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ダニエレ・マッサーロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダニエレ・マッサーロ
2010年のマッサーロ
名前
本名 ダニエレ・エミリオ・マッサーロ
Daniele Emilio Massaro
ラテン文字 Daniele MASSARO
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1961-05-23) 1961年5月23日(63歳)
出身地 モンツァ
身長 179cm
体重 74kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1979–1981 イタリアの旗 モンツァ 60 (10)
1981–1986 イタリアの旗 フィオレンティ―ナ 140 (11)
1986–1995 イタリアの旗 ミラン 209 (51)
1988–1989 イタリアの旗 ローマ (loan) 30 (5)
1995–1996 日本の旗 清水エスパルス 20 (10)
通算 459 (87)
代表歴
1982-1994 イタリアの旗 イタリア 15 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダニエレ・マッサーロ(Daniele Massaro、1961年5月23日 - )は、イタリアモンツァ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションは主にFW、初期は主にMF[1]DFを務めたこともある。

クラブ経歴

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初期からフィオレンティーナ時代にかけて

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ブリアンツァというクラブのユースでサッカーを始めた[2]。この13歳の頃、得点力の高い中盤の選手として目立つ存在であった[2]。この頃、アタランタやミランのトライアウトなども受けていたという[2]。ある日、ACモンツァのスカウトの目に留まり、1979-80シーズンにプロの選手生活をスタートさせた[3][2]。1981-82シーズン、フィオレンティーナに移籍。すぐにチームに適応し、1982年2月28日にセリエAでの初得点を記録するなど、イタリア代表に選出された[2]。5シーズンを過ごし、181試合で15得点を挙げた[2]。1985年12月にはグエリンスポルティーボ誌の最優秀選手賞を受賞したが、その授賞式で、ユヴェントスから獲得の意思を告げられ、シーズン終了後、移籍に向けて話し合うことになっていた[2]。しかし、新たにACミランの会長になるシルヴィオ・ベルルスコーニに勧誘され、子供のころからプレーすることを望んでいた、ミランへの移籍を決めた[2]

ACミラン

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1986-87シーズン、にACミランへ移籍。8シーズンに渡ってミランに在籍[3]、ミラン通算306試合70得点の成績を残した[2]。途中出場で度々得点を決めるなど、ミランの黄金期を支え、決勝ゴールを挙げることが多かったことから「決勝点の男」の異名を取った[4]。また困難な状況に追い込まれた試合でも勝利に貢献し、ミランのファンから「プロビデンス」というニックネームが付けられた[5]。加入初年度は怪我に見舞われ、22試合で2得点を挙げるに留まったが、UEFAカップ出場権をかけたプレーオフのサンプドリア戦では1得点を決めて、出場権獲得に貢献した[2]。1987-88シーズンにアリゴ・サッキ新監督が就任するにあたり、サッキからは、構想外であると言い渡されたが、ウイング的役割の控え選手としてプレー、優勝に貢献した[2]。1988-89シーズン、出場機会を求め、ASローマへローン移籍した[2]。翌1989-90シーズン、ミランに複帰、ルート・フリットが怪我で離脱したこともあり、セカンドストライカーとして出場機会を増やし、公式戦48試合で15得点を記録した[2][6]

ファビオ・カペッロの監督就任後は本格的にFWとして起用されるようになり[1]、1991-92シーズン、第29節のミラノダービーでの決勝点など[7]、9得点を挙げ[8]、ミランのリーグ戦無敗優勝に貢献。

1993-94シーズン、マルコ・ファンバステンジャン=ピエール・パパンの怪我などの中[1]トヨタカップでのサンパウロFCとの対戦で先発出場し、1ゴール1アシストの活躍後は[9]、ほぼレギュラーの座を掴み、リーグ第20節から30節までの10試合で8ゴールを奪い[7]、(第27節のサンプドリア、第30節のパルマといった優勝を争うチームとの対戦や、第28節のインテルとのダービーでは決勝点を決めた[7]。)リーグ戦ではチームトップの11得点を挙げ、ミランのセリエA3連覇に貢献[1]、イタリアのスポーツ誌 Guerin Sportivoが選ぶ年間最優秀選手賞にも選ばれた[10]。またチャンピオンズリーグでも準決勝のASモナコ戦でダメ押しゴールで[7]決勝進出に貢献、FCバルセロナとの決勝では2得点を挙げ優勝に貢献した[3][11][1]。このシーズンの公式戦47試合で16得点を決めた[2]

翌1994-95シーズン、怪我での離脱もあって目立った活躍が出来ず。トヨタカップベレス・サルスフィエルド戦では、数回の決定的チャンスを迎えたが、チラベルトの好守もあり、得点を決められなかった[12]欧州スーパーカップアーセナルFCとの第2戦では2-0へとリードを広げるゴールを決め[7]、優勝に貢献した[2]

清水エスパルス

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インテル会長のエルネスト・ペッレグリーニから白紙の小切手を提示され、「給料の2倍を書いてくれ」と[13]、インテルなどセリエAの他チームからのオファーを受けたが、Jリーグ・清水エスパルスへ移籍[4]。1995年のオペルカップでACミランの選手として、清水エスパルスとの親善試合に参加、怪我で出場はしなかったが[4]、試合後記者会見が行われ、清水エスパルスへの移籍が正式に発表された[4]

清水ではセカンドステージから登場、8月16日、第2節の浦和レッズ戦でJリーグ初ゴールを決め[14]、9月6日の第7節名古屋グランパス戦、9月13日の第9節鹿島アントラーズ戦でもゴールを決めたが、その後は大怪我で欠場、初年度は9試合3ゴールに終わった[15]。1996年4月13日の第7節のベルマーレ平塚戦ではハットトリックを達成するなど[16]、在籍2シーズンの間に20試合に出場し10得点を記録した[5]。その後、監督のオズワルド・アルディレスの構想から外れ、スタンド観戦に回るようになり、同クラブを退団後に選手生活から引退した。

代表経歴

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イタリア代表としては1982年4月14日に行われた東ドイツ代表との国際親善試合でデビュー[17]、同年のスペインW杯では出場こそなかったが、優勝メンバーの一員となった[2]。1986年2月5日に行われた西ドイツ代表との国際親善試合以降、代表からは遠ざかった[17]

1994年に8年ぶりに代表に招集されると、同年3月23日のドイツ代表との親善試合で出場を果たした[17]、同年のアメリカW杯のメンバーにも選ばれ、グループリーグのメキシコ代表戦ではボレーシュートで1得点を挙げる活躍を見せ[18](このゴールは2020年10月にフランチェスコ・カプートに破られるまでイタリア代表最年長初ゴール記録であった[19])、この得点で引き分け、チームは決勝トーナメント進出した[2]ブラジル代表との決勝戦では相手ゴールを脅かすボレーシュートを放ったが得点には至らず。またPK戦のキッカーとして挑むもフランコ・バレージロベルト・バッジョと共に失敗して、イタリアは準優勝という結果に終わった[20]。公式戦においての、キャリアで初めて務めたPKキッカーであった[2]。イタリア代表としての通算成績は国際Aマッチ15試合出場1得点[17]

引退後

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引退後はビーチサッカー選手としてビーチサッカーイタリア代表英語版に選出されたほか、ゴルフ世界ラリー選手権など様々なスポーツイベントに参加した[21]。このほか、古巣のACミランの広報や、日本静岡県静岡市の「お茶大使」も務めている[22][23]

政党はミラン会長のシルヴィオ・ベルルスコーニが党首を務めるフォルツァ・イタリアを支持している[21]。2016年5月には政治家へ転身する意向を示し[21]、同年6月のミラノ市議会議員選挙に立候補したが、384票を獲得したのみで落選した[24]

個人成績

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クラブでの成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1979-80 モンツァ セリエB 24 5
1980-81 36 5
1981-82 フィオレンティーナ セリエA 29 1
1982-83 30 5
1983-84 29 1
1984-85 26 2
1985-86 26 2
1986-87 ミラン 22 2 1 0 1 1 24 3
1987-88 26 4 5 1 2 0 33 5
1988-89 ローマ 30 5
1989-90 ミラン 30 10 8 3 11 2 48 15
1990-91 21 6 6 1 5 0 32 7
1991-92 32 9 6 0 - - 38 9
1992-93 29 5 7 2 10 3 46 10
1993-94 29 11 3 0 15 5 47 16
1994-95 19 3 1 0 11 2 31 5
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995 清水 - J 9 3 - 0 0 9 3
1996 11 7 5 1 0 0 16 8
通算 イタリア セリエA 377 66
イタリア セリエB 60 10
日本 J 20 10 5 1 0 0 25 11
総通算 457 86

代表での成績

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出典[17]


イタリア代表国際Aマッチ
出場得点
1982 1 0
1983 0 0
1984 3 0
1985 1 0
1986 1 0
1987 0 0
1988 0 0
1989 0 0
1990 0 0
1991 0 0
1992 0 0
1993 0 0
1994 9 1
合計 15 1

脚注

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  1. ^ a b c d e The five players Fabio Capello made superstars-BBC,12:01AM GMT 16 Dec 2007
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Daniele Massaro, da 'Beep Beep' a 'Provvidenza' nel Grande Milan”. GOAL (2023年3月23日). 2023年8月3日閲覧。
  3. ^ a b c Daniele massaro: scheda tecnica calciatore”. AC Milan. 2017年7月25日閲覧。
  4. ^ a b c d 週刊 サッカーダイジェスト NO. 271 1995 7/5 21P
  5. ^ a b AC MILAN -Daniele Massaro-KVH JAPAN
  6. ^ Daniele Massaro 1989-90”. Transfermarkt. 2023年8月3日閲覧。
  7. ^ a b c d e Daniele Massaro All goals”. wwwtransfermarket.com. 26 April 2020閲覧。
  8. ^ Daniele MASSARO -L`EQUIPE
  9. ^ 連載 週刊サッカーダイジェスト・メモリアルアーカイブ その3 ― 1993年12月29日号 -SOCCERDIGESTWEB 2015年03月08日
  10. ^ Guerin d'Oro-Italy - Footballer of the Year
  11. ^ Milan find perfect pitch in dream final”. UEFA.com (1994年5月18日). 2017年7月25日閲覧。
  12. ^ 週刊サッカーダイジェスト NO.245 1994年 P.4-8
  13. ^ マッサーロ氏、18歳GKの契約拒否に「私はミランを尊重して日本行きを選んだ」-footballchannel 2017年6月16日
  14. ^ 1995年8月16日 レッズvsエスパルス-J.league data 2018.2.19日閲覧
  15. ^ “HISTORY of SHIMIZU S-PULSE since 1991 1995年”. www.s-pulse.co.jp. https://www.s-pulse.co.jp/club/history/1995/ 8 April 2020閲覧。 
  16. ^ ハットトリック一覧-Jleague Data site 2018年2月10日
  17. ^ a b c d e Daniele Massaro - International Appearances”. rsssf.com. 2017年7月25日閲覧。
  18. ^ Mondiali 1994: Italia-Messico 1-1-]-strie dicalcio 2018年1月8日
  19. ^ 「スキラッチの再来?」33歳の遅咲きFWがイタリア代表デビュー戦で“最年長初ゴール”を記録!元Jリーガーのレコードを更新”. www.soccerdigestweb. 12 October 2020閲覧。
  20. ^ Mondiali 1994: Brasile-Italia 0-0; 3-2 d.c.r-strie dicalcio 2018年1月8日
  21. ^ a b c 元清水のマッサーロ、政治家に転身へ”. Qoly.jp (2016年5月12日). 2017年7月25日閲覧。
  22. ^ インテル相手にハットトリックのカリニッチ、ミランも狙っていた?”. Qoly.jp (2015年10月1日). 2017年7月25日閲覧。
  23. ^ お茶大使に元清水マッサーロ氏 静岡市が新設、依頼”. 静岡新聞 (2016年10月4日). 2017年7月25日閲覧。
  24. ^ Vip 'bocciati', 31 voti a Simona Tagli e 384 a Massaro”. Agi.it (2016年10月4日). 2017年7月25日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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