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「クリスティアーノ・ルカレッリ」の版間の差分

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| 年9 = 2003-2007 | クラブ9 = {{Flagicon|ITA}} [[ASリヴォルノ・カルチョ|リヴォルノ]] | 出場9 = 146 | 得点9 = 92
| 年9 = 2003-2007 | クラブ9 = {{Flagicon|ITA}} [[ASリヴォルノ・カルチョ|リヴォルノ]] | 出場9 = 146 | 得点9 = 92
| 年10 = 2007-2008 | クラブ10 = {{Flagicon|UKR}} [[FCシャフタール・ドネツク|シャフタール]] | 出場10 = 12 | 得点10 = 4
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| 年11 = 2008-2012 | クラブ11 = {{Flagicon|ITA}} [[SSDパルマ・カルチョ1913|パルマ]] | 出場11 = 45 | 得点11 = 16
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| 年12 = 2009-2010 | クラブ12 = →{{Flagicon|ITA}} [[ASリヴォルノ・カルチョ|リヴォルノ]] (loan) | 出場12 = 28 | 得点12 = 10
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| 年13 = 2010-2012 | クラブ13 = →{{Flagicon|ITA}} [[SSCナポリ|ナポリ]] (loan) | 出場13 = 12 | 得点13 = 1
| 年13 = 2010-2012 | クラブ13 = →{{Flagicon|ITA}} [[SSCナポリ|ナポリ]] (loan) | 出場13 = 12 | 得点13 = 1
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リヴォルノには4年間在籍し、クラブ史上2番目となる92ゴールを記録した。また[[セリエA (サッカー) 2006-2007|2006-07シーズン]]においてセリエA通算100ゴールを達成している。2007年に[[移籍金]]800万ユーロ(約13.5億円)で[[FCシャフタール・ドネツク]]に移籍。ウクライナでプレーする初のイタリア人となった。
リヴォルノには4年間在籍し、クラブ史上2番目となる92ゴールを記録した。また[[セリエA (サッカー) 2006-2007|2006-07シーズン]]においてセリエA通算100ゴールを達成している。2007年に[[移籍金]]800万ユーロ(約13.5億円)で[[FCシャフタール・ドネツク]]に移籍。ウクライナでプレーする初のイタリア人となった。


2008年、移籍金570万ユーロで(約9億円)で[[SSDパルマ・カルチョ1913|パルマFC]]に移籍した。
2008年、移籍金570万ユーロで(約9億円)で[[パルマ・カルチョ1913|パルマFC]]に移籍した。


2009年7月15日、古巣であるリヴォルノへ[[期限付き移籍|レンタル]]での復帰が発表された。
2009年7月15日、古巣であるリヴォルノへ[[期限付き移籍|レンタル]]での復帰が発表された。

2020年2月4日 (火) 11:48時点における版

クリスティアーノ・ルカレッリ
名前
ラテン文字 Cristiano Lucarelli
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1975-10-04) 1975年10月4日(48歳)
出身地 リヴォルノ
身長 188cm
体重 83kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足
ユース
1981-1988 イタリアの旗 カルリ・サルヴィアーノ
1988-1992 イタリアの旗 アルマンド・ピッキ
1995 イタリアの旗 ペルージャ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1993 イタリアの旗 クオイオペッリ英語版 28 (5)
1993-1995 イタリアの旗 ペルージャ 7 (0)
1995-1996 イタリアの旗 コゼンツァ英語版 32 (15)
1996-1997 イタリアの旗 パドヴァ 34 (18)
1997-1998 イタリアの旗 アタランタ 26 (5)
1998-1999 スペインの旗 バレンシア 13 (1)
1999-2001 イタリアの旗 レッチェ 59 (26)
2001-2003 イタリアの旗 トリノ 55 (10)
2003-2007 イタリアの旗 リヴォルノ 146 (92)
2007-2008 ウクライナの旗 シャフタール 12 (4)
2008-2012 イタリアの旗 パルマ 45 (16)
2009-2010 イタリアの旗 リヴォルノ (loan) 28 (10)
2010-2012 イタリアの旗 ナポリ (loan) 12 (1)
1992-2012 通算 497 (203)
代表歴
1996 イタリアの旗 イタリア オリンピック 2 (0)
1996-1997 イタリアの旗 イタリア U-21 10 (10)
1997  イタリア U-23 2 (0)
2005-2007 イタリアの旗 イタリア 6 (3)
監督歴
2013 イタリアの旗 ペルージャ
2013-2014 イタリアの旗 ヴィアレッジョ
2014-2015 イタリアの旗 ピストイエーゼ
2015-2016 イタリアの旗 トゥットクオイオ英語版
2016-2017 イタリアの旗 メッシーナ
2017- イタリアの旗 カターニア
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クリスティアーノ・ルカレッリCristiano Lucarelli, 1975年10月4日 - )は、イタリアリヴォルノ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード

同じくサッカー選手のアレッサンドロ・ルカレッリは実弟。

経歴

1992年、クオイオペッリでデビューを果たし、翌年にはACペルージャへ移籍。国内のクラブを転々とした後、1998-99シーズンにはバレンシアCFへ自身初の国外移籍を果たす。しかし12試合1ゴールと振るわず1シーズンで帰国。USレッチェトリノFCに在籍した。

2003-04シーズンからは地元のASリヴォルノ・カルチョに移籍、クラブのセリエA昇格に貢献し、チームのシンボルとなる。2004-05シーズンには24得点を挙げ、セリエA得点王に輝いた。

リヴォルノには4年間在籍し、クラブ史上2番目となる92ゴールを記録した。また2006-07シーズンにおいてセリエA通算100ゴールを達成している。2007年に移籍金800万ユーロ(約13.5億円)でFCシャフタール・ドネツクに移籍。ウクライナでプレーする初のイタリア人となった。

2008年、移籍金570万ユーロで(約9億円)でパルマFCに移籍した。

2009年7月15日、古巣であるリヴォルノへレンタルでの復帰が発表された。

代表歴

1996年のアトランタ五輪メンバーに選出され、同年秋にはU-21代表の試合で2試合連続のハットトリックを達成するなど通算14試合10得点と高い決定力を見せた。

当時のA代表攻撃陣の層は厚かったが、2004-05シーズンの活躍が認められ2005年上旬に北米遠征代表メンバーに選出。セルビア・モンテネグロ戦にて代表初キャップを刻むと、この試合で初得点もマークし存在感を示している。マルチェロ・リッピ時代は結果を出しながらも代表とはあまり縁が無かったが、代表監督がかつてリヴォルノで指揮を執ったロベルト・ドナドーニに代わってからは代表に定着している。

指導歴

2017-18シーズンより、セリエCカルチョ・カターニアと2年契約を締結した[1]

脚注

  1. ^ Lucarelli è il nuovo allenatore del Catania. Ecco il suo staff. Martedì 4 luglio la presentazione”. ITA Sport Press (2017年6月15日). 2018年6月7日閲覧。

外部リンク