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[[2015年]][[7月26日]]、[[プリメーラ・ディビシオン (アルゼンチン)|アルゼンチン]]の[[CAインデペンディエンテ]]へ自由移籍で加入した<ref>[http://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=210625 C・ロドリゲスがインデペンディエンテ入り] - 超ワールドサッカー 2015年7月26日</ref>。
[[2015年]][[7月26日]]、[[プリメーラ・ディビシオン (アルゼンチン)|アルゼンチン]]の[[CAインデペンディエンテ]]へ自由移籍で加入した<ref>[http://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=210625 C・ロドリゲスがインデペンディエンテ入り] - 超ワールドサッカー 2015年7月26日</ref>。

2020年2月4日 (火) 11:58時点における版

クリスティアン・ロドリゲス
ウルグアイ代表でのロドリゲス(2014年)
名前
本名 クリスティアン・ガブリエル・ロドリゲス・バロッティ
Cristian Gabriel Rodríguez Barrotti
愛称 El Cebolla(エル・セボージャ、タマネギの意)[1]
ラテン文字 Cristian RODRÍGUEZ
基本情報
国籍 ウルグアイの旗 ウルグアイ
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1985-09-30) 1985年9月30日(38歳)
出身地 フアン・ラカセ英語版
身長 178cm
体重 81kg
選手情報
在籍チーム ウルグアイの旗 CAペニャロール
ポジション MF (LMF, LWG, OMF)
背番号 28
利き足 左足
ユース
ウルグアイの旗 ペニャロール
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2005 ウルグアイの旗 ペニャロール 40 (4)
2005-2008 フランスの旗 PSG 36 (1)
2007-2008 ポルトガルの旗 ベンフィカ (loan) 24 (6)
2008-2012 ポルトガルの旗 ポルト 70 (12)
2012-2015 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 58 (2)
2015 イタリアの旗 パルマ (loan) 5 (0)
2015 ブラジルの旗 グレミオ (loan) 0 (0)
2015-2016 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 26 (3)
2017- ウルグアイの旗 ペニャロール 59 (27)
代表歴
2005  ウルグアイ U-20 9 (5)
2003-2018 ウルグアイの旗 ウルグアイ 110 (11)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年5月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クリスティアン・ガブリエル・ロドリゲス・バロッティCristian Gabriel Rodríguez Barrotti, 1985年9月30日 - )は、ウルグアイコロニア県フアン・ラカセ出身の同国代表サッカー選手CAペニャロール所属。ポジションはミッドフィールダー

経歴

クラブ

2002年CAペニャロールでプロキャリアをスタートさせた。2003年にはプリメーラ・ディビシオン優勝に貢献した。2004年は怪我がありシーズン通して活躍することができなかった。

2005年7月、フランスパリ・サンジェルマンFCへ移籍[2]。しかし期待されたような活躍はできず、2007年2月10日ASモナコ戦で挙げた得点が唯一のゴールとなった。

2007年7月、ポルトガルのSLベンフィカレンタル移籍。同胞のマキシミリアーノ・ペレイラと同時期の加入となった。ベンフィカでは24試合で6得点を記録。翌年の2008年7月、FCポルトに移籍。リサンドロ・ロペスフッキと共に3トップを形成しチームの2冠に貢献した。

2012年、スペインのアトレティコ・マドリードへ自由移籍で加入[3]。契約は4年間。移籍1年目には途中出場がメインながらも33試合に出場しUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献。しかし翌2013-14シーズンではリーグ戦のスタメン出場が2試合に留まるなど徐々に出場機会を失っていった。

2015年1月20日、出場機会を求めてパルマFCへレンタル移籍[4]。しかしクラブの経営状況が悪化し破産危機に陥ったため、3月9日に契約を解除。同時にグレミオへ半年間のレンタル移籍が発表された[5]

2015年7月26日アルゼンチンCAインデペンディエンテへ自由移籍で加入した[6]

2016年末を以て同クラブを去ると、翌年2月1日にCAペニャロールと2年契約を交わし12年振りに古巣クラブへ帰還した[7]

代表

ウルグアイ代表として2003年の18歳のときに親善試合のメキシコ代表戦でデビューした。コパ・アメリカ2007ではベネズエラ代表戦でゴールを決めた。

2010 FIFAワールドカップ・南米予選では全18試合のうち15試合に出場したものの、2009年10月14日のアルゼンチン代表戦でガブリエル・エインセに暴行を働き、退場処分となり、4試合(大陸間プレーオフ2試合と2010 FIFAワールドカップ本大会の最初の2試合)の出場停止を言い渡された。ウルグアイ代表は最終的に本大会では4位に輝いた為、ロドリゲス自身も本大会出場が可能であったが、前評判が低かったチーム事情もあり、結果的に本大会登録メンバーから外されることとなった。コパ・アメリカ2011には招集され、15回目の優勝に貢献した。

タイトル

クラブ

ペニャロール
PSG
ポルト
アトレティコ・マドリード

脚注

  1. ^ 欧州サッカー界の名ニックネームの数 - UEFA.com 2014年1月27日
  2. ^ PSGがウルグアイ代表を獲得 - UEFA.com 2005年7月20日
  3. ^ アトレティコ、ロドリゲス獲得で合意 - UEFA.com 2012年5月29日
  4. ^ 戦力アップを目指すパルマ、バレラに続いてC・ロドリゲスも加入 - Goal.com 2015年1月21日
  5. ^ ウルグアイ代表のC・ロドリゲス、破産危機パルマから移籍 - Goal.com 2015年3月10日
  6. ^ C・ロドリゲスがインデペンディエンテ入り - 超ワールドサッカー 2015年7月26日
  7. ^ El "Cebolla" es aurinegro”. Ovación Digital (2017年2月1日). 2017年5月2日閲覧。

外部リンク