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「フライングアイスキューブ効果」の版間の差分

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'''フライングアイスキューブ効果'''(フライングアイスキューブこうか、{{Lang-en-short|Flying ice cube}})は、[[分子動力学法|分子動力学]](MD)シミュレーションにおけるアーティファクト(計算過程で生じるデータの誤り<ref>{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%AF%E3%83%88-676397|title=アーティファクトとは|accessdate=2019-09-03|publisher=|website=コトバンク}}</ref>)の一種である。[[周波数]]の高い[[固有振動|固有振動モード]]のエネルギーが周波数の低いモード、特に系全体の[[平行移動|重心運動]]や[[回転]]のようなゼロ周波数の運動に奪い取られてしまう現象である。1998年にハーヴェイらによって名づけられた<ref name="harvey"/><ref name="braun"/>。名前は[[真空]]中の粒子をシミュレーションしているときに発生する特徴的な症状に由来する。このときシミュレーション系は並進[[運動量]]が増加するとともに内部運動が急速に減衰していく。やがて系は凍りつき、[[クラッシュドアイス|氷の塊]]のような[[剛体]]を思わせる一つの立体構造(アイスキューブ)として空間中を飛んでいく(フライング)。フライングアイスキューブ効果はMDシミュレーションの[[アルゴリズム]]によって生み出されるもので、[[エネルギー等配分の法則|エネルギー等分配則]]に反しているため物理的には起こりえない<ref name="harvey">{{Cite journal|last=Harvey|first=Stephen C.|last2=Tan|first2=Robert K.-Z.|last3=Cheatham|first3=Thomas E.|date=May 1998|title=The flying ice cube: Velocity rescaling in molecular dynamics leads to violation of energy equipartition|journal=Journal of Computational Chemistry|volume=19|issue=7|pages=726–740|DOI=10.1002/(SICI)1096-987X(199805)19:7<726::AID-JCC4>3.0.CO;2-S}}</ref>。
'''フライングアイスキューブ効果'''(フライングアイスキューブこうか、{{Lang-en-short|Flying ice cube}})は、[[分子動力学法|分子動力学]](MD)シミュレーションにおけるアーティファクト(計算過程で生じるデータの誤り<ref>{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%AF%E3%83%88-676397|title=アーティファクトとは|accessdate=2019-09-03|publisher=|website=コトバンク}}</ref>)の一種である。[[周波数]]の高い[[固有振動|固有振動モード]]のエネルギーが周波数の低いモード、特に系全体の[[平行移動|重心運動]]や[[回転]]のようなゼロ周波数の運動に奪い取られてしまう現象である。1998年にハーヴェイらによって名づけられた<ref name="harvey"/><ref name="braun"/>。名前は[[真空]]中の粒子をシミュレーションしているときに発生する特徴的な症状に由来する。このときシミュレーション系は並進[[運動量]]が増加するとともに内部運動が急速に減衰していく。やがて系は凍りつき、[[クラッシュドアイス|氷の塊]]のような[[剛体]]を思わせる一つの立体構造(アイスキューブ)として空間中を飛んでいく(フライング)。フライングアイスキューブ効果はMDシミュレーションの[[アルゴリズム]]によって生み出されるもので、[[エネルギー等配分の法則|エネルギー等分配則]]に反しているため物理的には起こりえない<ref name="harvey">{{Cite journal|last=Harvey|first=Stephen C.|last2=Tan|first2=Robert K.-Z.|last3=Cheatham|first3=Thomas E.|date=May 1998|title=The flying ice cube: Velocity rescaling in molecular dynamics leads to violation of energy equipartition|journal=Journal of Computational Chemistry|volume=19|issue=7|pages=726–740|doi=10.1002/(SICI)1096-987X(199805)19:7<726::AID-JCC4>3.0.CO;2-S}}</ref>。


== 原因と克服法 ==
== 原因と克服法 ==
フライングアイスキューブ効果はシミュレーション系内の粒子[[速度]]を繰り返し再スケーリングしたときに発生する。速度の再スケーリングとは、一つの積分タイムステップごとに系内粒子の速度にある係数を掛けることで系の温度を一定に保つ方法である。[[ベレンゼン・サーモスタット]]やBussi-Donadio-Parrinelloサーモスタットなどのアルゴリズムは速度再スケーリングの一種である<ref name=":0">{{Cite journal|last=Bussi|first=Giovanni|last2=Donadio|first2=Davide|last3=Parrinello|first3=Michele|date=2007-01-07|title=Canonical sampling through velocity rescaling|url=http://aip.scitation.org/doi/10.1063/1.2408420|journal=The Journal of Chemical Physics|volume=126|issue=1|pages=014101|language=en|arxiv=0803.4060|DOI=10.1063/1.2408420|ISSN=0021-9606}}</ref>。[[正準分布]]ではない運動エネルギー分布が実現されるように再スケーリングを行うと、[[モンテカルロ法|モンテカルロ・シミュレーション]]に必要な[[詳細釣り合い|釣り合い]]条件が破られてしまう(速度再スケーリングの手法を導入したMDシミュレーションはモンテカルロ法の一種と考えられる)。これがフライングアイスキューブ効果の根本的な原因である<ref name="braun">{{Cite journal|last=Braun|first=E.|last2=Moosavi, S. M.|last3=Smit, B.|year=2018|title=Anomalous Effects of Velocity Rescaling Algorithms: The Flying Ice Cube Effect Revisited|journal=Journal of Chemical Theory and Computation|volume=14|issue=10|pages=5262–5272|arxiv=1805.02295|DOI=10.1021/acs.jctc.8b00446}}</ref>。したがって、運動エネルギー一定の分布に向けて再スケーリングを行う[[ベレンゼン・サーモスタット]]はフライングアイスキューブ効果を示すが、正準分布に向けて再スケーリングを行うBussi–Donadio–Parrinelloサーモスタットではこの問題が起きない<ref name="braun"/>。
フライングアイスキューブ効果はシミュレーション系内の粒子[[速度]]を繰り返し再スケーリングしたときに発生する。速度の再スケーリングとは、一つの積分タイムステップごとに系内粒子の速度にある係数を掛けることで系の温度を一定に保つ方法である。[[ベレンゼン・サーモスタット]]やBussi-Donadio-Parrinelloサーモスタットなどのアルゴリズムは速度再スケーリングの一種である<ref name=":0">{{Cite journal|last=Bussi|first=Giovanni|last2=Donadio|first2=Davide|last3=Parrinello|first3=Michele|date=2007-01-07|title=Canonical sampling through velocity rescaling|url=http://aip.scitation.org/doi/10.1063/1.2408420|journal=The Journal of Chemical Physics|volume=126|issue=1|pages=014101|language=en|arxiv=0803.4060|doi=10.1063/1.2408420|issn=0021-9606}}</ref>。[[正準分布]]ではない運動エネルギー分布が実現されるように再スケーリングを行うと、[[モンテカルロ法|モンテカルロ・シミュレーション]]に必要な[[詳細釣り合い|釣り合い]]条件が破られてしまう(速度再スケーリングの手法を導入したMDシミュレーションはモンテカルロ法の一種と考えられる)。これがフライングアイスキューブ効果の根本的な原因である<ref name="braun">{{Cite journal|last=Braun|first=E.|last2=Moosavi, S. M.|last3=Smit, B.|year=2018|title=Anomalous Effects of Velocity Rescaling Algorithms: The Flying Ice Cube Effect Revisited|journal=Journal of Chemical Theory and Computation|volume=14|issue=10|pages=5262–5272|arxiv=1805.02295|doi=10.1021/acs.jctc.8b00446}}</ref>。したがって、運動エネルギー一定の分布に向けて再スケーリングを行う[[ベレンゼン・サーモスタット]]はフライングアイスキューブ効果を示すが、正準分布に向けて再スケーリングを行うBussi–Donadio–Parrinelloサーモスタットではこの問題が起きない<ref name="braun"/>。


フライングアイスキューブの問題が最初に発見された後も、ベレンゼン・サーモスタットを使い続ける理由があった。速度スケーリングは系を所定の温度に緩和させる効率がよく、Bussi–Donadio–Parrinello<ref name=":0"/>サーモスタットはまだ発明されていなかったのである<ref name="braun"/>。そこで、ベレンゼン・サーモスタットにおいてフライングアイスキューブ効果を発生させない方法として、定期的に重心運動を除去したり、再スケーリングの[[時定数]]を長く取るなどが提案された<ref name="harvey"/>。しかしその後、ベレンゼン・サーモスタットの代わりに、フライングアイスキューブ効果を示さないことが確かめられているBussi–Donadio–Parrinelloサーモスタットを使うことが推奨された<ref name="braun"/>。
フライングアイスキューブの問題が最初に発見された後も、ベレンゼン・サーモスタットを使い続ける理由があった。速度スケーリングは系を所定の温度に緩和させる効率がよく、Bussi–Donadio–Parrinello<ref name=":0"/>サーモスタットはまだ発明されていなかったのである<ref name="braun"/>。そこで、ベレンゼン・サーモスタットにおいてフライングアイスキューブ効果を発生させない方法として、定期的に重心運動を除去したり、再スケーリングの[[時定数]]を長く取るなどが提案された<ref name="harvey"/>。しかしその後、ベレンゼン・サーモスタットの代わりに、フライングアイスキューブ効果を示さないことが確かめられているBussi–Donadio–Parrinelloサーモスタットを使うことが推奨された<ref name="braun"/>。

2020年1月25日 (土) 18:32時点における版

フライングアイスキューブ効果(フライングアイスキューブこうか、: Flying ice cube)は、分子動力学(MD)シミュレーションにおけるアーティファクト(計算過程で生じるデータの誤り[1])の一種である。周波数の高い固有振動モードのエネルギーが周波数の低いモード、特に系全体の重心運動回転のようなゼロ周波数の運動に奪い取られてしまう現象である。1998年にハーヴェイらによって名づけられた[2][3]。名前は真空中の粒子をシミュレーションしているときに発生する特徴的な症状に由来する。このときシミュレーション系は並進運動量が増加するとともに内部運動が急速に減衰していく。やがて系は凍りつき、氷の塊のような剛体を思わせる一つの立体構造(アイスキューブ)として空間中を飛んでいく(フライング)。フライングアイスキューブ効果はMDシミュレーションのアルゴリズムによって生み出されるもので、エネルギー等分配則に反しているため物理的には起こりえない[2]

原因と克服法

フライングアイスキューブ効果はシミュレーション系内の粒子速度を繰り返し再スケーリングしたときに発生する。速度の再スケーリングとは、一つの積分タイムステップごとに系内粒子の速度にある係数を掛けることで系の温度を一定に保つ方法である。ベレンゼン・サーモスタットやBussi-Donadio-Parrinelloサーモスタットなどのアルゴリズムは速度再スケーリングの一種である[4]正準分布ではない運動エネルギー分布が実現されるように再スケーリングを行うと、モンテカルロ・シミュレーションに必要な釣り合い条件が破られてしまう(速度再スケーリングの手法を導入したMDシミュレーションはモンテカルロ法の一種と考えられる)。これがフライングアイスキューブ効果の根本的な原因である[3]。したがって、運動エネルギー一定の分布に向けて再スケーリングを行うベレンゼン・サーモスタットはフライングアイスキューブ効果を示すが、正準分布に向けて再スケーリングを行うBussi–Donadio–Parrinelloサーモスタットではこの問題が起きない[3]

フライングアイスキューブの問題が最初に発見された後も、ベレンゼン・サーモスタットを使い続ける理由があった。速度スケーリングは系を所定の温度に緩和させる効率がよく、Bussi–Donadio–Parrinello[4]サーモスタットはまだ発明されていなかったのである[3]。そこで、ベレンゼン・サーモスタットにおいてフライングアイスキューブ効果を発生させない方法として、定期的に重心運動を除去したり、再スケーリングの時定数を長く取るなどが提案された[2]。しかしその後、ベレンゼン・サーモスタットの代わりに、フライングアイスキューブ効果を示さないことが確かめられているBussi–Donadio–Parrinelloサーモスタットを使うことが推奨された[3]

脚注

  1. ^ アーティファクトとは”. コトバンク. 2019年9月3日閲覧。
  2. ^ a b c Harvey, Stephen C.; Tan, Robert K.-Z.; Cheatham, Thomas E. (May 1998). “The flying ice cube: Velocity rescaling in molecular dynamics leads to violation of energy equipartition”. Journal of Computational Chemistry 19 (7): 726–740. doi:10.1002/(SICI)1096-987X(199805)19:7<726::AID-JCC4>3.0.CO;2-S. 
  3. ^ a b c d e Braun, E.; Moosavi, S. M.; Smit, B. (2018). “Anomalous Effects of Velocity Rescaling Algorithms: The Flying Ice Cube Effect Revisited”. Journal of Chemical Theory and Computation 14 (10): 5262–5272. arXiv:1805.02295. doi:10.1021/acs.jctc.8b00446. 
  4. ^ a b Bussi, Giovanni; Donadio, Davide; Parrinello, Michele (2007-01-07). “Canonical sampling through velocity rescaling” (英語). The Journal of Chemical Physics 126 (1): 014101. arXiv:0803.4060. doi:10.1063/1.2408420. ISSN 0021-9606. http://aip.scitation.org/doi/10.1063/1.2408420.