕之編『アジア・太平洋戦争辞典』吉川弘文館、二〇一五年 (平成二十七) 十一月十日 第一版第一刷発行、ISBN 978-4-642-01473-1、373頁。
  2. ^ a b 著者代表=松本健一『論争の同時代史』新泉社、1986年10月15日・第1刷発行、367~377頁。
  3. ^ 上山春平「大東亜戦争の思想史的意義」『中央公論』第76巻第9号 通巻886号 昭和36年9月号、98~107頁。
  4. ^ 上山春平「再び大東亜戦争の意義について」『中央公論』第79巻第3号 通巻917号 昭和39年3月特大号、48~60頁。
  5. ^ 羽仁五郎「"大東亜戦争肯定論"を批判する-すべての戦死者にささぐ」『中央公論』第80巻第7号 通巻933号 昭和40年7月特大号、164~187頁。
  6. ^ 神島二郎「八月十五日の意味」『中央公論』第80巻第9号 通巻935号 昭和40年9月号、50~61頁。
  7. ^ 井上清「「大亜戦争肯定論」の論理と事実」『中央公論』第80巻第9号 通巻935号 昭和40年9月号、142~152頁。
  8. ^ 星野芳郎「体験的大東亜戦争敗因論」『中央公論』第80巻第9号 通巻935号 昭和40年9月号、153~163頁。
  9. ^ 吉田満「戦争参加者の立場から」『中央公論』第80巻第9号 通巻935号 昭和40年9月号、164~171頁。
  10. ^ 小田実「戦後世代の視角」『中央公論』第80巻第9号 通巻935号 昭和40年9月号、172~179頁。

参考文献

  • 林房雄『大東亜戦争肯定論』夏目書房、2001年8月。ISBN 4-931391-92-3 評伝河盛好蔵、解説富岡幸一郎
    • 普及版『大東亜戦争肯定論』夏目書房、2006年8月。ISBN 4-86062-052-6 同上
  • 林房雄 『大東亜戦争肯定論』 中央公論新社中公文庫〉、2014年11月、ISBN 4-12-206040-0。解説保阪正康
  • 黄文雄『黄文雄の大東亜戦争肯定論』ワック、2006年11月。ISBN 4-89831-098-2 
  • 小林よしのり『パール真論 ゴーマニズム宣言special』小学館、2008年6月。ISBN 978-4-09-389059-5 
  • 富岡幸一郎『新大東亜戦争肯定論』飛鳥新社、2006年8月。ISBN 4-87031-744-3 
  • 中島岳志『パール判事-東京裁判批判と絶対平和主義 1886-1967』白水社、2007年8月。ISBN 978-4-560-03166-7