ルイス・カルロス・ペレイラ
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名前 | ||||||
本名 |
ルイス・カルロス・ペレイラ Luiz Carlos Pereira | |||||
ラテン文字 | Pereira | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1960年3月6日(64歳) | |||||
出身地 | ブラジル | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1980 | SEプラチネンセ | |||||
1981-1982 | イトゥアーノFC | |||||
1982-1983 | ECサンベント | |||||
1984 | イトゥアーノFC | |||||
1986-1988 | ECバイーア | |||||
1988-1992 | グアラニFC | |||||
1992-1995 | ヴェルディ川崎 | 125 | (9) | |||
1996-1998 | コンサドーレ札幌 | 61 | (8) | |||
1998 | ECサンベント | |||||
通算 | 186 | (17) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ルイス・カルロス・ペレイラ(Luiz Carlos Pereira、1960年3月6日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手。ポジションはDF(センターバック[1])。
経歴
[編集]ブラジル時代
[編集]もともとはFWとしてプレーしていたが、1984年に所属していたイトゥアーノで急遽センターバックを務め、以降はセンターバックを本職とするようになった[2]。1986年にバイアへと移籍した。1988年にはボーラ・ジ・プラッタを受賞した。その後はグアラニーでプレーしていた。1990年5月7日には当時サントスに所属していた三浦知良とも対戦、この時、三浦は1ゴールを挙げた[3]。
ブラジル代表経験は無かったが、何度か代表候補になったことがあった[4]。1990 FIFAワールドカップ時にも代表候補として名前が挙がっていた[5]。
日本での経歴
[編集]当時読売の監督を務めていたペペから誘われ、読売クラブへと移籍した[2]。Jリーグ創設期のヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ)黄金期を支えた屈強なセンターバックで、カバーリングや統率力[6]、セットプレーからの得点力、強烈なフリーキックも武器であった[1]。
Jリーグ開幕戦の横浜マリノス戦において、Jリーグでの第1号ゴールとなったマイヤーのゴールをお膳立てした[7]。Jリーグでの初ゴールは、1993年11月13日のジェフ市原戦[8]。1993年、1994年と2年連続のJリーグ優勝、Jリーグカップ連覇に貢献し、1993年のベストイレブンに選出され、1994年にはベストイレブンと年間最優秀選手賞受賞者をW受賞した[1]。1995年のシーズン終了後、監督のネルシーニョから「新しく若手ブラジル人プレーヤーを獲得した」と、来季は立場が悪くなることを告げられ、退団を決意した[9]。
1996年からは新しく誕生したコンサドーレ札幌へ移籍。ここではピッチ上のみならず、ピッチ外でもチームをまとめるなど[6]、チームに貢献、背番号0(ゼロ)を背負い初代ミスター・コンサドーレと呼ばれた[1]。ブラジル帰国後、ECサンベントでプレーしたが怪我の影響で引退した[6]。
引退後
[編集]引退後は韓国に渡り、水原三星ブルーウィングスの下部組指導指導[6]、その後はウニオン・バルバレンセなどの、指導にあたっていた[6][10]。2015年に自らのアカデミーを設立した[6]。
その他
[編集]マリーニョによると、クラブチームに所属してサッカーを学び始めたのは19歳の頃からで、それまでに養った技術は地元の仲間とのストリートサッカーによるものだった[11]。
所属クラブ
[編集]- 1980年 SEプラチネンセ
- 1981年 - 1982年 イトゥアーノFC
- 1982年 - 1983年 ECサンベント
- 1984年 イトゥアーノFC
- 1986年 - 1988年 ECバイーア
- 1988年 - 1992年 グアラニFC
- 1992年 - 1995年 ヴェルディ川崎
- 1996年 - 1998年 コンサドーレ札幌
- 1998年 ECサンベント
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1992 | V川崎 | - | J | - | 11 | 1 | 5 | 1 | 16 | 2 | |
1993 | 32 | 1 | 7 | 0 | 3 | 1 | 42 | 2 | |||
1994 | 43 | 2 | 3 | 0 | 2 | 0 | 48 | 2 | |||
1995 | 50 | 6 | - | 3 | 0 | 53 | 6 | ||||
1996 | 札幌 | 0 | 旧JFL | 23 | 7 | - | 3 | 0 | 26 | 7 | |
1997 | 3 | 27 | 1 | 5 | 0 | 3 | 2 | 35 | 3 | ||
1998 | J | 11 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 | ||
通算 | 日本 | J | 136 | 9 | 24 | 1 | 13 | 2 | 173 | 12 | |
日本 | 旧JFL | 50 | 8 | 5 | 0 | 6 | 2 | 61 | 10 | ||
総通算 | 186 | 17 | 29 | 1 | 19 | 4 | 234 | 22 |
その他の公式戦
- 1993年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1994年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1995年
- サンワバンクカップ 1試合0得点
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1998年
- J1参入決定戦 1試合0得点
タイトル
[編集]- ヴェルディ川崎
- 個人
- ボーラ・ジ・プラッタ:1回(1988)
- Jリーグベストイレブン:2回(1993、1994)
- Jリーグ年間最優秀選手:1回(1994)
- 日本年間最優秀選手賞:1回(1994)
脚注
[編集]- ^ a b c d “東京ヴェルディ、歴代最強外国籍選手5人。ビスマルクにエジムンド…伝説的ブラジル人の系譜”. data.j-league.. 2020年4月23日閲覧。
- ^ a b “23歳カズとブラジルで対戦したんだ」懐かし名DFペレイラが語る“農場チームからプロ入り+ヴェルディ裏話”「わかるよな、ラモスだ(笑)」”. NUMBER (2023年5月20日). 2023年5月20日閲覧。
- ^ “23歳カズとブラジルで対戦したんだ」懐かし名DFペレイラが語る“農場チームからプロ入り+ヴェルディ裏話”「わかるよな、ラモスだ(笑)」実はブラジルでカズと対戦したんだ”. NUMBER (2023年5月20日). 2023年5月20日閲覧。
- ^ 週刊サッカーマガジン 1995/12/6 p.25
- ^ ワールドサッカーグラフィック 1993//9 p.22-23
- ^ a b c d e f “V川崎“黄金期”のブラジル人DF、6年間の日本生活に感謝”. news.yahoo.co.jp. 2020年6月9日閲覧。
- ^ “「子供が礼儀正しく育ったよ」名手ブラジル人DFと妻が感謝する“Jリーグと日本愛”「イハラはクレバー、ナカヤマは非常に危険で…」”. NUMBER (2023年5月20日). 2023年5月20日閲覧。
- ^ “ペレイラ”. /www.footballchannel. 2020年4月23日閲覧。
- ^ “「子供が礼儀正しく育ったよ」名手ブラジル人DFと妻が感謝する“Jリーグと日本愛”「イハラはクレバー、ナカヤマは非常に危険で…」ファン人気とか意識してる選手はいたね”. NUMBER (2023年5月20日). 2023年5月20日閲覧。
- ^ “イトゥと日本のご縁”. 2014年7月23日閲覧。
- ^ スカパー!「俺に言わせぃ!サッカーおやじ会スペシャル! コパアメリ会!!」2015 #2
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ルイス・カルロス・ペレイラ - FootballDatabase.eu
- ルイス・カルロス・ペレイラ - WorldFootball.net
- ルイス・カルロス・ペレイラ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ルイス・カルロス・ペレイラ - J.League Data Siteによる選手データ