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『[[日本書紀]]』にすでに脚気の症状を呈する病の記述がある。[[元禄]]年間には、[[コメ]]を精製する習慣が広まり、特に[[江戸]]で多く発生して「江戸患い」と呼ばれ、経験的に他の精白されていない穀物を食べた。[[明治|明治時代]]に入り[[1870年]](明治3年)から翌年にかけて脚気が流行。明治末までに、毎年最小6500人から最大1万5085人死亡したとみられる。大正以降、[[チアミン|ビタミンB1]](チアミン)を含まない精米された[[白米]]が普及するとともに安価な移入米が増加し、[[副食]]を十分に摂らなかったため、脚気の原因が解明されビタミンB1の純粋単離に成功した後も、多くの患者と死亡者を出した。 |
『[[日本書紀]]』にすでに脚気の症状を呈する病の記述がある。[[元禄]]年間には、[[コメ]]を精製する習慣が広まり、特に[[江戸]]で多く発生して「江戸患い」と呼ばれ、経験的に他の精白されていない穀物を食べた。[[明治|明治時代]]に入り[[1870年]](明治3年)から翌年にかけて脚気が流行。明治末までに、毎年最小6500人から最大1万5085人死亡したとみられる。大正以降、[[チアミン|ビタミンB1]](チアミン)を含まない精米された[[白米]]が普及するとともに安価な移入米が増加し、[[副食]]を十分に摂らなかったため、脚気の原因が解明されビタミンB1の純粋単離に成功した後も、多くの患者と死亡者を出した。 |
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統計上の脚気死亡者数は、1923年(大正12年)の2万6796人がピークであり、戦後まで年間1万人から2万人で推移した。また幼児の脚気による<ref>{{Cite journal|和書 |author=池田嘉一郎 |title=所謂人乳中毒症及ビ乳兒脚氣ノ異同問題ニ就テ (いわゆる人乳中毒症および乳児脚気の異同問題について) |journal=岡山醫學會雜誌 | |
統計上の脚気死亡者数は、1923年(大正12年)の2万6796人がピークであり、戦後まで年間1万人から2万人で推移した。また幼児の脚気による<ref>{{Cite journal|和書 |author=池田嘉一郎 |title=所謂人乳中毒症及ビ乳兒脚氣ノ異同問題ニ就テ (いわゆる人乳中毒症および乳児脚気の異同問題について) |journal=岡山醫學會雜誌 |issn=0030-1558 |publisher=岡山医学会 |year=1920 |volume=32 |number=371 |pages=646-666 |naid=130006927787/ |doi=10.4044/joma1889.32.371_646}}</ref>死者が非常に多く、大正時代末期は0–4歳の幼児死亡原因の約半数が脚気によるものであった<ref>{{Cite book|和書 |editor=日本統計普及会 (編) |series=時事統計図集 |volume=1 |title=本邦の衞生諸問題 |year=1928 |ncid=BN14194181}}</ref>。ようやく死者が1000人を下回ったのは、[[アリナミン]]とその類似品が社会に浸透する1950年代後半のことであった。 |
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2020年1月25日 (土) 02:58時点における版
脚気 | |
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脚気患者 | |
概要 | |
診療科 | 内分泌学 |
分類および外部参照情報 | |
ICD-10 | E51.1 |
ICD-9-CM | 265.0 |
DiseasesDB | 14107 |
MedlinePlus | 000339 |
eMedicine | ped/229 med/221 |
Patient UK | 脚気 |
MeSH | D001602 |
脚気(かっけ、英: beriberi)はビタミン欠乏症の一つであり、重度で慢性的なビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患である[1]。軽度のものはチアミン欠乏症(Thiamine deficiency)と呼ばれる[1]。心不全によって足のむくみ、神経障害によって足のしびれが起きることから脚気と呼ばれる。心臓機能の低下・不全(衝心、しょうしん)を併発したときは、脚気衝心と呼ばれる。最悪の場合には死亡に至る。
リスクファクターには、白米中心の食生活、アルコール依存症、人工透析、慢性的な下痢、利尿剤の多量投与など[1][2]。まれに遺伝的要因として、食物中チアミンの吸収困難がある[1]。 乾性脚気により、ウェルニッケ脳症、コルサコフ症候群が引き起こされうる[2]。診断は、症状、尿中チアミンの低下、高血中乳酸、および指導治療による改善に基づく[3]。
日本では、白米が流行した江戸において疾患が流行したため「江戸患い」と呼ばれた。大正時代には、結核と並ぶ二大国民亡国病と言われた。1910年代にビタミンの不足が原因と判明し治療可能となったが、死者が1000人を下回ったのは1950年代である。その後も1970年代にジャンクフードの偏食によるビタミン欠乏、1990年代に点滴輸液中のビタミン欠乏によって、脚気患者が発生し問題となった。
症状
本症は多発神経炎、浮腫(むくみ)、心不全(脚気心、脚気衝心)を三徴とする[4]。
乾性脚気
多発神経炎を主体とし、表在知覚神経障害からしびれ、腱反射低下などを来たす[5]。
湿性脚気
末梢動脈は拡張し、血管抵抗の低下から高拍出性心不全を呈して浮腫になる[6][信頼性要検証][4]。
検査
膝蓋腱を弛緩させた状態で叩くと大腿四頭筋が収縮し膝関節が伸展する膝蓋腱反射は末梢神経障害の有無を見る。脚気の多発していた1960年代頃までは健康診断の必須項目であった。
疫学
脚気は現代においても、拘置所において頻発する疾患である。1999年には台湾の拘置所において脚気が流行した[7]。2007年には過密収用であったハイチ刑務所で発生し、その発病率および死亡率の高さは、調理前に米を洗うという伝統的な慣習が原因であった[8]。コートジボワールにおいては、重度級の囚人たちは、その64%が脚気となっていた[9]。
東大教授三浦謹之助がベルツと共著の論文[注釈 1]に残した症例として、気象学者の野中至(野中到) とその妻は、下界から隔絶された富士山頂での冬季観測時に脚気にかかったとある[10]。
日本における歴史
第二次世界大戦以前
『日本書紀』にすでに脚気の症状を呈する病の記述がある。元禄年間には、コメを精製する習慣が広まり、特に江戸で多く発生して「江戸患い」と呼ばれ、経験的に他の精白されていない穀物を食べた。明治時代に入り1870年(明治3年)から翌年にかけて脚気が流行。明治末までに、毎年最小6500人から最大1万5085人死亡したとみられる。大正以降、ビタミンB1(チアミン)を含まない精米された白米が普及するとともに安価な移入米が増加し、副食を十分に摂らなかったため、脚気の原因が解明されビタミンB1の純粋単離に成功した後も、多くの患者と死亡者を出した。
統計上の脚気死亡者数は、1923年(大正12年)の2万6796人がピークであり、戦後まで年間1万人から2万人で推移した。また幼児の脚気による[11]死者が非常に多く、大正時代末期は0–4歳の幼児死亡原因の約半数が脚気によるものであった[12]。ようやく死者が1000人を下回ったのは、アリナミンとその類似品が社会に浸透する1950年代後半のことであった。
大日本帝国海軍で軍医の高木兼寛は、イギリスの根拠に基づく医療に依拠して、タンパク質が原因だと仮定して、洋食、麦飯を試み、1884年(明治17年)の導入により、1883年の23.1%の発症率を2年で1%未満に激減させた。理論こそ誤っていたものの、疫学の科学的根拠を得ていたということである。だが、当時医学の主流派は、理論を優先するドイツ医学を模範としていたことから高木は批判され、また予防成績も次第に落ち様々な原因が言われ、胚芽米も導入された。これに対抗して、大日本帝国陸軍は白米を規則とする日本食を採用、『明治二十七八年役陸軍衛生事蹟』[13]によれば、死者総計の約2割、約4000人の死因が脚気であり、陸軍はその後も脚気の惨害に見舞われた。農学者の鈴木梅太郎は、1910年(明治43年)に動物を白米で飼育すると、脚気様の症状が出るが、米糠・麦・玄米を与えると、快復することを報告。これを基に翌年、糠中の有効成分を濃縮し「オリザニン」として販売したが、医界においては伝染病説と中毒説が支配的であり、また医学界の外にあった鈴木が提唱したこともあって栄養欠乏説を受け入れなかった。1912年にポーランドのカジミェシュ・フンクがビタミンという概念を提唱したが、なおも国内提唱の栄養説を俗説とさげすみ、外来の栄養説を後追いした。陸軍主導の調査会には、真因を追及する能力はなかったとも指摘される[14]。陸軍が白米を止め、麦3割の麦飯を採用したのは、海軍から遅れること30年の大正2年だった[15]。
第二次世界大戦以後
1975年(昭和50年)頃からジャンクフードの普及による栄養の偏りから脚気が再発した[16][17]。また、高カロリー輸液の点滴にビタミンB1を欠いたことから死亡を含む脚気の重症例が相次ぎ、1997年(平成9年)に厚生省は輸液に際してビタミンB1を投与するという通達を出した[18]。アルコール依存症患者にも多い。2014年にも、高齢者が食品購入の不自由さから、副食を食べず白米のみを食す食生活でビタミンを摂取できず発症する例が報告されている[19]。現代のジャンクフードは、例えばインスタントラーメンなどにビタミンB1が添加されている[20]ため脚気の心配は少なくなった。
脚注
注釈
- ^ 「富士山頂の脚気」熱帯病全書2巻。
出典
- ^ a b c d “Beriberi” (英語). Genetic and Rare Diseases Information Center (GARD) – an NCATS Program (2015年). 2017年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月11日閲覧。
- ^ a b “Nutrition and Growth Guidelines | Domestic Guidelines - Immigrant and Refugee Health” (英語). CDC (2012年3月). 2017年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月11日閲覧。
- ^ Swaiman, Kenneth F.; Ashwal, Stephen; Ferriero, Donna M.; Schor, Nina F.; Finkel, Richard S.; Gropman, Andrea L.; Pearl, Phillip L.; Shevell, Michael (2017) (英語). Swaiman's Pediatric Neurology E-Book: Principles and Practice. Elsevier Health Sciences. p. e929. ISBN 9780323374811. オリジナルの2017-11-11時点におけるアーカイブ。
- ^ a b Johnson 2014.
- ^ Johnson, Larry E. (2014年). “チアミン(ビタミンB1、サイアミン)〈09-栄養障害/ビタミン欠乏症,依存症,および中毒〉”. MSDマニュアルプロフェッショナル版. 2019年4月28日閲覧。
- ^ その他(Miscellaneous)シリーズ3 【症例 ME 15】 徳洲会グループ
- ^ “Outbreak of beriberi among illegal mainland Chinese immigrants at a detention center in Taiwan”. Public Health Rep 118 (1): 59–64. (2003). doi:10.1093/phr/118.1.59. PMC 1497506. PMID 12604765 .
- ^ Sprague, Jeb; Alexandra, Eunida (2007年1月17日). “Haiti: Mysterious Prison Ailment Traced to U.S. Rice”. Inter Press Service. オリジナルの2013年5月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ Aké-Tano, O.; Konan, E. Y.; Tetchi, E. O.; Ekou, F. K.; Ekra, D.; Coulibaly, A.; Dagnan, N. S. (2011). “Le béribéri, maladie nutritionnelle récurrente en milieu carcéral en Côte-d'Ivoire”. Bulletin de la Société de Pathologie Exotique 104 (5): 347–351. doi:10.1007/s13149-011-0136-6. PMID 21336653.
- ^ 林栄子 2011, p. 376.
- ^ 池田嘉一郎「所謂人乳中毒症及ビ乳兒脚氣ノ異同問題ニ就テ (いわゆる人乳中毒症および乳児脚気の異同問題について)」『岡山醫學會雜誌』第32巻第371号、岡山医学会、1920年、646-666頁、doi:10.4044/joma1889.32.371_646、ISSN 0030-1558、NAID 130006927787/識別子"130006927787/"は正しくありません。。
- ^ 日本統計普及会 (編) 編『本邦の衞生諸問題』 1巻〈時事統計図集〉、1928年。 NCID BN14194181。
- ^ 陸軍衛生事蹟編纂委員会 (編) 編『明治二十七八年役陸軍衛生事蹟』1908年。 NCID BA30643502。
- ^ 松田誠『脚気をなくした男 高木兼寛伝』講談社、1990年、118-120頁。全国書誌番号:90032736。
- ^ 浅田次郎『パリわずらい江戸わずらい』小学館、2014年、138-143頁。ISBN 978-4-09-388360-3。全国書誌番号:22379781。
- ^ 高橋和郎「心拡大,高度浮腫を伴った急性多発性神経炎」『日本内科学会雑誌』第64巻第10号、1975年10月、1140-1152頁、doi:10.2169/naika.64.1140、NAID 130000889782。
- ^ 高橋和郎、北川達也「心拡大,高度浮腫を伴った急性多発性神経炎-続-その疫学ならびに成因としてのビタミンB1欠乏症」『日本内科学会雑誌』第65巻第3号、1976年3月、256-262頁、doi:10.2169/naika.65.256、NAID 130000889987。
- ^ 藤山二郎、木ノ元景子、山村修、et al.「絶食患者におけるビタミン非添加末梢静脈栄養時の血中水溶性ビタミン濃度の変化」『静脈経腸栄養』第22巻第2号、2007年6月25日、181-187頁、doi:10.11244/jjspen.22.181。
- ^ 桑原昌則ほか「ショック, 意識障害をきたした高齢者のビタミンB1欠乏症 (脚気) の1症例」『心臓』第46巻第7号、2014年、893-899頁。
- ^ “栄養成分を知ろう インスタントラーメンの成分表を見てみよう”. インスタントラーメンナビ. 一般社団法人 日本即席食品工業協会. 2019年4月28日閲覧。
参考文献
- 林栄子『近代医学の先駆者三浦謹之助』叢文社、2011年、376頁。ISBN 978-4-7947-0673-7。