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== 経歴 ==
== 経歴 ==
地元[[USアレッツォ|アレッツォ]]でデビューを果たした後、幾つかのクラブを転々とし、1987-88シーズンに所属した[[SSDパルマ・カルチョ1913|パルマ]]にて初めてコンスタントに出場機会を得る。翌シーズンに移籍した[[UCサンプドリア|サンプドリア]]でブレイクを果たし、さらに[[ASローマ]]にて長く左サイドのレギュラーを務めた。この活躍が認められた形で、1992年、[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]として初キャップを記録後、ローマ退団までの間に18キャップを記録する。
地元[[USアレッツォ|アレッツォ]]でデビューを果たした後、幾つかのクラブを転々とし、1987-88シーズンに所属した[[パルマ・カルチョ1913|パルマ]]にて初めてコンスタントに出場機会を得る。翌シーズンに移籍した[[UCサンプドリア|サンプドリア]]でブレイクを果たし、さらに[[ASローマ]]にて長く左サイドのレギュラーを務めた。この活躍が認められた形で、1992年、[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]として初キャップを記録後、ローマ退団までの間に18キャップを記録する。


しかしながら、カルボーニの名を一躍有名にしたのは[[バレンシアCF]]でのプレーであろう。1997年、32歳と既にベテランに差し掛かっていた彼の挑戦は国外に及ぶ。豊富な経験を生かしたオーバーラップと、年齢を感じさせないスタミナはバレンシアCFにおいても不可欠なものとなり、不動の左サイドバックとして定着。更に、同リーグで活躍していた[[ルイス・フィーゴ]]を1対1で完全に封じることのできる唯一と言ってもいい選手であり、チームにとって非常に貴重な存在であった。タイトルこそ逃したものの1999-2000・2000-01シーズンと連続して[[UEFAチャンピオンズリーグ]]決勝に進出、2003-04シーズンの[[UEFAカップ]]優勝、そして2001-02・2003-04シーズンの[[リーガ・エスパニョーラ]]制覇と黄金期を築いたチームの精神的支柱として存在感を遺憾なく発揮した。欧州カップ戦の出場試合数は100を越え、UEFAカップの優勝によって欧州カップ戦史上最高齢で優勝を果たした選手という記録も保持している。引退前のシーズンこそ出場機会が減ったが、2005年10月23日には40歳6ヶ月と17日という[[ドナト・ガマ・ダ・シウバ|ドナト]]の持っていたリーガ最高齢出場記録を更新するなど、引退間際まで精悍にプレーした。2005-06シーズン最終節にも出場し、41歳と41日で現役時代に幕を下ろしている。
しかしながら、カルボーニの名を一躍有名にしたのは[[バレンシアCF]]でのプレーであろう。1997年、32歳と既にベテランに差し掛かっていた彼の挑戦は国外に及ぶ。豊富な経験を生かしたオーバーラップと、年齢を感じさせないスタミナはバレンシアCFにおいても不可欠なものとなり、不動の左サイドバックとして定着。更に、同リーグで活躍していた[[ルイス・フィーゴ]]を1対1で完全に封じることのできる唯一と言ってもいい選手であり、チームにとって非常に貴重な存在であった。タイトルこそ逃したものの1999-2000・2000-01シーズンと連続して[[UEFAチャンピオンズリーグ]]決勝に進出、2003-04シーズンの[[UEFAカップ]]優勝、そして2001-02・2003-04シーズンの[[リーガ・エスパニョーラ]]制覇と黄金期を築いたチームの精神的支柱として存在感を遺憾なく発揮した。欧州カップ戦の出場試合数は100を越え、UEFAカップの優勝によって欧州カップ戦史上最高齢で優勝を果たした選手という記録も保持している。引退前のシーズンこそ出場機会が減ったが、2005年10月23日には40歳6ヶ月と17日という[[ドナト・ガマ・ダ・シウバ|ドナト]]の持っていたリーガ最高齢出場記録を更新するなど、引退間際まで精悍にプレーした。2005-06シーズン最終節にも出場し、41歳と41日で現役時代に幕を下ろしている。
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2020年2月4日 (火) 11:58時点における版

アメデオ・カルボーニ
名前
ラテン文字 Amedeo CARBONI
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1965-04-06) 1965年4月6日(59歳)
出身地 アレッツォ
身長 180cm
体重 73kg
選手情報
ポジション ディフェンダー (LSB)
利き足 右足
ユース
1975-1983 イタリアの旗 アレッツォ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1986 イタリアの旗 アレッツォ 22 (1)
1983-1984 イタリアの旗 フィオレンティーナ (loan) 0 (0)
1985-1986 イタリアの旗 バーリ (loan) 10 (0)
1986-1987 イタリアの旗 エンポリ 11 (0)
1987-1988 イタリアの旗 パルマ 28 (1)
1988-1990 イタリアの旗 サンプドリア 60 (2)
1990-1997 イタリアの旗 ASローマ 186 (3)
1997-2006 スペインの旗 バレンシア 245 (1)
通算 562 (8)
代表歴
1988  イタリア U-21 1 (1)
1992-1997 イタリアの旗 イタリア 18 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アメデオ・カルボーニ(Amedeo Carboni, 1965年4月6日 - )は、イタリアアレッツォ出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはディフェンダー

経歴

地元アレッツォでデビューを果たした後、幾つかのクラブを転々とし、1987-88シーズンに所属したパルマにて初めてコンスタントに出場機会を得る。翌シーズンに移籍したサンプドリアでブレイクを果たし、さらにASローマにて長く左サイドのレギュラーを務めた。この活躍が認められた形で、1992年、イタリア代表として初キャップを記録後、ローマ退団までの間に18キャップを記録する。

しかしながら、カルボーニの名を一躍有名にしたのはバレンシアCFでのプレーであろう。1997年、32歳と既にベテランに差し掛かっていた彼の挑戦は国外に及ぶ。豊富な経験を生かしたオーバーラップと、年齢を感じさせないスタミナはバレンシアCFにおいても不可欠なものとなり、不動の左サイドバックとして定着。更に、同リーグで活躍していたルイス・フィーゴを1対1で完全に封じることのできる唯一と言ってもいい選手であり、チームにとって非常に貴重な存在であった。タイトルこそ逃したものの1999-2000・2000-01シーズンと連続してUEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出、2003-04シーズンのUEFAカップ優勝、そして2001-02・2003-04シーズンのリーガ・エスパニョーラ制覇と黄金期を築いたチームの精神的支柱として存在感を遺憾なく発揮した。欧州カップ戦の出場試合数は100を越え、UEFAカップの優勝によって欧州カップ戦史上最高齢で優勝を果たした選手という記録も保持している。引退前のシーズンこそ出場機会が減ったが、2005年10月23日には40歳6ヶ月と17日というドナトの持っていたリーガ最高齢出場記録を更新するなど、引退間際まで精悍にプレーした。2005-06シーズン最終節にも出場し、41歳と41日で現役時代に幕を下ろしている。

引退後はバレンシアのスポーツディレクター (SD) に就任。しかし、自ら率先して獲得したイタリア人選手がチームに馴染むことなく次々と退団していき、また監督や数人の主要選手との対立が表面化していた。これが大きな要因となり、2007年にSDを解任されている。

2010-11シーズンからインテルナツィオナーレ・ミラノの監督に就任した、バレンシア時代の恩師ラファエル・ベニテスに誘われ、インテルのアドバイザーに就任。ベニテス退任後は1シーズンのみ同クラブでテクニカルコーチを勤めた。現在はフリー。

選手経歴

イタリアの旗 ACフィオレンティーナ (loan) 1983-1984
イタリアの旗 ASバーリ (loan) 1985-1986