「アッシュル (神)」の版間の差分
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2020年1月25日 (土) 18:33時点における版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/64/Ashur_god.jpg/200px-Ashur_god.jpg)
アッシュール(Ashur、Assur、Aššur、日本語ではアッシュル、アシュールとも。𒀭𒀸𒋩 dAš-šur)は、古代メソポタミアのアッシリアで崇拝された神。アッシリアのパンテオンにおいて最上位を占め、アッシリアがバビロニアを征服した後には政策的にバビロニアの上位の神々(エンリルやマルドゥク)と融合・同一視された[1]。
神格
アッシュールは古くからアッシリアにおける最高神であった[2]。アッシュール神がアッシリアの首都である古代都市アッシュールと同名であることは謎であったが、現在では神としてのアッシュールは都市アッシュール、あるいはそれが存在した土地自体が擬人化・神格化されたことで誕生した神であるとする見解が主流である[2][1][3][4]。楔形文字文書では綴りが同じとなるため、神アッシュールを指す場合には「神」を意味する限定符ディンギルを付し、都市アッシュールを指す場合には「地名」を表す限定符KIを付した[2][5]。また、初期の文書においては両方の限定符がある例もある。即ちウル第3王朝(前21世紀末)時代のアッシュール市の支配者ザリクムの奉納板の銘文には「アッシュール神の総督:gir.nitá da-šurki」というタイトルが使用されているが、アッシュールの名にはdとkiの両方が符され地名であると同時に神であることが示されている[6][5]。
このような出自故に、アッシュールは古代メソポタミアの他の神々と異なる特徴を備えている。通例、メソポタミアの神々は人間のように配偶者を持ち、子供も持っていたが、初期の段階においてアッシュール神は家族を持っていなかった。しかし、アッシリアがバビロニアを征服し、バビロニア「神学」の影響を受けると、アッシュールはアッシリアのエンリル神であるとみなされるようになった[1]。エンリルはニップル市の都市神であり、前3千年紀からハンムラビが前18世紀半ばにバビロンに帝国を打ち立てるまで、バビロニアのパンテオンにおいて最も重要な神であった。ハンムラビの時代の後、バビロニアにおける主神の地位はエンリルからマルドゥクに置き換わった。アッシリアにおいてはエンリル神の妻ニンリル(アッシリアの女神ムッリッスに対応)と、エンリル神の息子ニヌルタおよびザババがアッシュール神のものとされ吸収された[1]。この吸収過程は前14世紀頃に始まり、前7世紀まで続いた[4]。また、アッシリアの書記たちはアッシュールの名前を𒀭𒊹 AN.ŠAR2という楔形文字の符号と共に書くようになった。これはシュメール語で「天空」を意味し、バビロニア神話におけるアヌ神の息子アンシャルを示すもので、この神をアッシュールと同一視することになった。この同定それ自体は単に名称の類似によったものと見られ[1]、その意図はアッシュールをバビロニアのパンテオンの頂点に押し上げることであったと思われる。アンシャル神とその対になるキシャル神(大地)はエンリル神やニンリル神より上位の神であった[7]
新アッシリア時代のバージョンのバビロニアの創世神話『エヌマ・エリシュ』では、バビロンにおける神々の長マルドゥクは登場せず、代わりにアッシュールがアンシャルの名で登場し、破滅の怪物ティアマトを殺害し人類世界を創り上げている[8][1]。
また、アッシュール崇拝におけるもう1つの重大な特徴は、アッシリア国家の真の王はアッシュール神であり、人間の王はアッシュール神に任命された「副王」であるというという独特の王権イデオロギーである[2][9]。このイデオロギーの故にアッシリアの統治者たちは前14世紀までは、アッカド語における王(シャル:šar)という称号を公式に使うことはなく、「総督(副王):gir.nitá /šakkanakku」、「副王:ensí/išši'aku」「監督官:PA/waklum」などの称号を用いていた[10][11]。古アッシリア時代のアッシュール市の支配者ツィルル(スリリ)の印象には「アッシュールは王、ツィルルはアッシュールの副王:a-šùr.KI LUGAL ṣi-lu-lu išši'aku a-šùr.KI」と刻まれている[9]。アッシリアが帝国的な発展を示した中アッシリア時代以降、アッシリアの王たちは次第に自己の王権を向上させていき、明確に「王」を称するようになっていくが、アッシリア国家の真の王がアッシュール神であるというイデオロギーはその滅亡の時まで強固に継続した[12]。これはアッシリア帝国ともよばれる新アッシリア時代の王アッシュールバニパル(在位:前668年-前627年頃)の即位式の式次第の文書からもはっきりと読み取ることができる。式次第ではアッシリア王が戴冠のために王宮からアッシュール神殿へと練り歩く際、「アッシュールは王です!アッシュールは王です!」という言葉が繰り返されることになっている[13]。
表象と象徴
土地の神格化によって誕生したアッシュール神は、元来定まった図像表現を持っていなかった可能性がある[14]。メソポタミアの神は一般に人間の姿をしているが、初期のアッシュール神はそうではなかったかもしれない[14]。アッシュール神が「人の姿」を明確に獲得するのは中アッシリア時代の前13世紀である[14]。
中アッシリア時代以降、アッシュール神がバビロニアの神々と習合されるようになると、バビロニアの図像表現がアッシュールに適用された。バビロニアではカッシート王朝(前16世紀頃-前1155年)以降、多くの神々がシンボル(象徴)を使ってあらわされるようになった。角冠(アヌ、エンリル)、ヤギ魚・カメ・羊頭(エア)などがそれにあたる[14]。アッシュールにはアヌ及びエンリルと同じ角冠がシンボルとして割り当てられた[14]。バビロンの都市神マルドゥクのシンボルである鋤がアッシュールに採用されることはなかったが[14]、その随獣である蛇竜(ムシュフシュ)はアッシュールに奪われた[1]。
幾人かの学者が、アッシリアの図像において頻繁に登場する有翼円盤のいくつかはアッシュール神を表象したものであると主張しているが、決定的な根拠はない[15]。このような円盤の図像には以下のようなものがある。
- 有角有翼円盤。中央の円の周りを回転する4つの円が囲む。波状の光線が円盤の両側から落ちる。
- 翼から吊るされた円盤または車輪。その中に弓を引いて矢を構える戦士が描かれる。
- 上記と同様の円。戦士と弓が描かれるが、弓は左手に持ち、右手は自らを崇拝するものを祝福するかの如く掲げられる(画像を参照)。
アッシリアの人名においてアッシュール神は頻繁に人名の構成要素として採用されている。王名においてもアッシュール・ウバリト、アッシュール・ナツィル・アプリ(アッシュールナツィルパル)、アッシュール・バニ・アプリ(アッシュールバニパル)など類例に事欠かず、『アッシリア王名表』記載の100名超のアッシリア王のうち30人に達する[15]。アッシュール神の枕詞にはbêlu rabû(偉大なる主)、ab ilâni(神々の父)、šadû rabû(大いなる山)、il aššurî(アッシュールの神)などがある。
関連記事
脚注
- ^ a b c d e f g 古代オリエント辞典、「アッシュル(神)」の項目より
- ^ a b c d 渡辺(和) 1998, p. 276
- ^ 小林 2019, p. 269
- ^ a b Karel van der Toorn, Bob Becking, Pieter Willem van der Horst, Dictionary of deities and demons in the Bible, pp. 108–9
- ^ a b 渡辺(千) 2003, p. 148
- ^ 渡辺(和) 1998, p. 277
- ^ Sasson, Jack M. (1995). Civilizations of the ancient Near East. 3. Scribner. p. 1830. ISBN 978-0684192796
- ^ Donald A. Mackenzie Myths of Babylonia and Assyria (1915), chapter 15: "Ashur the National God of Assyria"
- ^ a b 渡辺(千) 2003, p. 149
- ^ 渡辺(千) 2003, p. 147
- ^ 渡辺(和) 1998, p. 278
- ^ 柴田 2015, p. 280
- ^ 柴田 2015, p. 279
- ^ a b c d e f 渡辺(和) 1998, p. 283
- ^ a b 渡辺(和) 1998, p. 286
参考文献
- 小林登志子『古代オリエントの神々 文明の興亡と宗教の起源』中央公論新社〈中公新書〉、2019年1月。ISBN 978-4-12-102523-4。
- 柴田大輔「アッシリアにおける国家と神殿 : 理念と制度」『宗教研究』第89巻第2号、日本宗教学会、2015年、NAID 110009986745、2019年9月閲覧。
- 渡辺和子「アッシリアの自己同一性と異文化理解」『オリエント世界』岩波書店〈岩波講座世界歴史2〉、1998年12月、271-300頁。ISBN 978-4-00-010822-5。
- 渡辺千香子「第4章 アッカド語系王朝における王権観」『古代王権の誕生Ⅲ 中央ユーラシア・西アジア・北アフリカ篇』角川書店、2003年6月、136-153頁。ISBN 978-4-04-523002-8。
- ピョートル・ビエンコフスキ、アラン・ミラード編 著、池田裕、山田重郎監訳、池田潤、山田恵子、山田雅道 訳『大英博物館版 図説 古代オリエント事典』東洋書林、2004年7月。ISBN 978-4-88721-639-6。