ディエゴ・フゼール
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名前 | ||||||
愛称 | Cavallo Pazzo(Crazy Horse)[1] | |||||
ラテン文字 | Diego Fuser | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1968年11月11日(56歳) | |||||
出身地 | ヴェナリーア・レアーレ | |||||
身長 | 183cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986-1989 | トリノ | 49 | (5) | |||
1989-1990 | ミラン | 20 | (2) | |||
1990-1991 | フィオレンティーナ | 32 | (8) | |||
1991-1992 | ミラン | 15 | (4) | |||
1992-1998 | ラツィオ | 188 | (35) | |||
1998-2001 | パルマ | 86 | (10) | |||
2001-2003 | ローマ | 15 | (2) | |||
2003-2004 | トリノ | 29 | (2) | |||
2004-2008 | カネッリ | 92 | (37) | |||
2008-2009 | サヴィリアネーゼ | 23 | (6) | |||
2009 | カネッリ | 12 | (1) | |||
2010 | ニチェーゼ | 10 | (4) | |||
2012 | コッリーネ・アルフィエリ | 2 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1993-2000 | イタリア | 25 | (3) | |||
監督歴 | ||||||
2010 | ニチェーゼ | |||||
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ディエゴ・フゼール(Diego Fuser、1968年11月11日 - )は、イタリア出身の元サッカー選手。サッカー指導者。元イタリア代表。
経歴
[編集]トリノの下部組織を経て、1986年にトップチームへと昇格した。10月1日に、UEFAカップ1回戦ナント戦の第2戦でプロデビュー。1987年4月26日のユヴェントス戦で、後半から出場し、セリエAデビューを果たした[1]。1987-88シーズンに、リーグ戦16試合、コッパ・イタリア10試合で起用されるなど、出場機会を増やしたが、プレースタイルに対しての批判も受けた[1]。1988-89シーズンには、レギュラーを掴み、リーグ戦30試合でプレーした[1]。
1989-90シーズン、ACミランへと移籍、アリゴ・サッキ監督からは、主にロベルト・ドナドーニやアンジェロ・コロンボらの控え選手として起用されたが、インサイドハーフのポジションで起用されることもあった[1]。1989年11月19日のミラノダービーで移籍後初得点を決めた[1]。いくつかのポジションをこなせる柔軟性があったことも幸いし、このシーズンのリーグ戦、20試合に起用された[1]。また、1989トヨタカップでも先発でプレーして優勝を果たした[1]。
1990-91シーズン、フィオレンティーナにレンタルされ、8ゴールを挙げるなどの活躍を見せた[1]。1991-92シーズン、ミランへ複帰、このシーズンのリーグ戦15試合に出場し4ゴール(クレモネーゼ、トリノ、ラツィオ戦などでゴール[2][3])。また、29節のミラノダービーでは、クロスでダニエレ・マッサーロ決勝点をアシストするなど[4]、スクデット獲得に貢献した[1]。しかし、より多くの出場機会を求め、移籍を選んだ[1]。
1992-93シーズンにラツィオに移籍、リーグ戦33試合で10ゴールを記録するなど、キャリア最高のシーズンを過ごした[1]。また、このシーズンにはイタリア代表にもデビューした。1994-95シーズン、32試合で5得点を決めるなど。良いパフォーマンスを披露し、チームもリーグ2位に入った[1]。1995-96シーズン、リーグ戦32試合で6得点、チームはリーグ3位となった[1]。ラツィオでのラストシーズンとなった、1997-98シーズン、公式戦53試合で10得点を決めた[1]。また、シーズン後半は多くの試合でキャプテンを務め、コッパ・イタリア決勝でACミランを破り、キャプテンとして優勝を果たした[1]。しかし、ロベルト・マンチーニが加入した影響で、チーム内に不協和音が生じるなどがあり、放出される形となった[1]。
1998-99シーズンにパルマに移籍、同年は、コッパイタリア、UEFAカップの優勝に貢献した。3シーズンをほぼレギュラーとして過ごした。2001-02シーズン、ASローマへ移籍、2シーズンを過ごしたが、かつてプレーした、ラツィオのライバルチームに移籍したことで、ラツィオファンから批判も受けた[1]。2003-04シーズン、当時セリエBに属した、古巣のトリノに複帰した[1]。
代表経歴
[編集]1993年から2000年の間、イタリア代表に召集され、25試合で3ゴールを挙げた。1993年2月24日、ワールドカップ予選、ポルトガル戦で先発起用され、代表デビューを果たした[1]。しかし、怪我の影響で、1994年ワールドカップアメリカ大会メンバーから外れた[1]。
1996年、ユーロ1996では全3試合に出場した[1]。1997年にフランスで行われた トゥルノワ・ドゥ・フランスに出場し、1998年のフランスワールドカップ予選でも数試合プレーしたが、本大会のメンバーからは落選した[1]。ディノ・ゾフ監督体制では、中心選手の一人であり、ユーロ2000大会の代表候補の26人に選ばれたが、最終的には怪我の影響で落選した[1][5]。
プレースタイル
[編集]ポジションはMF。主に右サイドハーフやボランチを務めた、スタミナが豊富で、正確なクロスと強烈なミドルシュート、正確なセットプレーを武器に活躍した[6][7][8]。
個人成績
[編集]シーズン | クラブ | リーグ | カップ | 国際大会 | その他 | 合計 | |||||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
1986-87 | トリノ | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | - | - | 5 | 0 |
1987-88 | 16 | 0 | 10 | 0 | - | - | - | - | 26 | 0 | |
1988-89 | 30 | 4 | 8 | 0 | - | - | - | 38 | 4 | ||
1989-90 | ミラン | 20 | 2 | 7 | 0 | 2 | 0 | 2+1 | 0+0 | 32 | 2 |
1990-91 | フィオレンティーナ | 32 | 8 | 6 | 1 | - | - | - | - | 38 | 9 |
1991-92 | ミラン | 15 | 4 | 7 | 0 | - | - | - | - | 22 | 4 |
1992-93 | ラツィオ | 33 | 10 | 5 | 1 | - | - | - | - | 38 | 11 |
1993-94 | 28 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | - | - | 31 | 2 | |
1994-95 | 32 | 5 | 6 | 1 | 7 | 1 | - | - | 45 | 7 | |
1995-96 | 32 | 6 | 4 | 0 | 3 | 0 | - | - | 39 | 6 | |
1996-97 | 31 | 4 | 3 | 0 | 4 | 2 | - | - | 38 | 6 | |
1997-98 | 32 | 8 | 9 | 1 | 10 | 1 | - | - | 51 | 10 | |
1998-99 | パルマ | 32 | 7 | 7 | 0 | 9 | 0 | - | - | 48 | 7 |
1999-00 | 28 | 3 | 1 | 0 | 2+3 | 0+0 | 1 | 0 | 35 | 3 | |
2000-01 | 26 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 | - | - | 36 | 0 | |
2001-02 | ローマ | 12 | 2 | 3 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 19 | 2 |
2002-03 | 3 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | - | - | 7 | 0 | |
2003-04 | トリノ | 29 | 2 | 0 | 0 | - | - | - | - | 29 | 2 |
2004-05 | カネッリ | 17 | 2 | - | - | - | - | - | - | 17 | 2 |
2005-06 | 25 | 11 | - | - | - | - | - | - | 25 | 11 | |
2006-07 | 23 | 8 | - | - | - | - | - | - | 23 | 8 | |
2007-08 | 25 | 9 | - | - | - | - | - | - | 25 | 9 | |
2008-09 | サヴィリアネーゼ | 23 | 6 | - | - | - | - | - | - | 23 | 6 |
2009 | カネッリ | 12 | 1 | - | - | - | - | - | - | 12 | 1 |
2009-10 | ニチェーゼ | 10 | 4 | - | - | - | - | - | - | 10 | 4 |
2012 | コッリーネ・アルフィエリ | 2 | 0 | - | - | - | - | - | - | 2 | 0 |
合計 | 571 | 108 | 85 | 4 | 54 | 4 | 5 | 0 | 715 | 116 |
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x “Diego Fuser, lo chiamavano 'Cavallo Pazzo': dalle sgroppate in campo alle macchinine telecomandate e al FootGolf”. GOAL (2022年11月11日). 2023年8月16日閲覧。
- ^ Forza Milan 、赤と黒の軌跡 JSV
- ^ “Milan 1991-92”. April 15 2017閲覧。
- ^ “SERIE A 1991/92 MILAN vs INTER”. Transfermarkt. 2023年8月16日閲覧。
- ^ http://www.repubblica.it/online/sport/radu/zoff/zoff.html
- ^ “49 GIORNI, TORNA CON LA TRIESTINA Fuser capitano del Toro "Realizzo il mio sogno" E’ stato Ferrante, d’accordo con lo spogliatoio, a cedergli la fascia Rossi riporta Pinga a sinistra ed esclude Rizzato. In forse Tiribocchi” (Italian). lastampa.it. La Stampa (31 March 2015). 13 March 2017閲覧。
- ^ “8 aprile 1987: l'esordio di Diego Fuser, uno degli ultimi "Ragazzi del Fila" ad arrivare in alto” (Italian). toronews.net (8 April 2015). 13 March 2017閲覧。
- ^ Giorgio Svalduz (21 April 1998). “Le prime scelte di Maldini Pagliuca il vice Peruzzi e Moriero giocherà” (Italian). Il Tirreno. 13 March 2017閲覧。