ジャンルイジ・レンティーニ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Gianluigi LENTINI | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1969年3月29日(55歳) | |||||
出身地 | カルマニョーラ | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986-1992 | トリノ | 111 | (16) | |||
1988-1989 | → アンコーナ (loan) | 37 | (4) | |||
1992-1996 | ACミラン | 60 | (13) | |||
1996-1997 | アタランタ | 31 | (4) | |||
1997-2001 | トリノ | 93 | (10) | |||
2001-2004 | コゼンツァ | 70 | (6) | |||
2004-2008 | カネッリ | 74 | (37) | |||
2008-2009 | Saviglianese | 30 | (5) | |||
2009-2011 | Nicese | 8 | (2) | |||
2011-2012 | Carmagnola | ? | (?) | |||
代表歴 | ||||||
1987-1990 | イタリア U-21 | 2 | (0) | |||
1991-1996 | イタリア | 13 | (0) | |||
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ジャンルイジ・レンティーニ(Gianluigi Lentini, 1969年3月29日 - )は、イタリア・カルマニョーラ出身のサッカー選手。イタリア代表である。ポジションはMF、FW。
経歴
[編集]クラブ
[編集]1986年にトリノFCからデビューし、1986-87シーズンと1987-88シーズンはともに11試合に出場した。1988-89シーズンには出場機会を求めてACアンコーナにレンタル移籍したが、トリノFCがセリエB(2部)に降格したため1989年夏に呼び戻された。6得点を挙げる活躍で1シーズンでのセリエA(1部)昇格に貢献し[1]、1992年までトリノFCに在籍した。
1992年の春頃、代理人が既にミランとの仮契約にサインをしていたが、本人はミランへの移籍を何度も拒否し、契約書にサインをする当日にもキャンセルすることを考えたが、周囲の説説により[2]、当時の移籍金世界最高額となる1300万ポンド(約30億円)でACミランに移籍した。1992-93シーズンは30試合に出場7ゴールを決めただけでなく、チームメートへのアシストも多く決め、セリエA優勝に貢献した[2]。UEFAチャンピオンズリーグ決勝進出にも貢献、決勝でも先発したが、オリンピック・マルセイユに敗れた。
1993-94シーズン開幕を控えた、8月に自動車事故を起こし、開放骨折と眼球の損傷を負ったため[3]、1993-94シーズン途中、コッパ・イタリアのピアチェンツァ戦で約3ヵ月振りに復帰したが、以降決して怪我の前のプレー振りに戻ることはなかった[2]。そのシーズンのリーグ戦では、9試合に出場したのみに終わり、チャンピオンズリーグやセリエAの優勝を果たしたチームには貢献出来なかった[2]。
1994-95シーズン後半戦、7試合で5ゴールを決めるなど、好調を維持していたが、チャンピオンズリーグ決勝のアヤックス戦では僅か5分間の出場時間、チームは0-1で敗れた[2]。この頃から、カペッロとの諍いも起こっていた[2]。1995-96シーズン、チームはリーグ優勝を果たしたが、出場機会を求め、このシーズン限りでミランを離れた。
1996年にはアタランタBCに移籍、比較的良いシーズンを送り、31試合に出場、4得点を挙げた[2]。1997年、当時セリエBの古巣トリノに移籍金200万ポンドで移籍した。このシーズンの終盤、ペルージャ戦ではマルコ・マテラッツィからの酷いタックルを受けて負傷した[2]。チームは1999-00シーズンにセリエA複帰、自身はこのシーズン、2000年4月6日のACミラン戦でセリエAでの最後の試合出場をした[2]。チームからは監督就任のオファーを受けていたが、プレーを続けることを選択した[2]。2001年から2004年まではエッチェッレンツァ(6部相当)のコゼンツァ・カルチョ1914に在籍し、その後も地域リーグのクラブでプレーしていた。
引退後は蜂蜜を売る商売をしている[4]。
代表
[編集]1991年2月13日のベルギー戦で代表デビューを果たした[2]。1992年2月19日のサンマリノ戦で代表初得点を挙げた。
1994 FIFAワールドカップに向けた、イタリア代表の主要メンバーの一人になりつつあったことから、アリゴ・サッキ代表監督は、怪我後の様態を定期的に尋ねる電話をかけていたが、コンディションは戻らず、ワールドカップへの出場を逃した[2][4]。1996年11月、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦で代表復帰したが、その試合が代表ラストゲームになった[5]。
タイトル
[編集]- トリノFC
- ACミラン
- セリエA:3回 (1992-93, 1993-94, 1995-96)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:3回 (1992, 1993, 1994)
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回 (1993-94)
- UEFAスーパーカップ:1回 (1994)
脚注
[編集]- ^ Daz Pearce. “Calcio Retro - the Lentini story”. footballitaliano.co.uk. 2010年8月25日閲覧。 [リンク切れ]
- ^ a b c d e f g h i j k l “Gianluigi Lentini, l'ala del futuro cui un incidente impedì di essere un fuoriclasse” (2023年3月17日). 2023年7月28日閲覧。
- ^ “Lentini 'will recover' from car crash injuries”. The Independent (1993年8月4日). 2010年1月10日閲覧。
- ^ a b “レンティーニの不思議な人生。移籍金世界最高額の元ミラン選手がハチミツ専門家に? ミランへの移籍とプロ人生を台無しにした事故”. フットボールトライブ (2020年2月28日). 2022年2月4日閲覧。
- ^ http://www.figc.it/nazionali/DettaglioConvocato?codiceconvocato=24&squadra=1