ディエゴ・ルガーノ
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ウルグアイ代表でのルガーノ (2014年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ディエゴ・アルフレド・ルガーノ・モレーノ Diego Alfredo Lugano Moreno | |||||
愛称 | Tota (吠える人) | |||||
ラテン文字 | Diego Lugano | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ウルグアイ イタリア[1] | |||||
生年月日 | 1980年11月2日(44歳) | |||||
出身地 | ウルグアイ・カネローネス | |||||
身長 | 188cm[2] | |||||
体重 | 88kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
-1999 | ナシオナル | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2003 | ナシオナル | 13 | (0) | |||
2001-2002 | → プラサ・コロニア (loan) | 46 | (4) | |||
2003-2006 | サンパウロ | 96 | (8) | |||
2006-2011 | フェネルバフチェ | 125 | (21) | |||
2011-2013 | パリ・サンジェルマン | 12 | (0) | |||
2013 | → マラガ (loan) | 11 | (0) | |||
2013-2014 | WBA | 9 | (1) | |||
2015 | ヘッケン | 11 | (0) | |||
2015 | セロ・ポルテーニョ | 14 | (5) | |||
2016-2017 | サンパウロ | 18 | (2) | |||
代表歴2 | ||||||
2003-2014 | ウルグアイ | 95 | (9) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年7月1日現在。 2. 2016年7月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ディエゴ・アルフレド・ルガーノ・モレーノ(Diego Alfredo Lugano Moreno, 1980年11月2日 - )は、ウルグアイ・カネローネス出身の元サッカー選手。元ウルグアイ代表。ポジションはディフェンダー。主にセンターバックであるが、サンパウロ在籍時には左サイドバックとしてプレーしたこともある[3]。
経歴
[編集]クラブ
[編集]初期の経歴
[編集]少年時代はCAトレス・エスキナス・カネローネス、CAリベルタでプレーし、18歳だった1998年、リベルタからデビューした。1999年にナシオナルに移籍し、1999-2000シーズンにプリメーラ・ディビシオンで優勝した。プラサ・コロニアを経て、2003年にブラジルのサンパウロFCに移籍。オズワルド・オリヴェイラ監督の意見を聞かずに、マルセロ・ポルトゥガル・ゴウベイア会長が独断で獲得を決めたため、ルガーノはhomem do president(会長の男)と呼ばれた[5]。2003年末にオリヴェイラ監督が退任すると、ルガーノの出場機会は増加。2004年にはリーグのベストイレブン(ボーラ・ジ・プラッタ)と最優秀ディフェンダー賞を獲得し、2005年にはカンピオナート・パウリスタ、コパ・リベルタドーレス、FIFAクラブワールドカップの3冠に貢献した。FIFAクラブワールドカップでは最優秀選手賞を受賞し、同年には南米最優秀ディフェセリエA (サッカー)ンダーにも選出された。リーダーシップ[6] や対人プレーの強さ[7] がサポーターの人気を得て[8]、クラブとも良好な関係を築いた[9]。2006年のコパ・リベルタドーレスでは準優勝に貢献した。
フェネルバフチェ
[編集]2006年8月21日、トルコのフェネルバフチェに移籍[10]。契約期間は3年間(1年のオプション付き)で、移籍金は750万ユーロと報じられている。エドゥ・ドラセナとセンターバックのコンビを組み、クラブ創設100周年の記念年となる2006-07シーズンにはリーグ制覇に貢献した。ルガーノは頻繁に攻撃参加することで名高く、セットプレーの際には前線で待機してヘディングでゴールを狙った。守備のしつこさやセットプレー時の壮観さはサポーターに愛され、Talento=才能、Orgullo=誇り、Tecnico=技術、Ambicion=野心のすべてを兼ね備えた選手という意味でTOTAと呼ばれた[11][12]。2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、決勝トーナメント1回戦のセビージャFC(スペイン)戦でヘディングシュートを決め、クラブ初の準々決勝進出に貢献。2009年4月12日に行われたガラタサライとのイスタンブール・ダービーではエムレ・アシクを引っ叩き、レッドカードを提示された上に5試合の出場停止処分を受けた[13]。それ以来、特にGenç Fenerbahçelilerなどのサポーターグループと強い結びつきがある[14][15]。2008-09シーズン終了後にはフェネルバフチェとの契約が満了し、SSラツィオ、ACFフィオレンティーナ、ASローマ(いずれもイタリア)、アヤックス・アムステルダム(オランダ)などがルガーノ獲得に動いたものの、フェネルバフチェとの4年間の新契約にサインした[16]。
パリ・サンジェルマン
[編集]2011年8月27日、フランスのパリ・サンジェルマンFCに移籍[17][18]。移籍金は300万ユーロ。しかし、2011-12シーズンは負傷やコンディション不良などの影響で12試合の出場に終わった[19]。
マラガ
[編集]2013年1月21日、出場機会の減少からスペインのマラガCFにシーズン終了までのレンタル移籍が決定。
WBA
[編集]2013年8月2日、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCへ移籍[20]。
ヘッケン
[編集]代表
[編集]サンパウロFCに在籍していた2004年、ホルヘ・フォサーティ監督によってウルグアイ代表に初招集され、カールスバーグ・カップのイラン戦でデビューした。公式戦デビューは2006 FIFAワールドカップ・南米予選のパラグアイ戦であった[22]。
その後レギュラーの座を獲得し、2006年のイングランド戦で初めてキャプテンマークを腕に巻いた。2007年のコパ・アメリカ2007ではメキシコに次ぐ4位となり、2010 FIFAワールドカップ・南米予選ではウルグアイ代表のキャプテンを務めた。この南米予選では全18試合に出場し、2008年6月14日のベネズエラ戦で挙げた代表初得点を含めて、計3得点を挙げた。大陸間プレーオフのコスタリカ戦ファーストレグでは決勝点となるアウェーゴールを決め、本大会進出に近づく勝利に貢献した。2010 FIFAワールドカップ本大会でもキャプテンを務め、6試合に先発出場。準々決勝のガーナ戦まではフル出場を続けていたものの、この試合の前半で負傷し途中交代した。続く準決勝のオランダ戦は欠場したが、3位決定戦のドイツ戦には復帰し先発出場。敗れはしたものの、ウルグアイの40年ぶりのベスト4進出の立役者となった。同大会では最優秀キャプテンに選出された[23]。コパ・アメリカ2011でもキャプテンとして全6試合にフル出場。ウルグアイの6大会ぶりの優勝に貢献した。2011年10月7日、2014 FIFAワールドカップ・南米予選初戦のボリビア戦で、自身初となる1試合2得点を記録した。
人物
[編集]既婚であり、3人の子どもがいる。長男はフェネルバフチェの下部組織に所属していた[24][25]。ディエゴと同じ11月2日生まれの次男、長女はルガーノがフェネルバフチェに在籍している時にイスタンブールで生まれた[26][27]。1980年代に活躍したウーゴ・デレオンや1990年代以降に活躍したパオロ・モンテーロが自身のヒーローであると語っている[28]。NFL選手のチャド・オチョシンコと面識がある。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- ナシオナル
- プリメーラ・ディビシオン : 1999-2000
- サンパウロ
- カンピオナート・パウリスタ : 2005
- コパ・リベルタドーレス : 2005
- FIFAクラブワールドカップ : 2005
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA : 2006
- フェネルバフチェ
- スュペル・リグ : 2006-07, 2010-11
- テュルキエ・スュペル・クパス : 2007, 2009
代表
[編集]- ウルグアイ代表
個人
[編集]- ボーラ・ジ・プラッタベストイレブン : 2004, 2005
個人成績
[編集]代表での得点
[編集]# | 日時 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
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1. | 2008年6月14日 | モンテビデオ | ベネズエラ | 1-0 | 1-1 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 |
2. | 2008年10月11日 | ブエノスアイレス | アルゼンチン | 1-2 | 1-2 | |
3. | 2009年3月28日 | モンテビデオ | パラグアイ | 2-0 | 2-0 | |
4. | 2009年11月14日 | サンホセ | コスタリカ | 1-0 | 1-0 | 2010 FIFAワールドカップ・予選・大陸間プレーオフ |
5. | 2011年3月29日 | ダブリン | アイルランド | 0-1 | 2-3 | 親善試合 |
6. | 2011年9月2日 | ハルキウ | ウクライナ | 2-2 | 2-3 | |
7. | 2011年10月7日 | モンテビデオ | ボリビア | 2-1 | 4-2 | 2014 FIFAワールドカップ・南米予選 |
8. | 4-1 | |||||
9. | 2013年6月20日 | サルヴァドール | ナイジェリア | 0-1 | 1-2 | FIFAコンフェデレーションズカップ2013 |
脚注
[編集]- ^ バルサとR・マドリー、ルガノを奪い合う livedoorスポーツ、2005年6月17日
- ^ “Player Profile”. www.psg.fr. 2 March 2012閲覧。
- ^ 南アメリカ最強のディフェンス、ルガーノ、フェネルバフチェ移籍へ News from the Middle East、2006年7月18日
- ^ W杯選手名鑑:ディエゴ・ルガーノ Goal.com
- ^ Sangue Celeste, Alma Tricolor 2011年5月11日
- ^ “Uruguay team profile”. Reuters. 2010年6月25日閲覧。 [リンク切れ]
- ^ “Diego Lugano: The Great Wall of Uruguay”. CBC.ca. (2010年6月2日) 2010年6月25日閲覧。
- ^ “No pensé en vivir del fútbol hasta los 18”. El País Uruguay. 2010年1月10日閲覧。
- ^ “Diego Lugano: "Sou torcedor fanático do São Paulo"”. Portal Terra. 2010年6月25日閲覧。
- ^ “Fenerbahçe unveil defender Lugano”. UEFA.com. (22 August 2006) 8 March 2011閲覧。
- ^ “Lugano için pankart açtılar” [Banner opened to Lugano] (Turkish). Fenerbahce.org (16 August 2009). 26 June 2010閲覧。
- ^ Lugano İçin Pankart Açtık! 2009年8月17日
- ^ “” (2009年4月13日). “Lugano beated all players from Galatasaray”. Youtube.com. 2010年6月26日閲覧。
- ^ En Başarılı Lugano Seçildi![リンク切れ]
- ^ “We don't let him go ayaw”. Gfb-europe.com. 2011年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月26日閲覧。
- ^ “Neşeli antrenman [Happy Training]” (Turkish). Fenerbahce.org. (17 August 2009) 8 March 2011閲覧。
- ^ Uruguay captain Diego Lugano leaves Fenerbahce to join PSG
- ^ “Oyuncumuz Diego Alfredo Lugano Morena'nın transferi konusunda Paris Saint-Germain Kulübü ile anlaşmaya varılmıştır” (Turkish). Fenerbahçe (Turkish Public Disclosure System (KAP)). (29 August 2011) 30 August 2011閲覧。
- ^ Diego Lugano’s time in Paris is over Archived 2013年1月17日, at Archive.is Bettor.com
- ^ Diego Lugano à West Bromwich Albion PSG 2013年8月2日
- ^ ルガーノの新天地は北欧に、クラブは「75年の歴史に最も相応しい選手」 Qoly 2015年3月28日
- ^ Lugano é convocado para a Celeste 2004年11月7日
- ^ Uruguay’da Diego furyası
- ^ 08:14 PM (2006年8月18日). “Nicolas Lugano signed with Fenerbahce”. Forumel.biz. 2011年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月26日閲覧。
- ^ “Lugano'nun oğlu Fener'de!” (Turkish). Radikal.com.tr (2006年8月19日). 2010年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月26日閲覧。
- ^ “Lugano Tekrar Baba Oldu” (Turkish). Fenerbahce.org (2 November 2006). 2010年6月26日閲覧。
- ^ “Lugano 3.kez baba oldu” (Turkish). Fenerbahce.org (3 January 2009). 2010年6月26日閲覧。
- ^ “The rock of São Paulo: Lugano on his Brazilian success, Uruguayan struggles”. SouthAmericanFutbol.com (2006年4月12日). 2011年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月25日閲覧。
外部リンク
[編集]- Diego Lugano's official website
- ディエゴ・ルガーノ - トルコサッカー連盟
- World Football Profile
- ディエゴ・ルガーノ - Soccerwayによる個人成績
- Brazil Futpedia
- Information and Pictures about Diego Lugano
- My first World Cup: Diego Lugano BBC Sport
- ウルグアイのサッカー選手
- イタリアのサッカー選手
- サッカーウルグアイ代表選手
- ナシオナル・モンテビデオの選手
- クラブ・プラサ・デ・デポルテス・コロニアの選手
- サンパウロFCの選手
- フェネルバフチェの選手
- パリ・サンジェルマンFCの選手
- マラガCFの選手
- ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCの選手
- BKヘッケンの選手
- セロ・ポルテーニョの選手
- コパ・アメリカ2007出場選手
- コパ・アメリカ2011出場選手
- FIFAワールドカップウルグアイ代表選手
- 2010 FIFAワールドカップ出場選手
- 2014 FIFAワールドカップ出場選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ2013出場選手
- イタリア系ウルグアイ人
- カネロネス県出身の人物
- 1980年生
- 存命人物