アゼリオ・ビチーニ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Azeglio Vicini | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1933年3月20日 | |||||
出身地 | チェゼーナ | |||||
没年月日 | 2018年1月30日(84歳没) | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アゼリオ・ビチーニ(Azeglio Vicini、1933年3月20日 - 2018年1月30日)は、イタリア・チェゼーナ出身の元サッカー指導者、元サッカー選手。
経歴
[編集]イタリアU-21代表監督を長く務め、1986年に地元開催のワールドカップを4年後に控えた イタリア代表の監督に就任する[1]。U-21監督時代の教え子を数多く登用し、従来のイタリア=守備的のイメージを払拭しようと努めたが、FWのジャンルカ・ビアリの相方だけは最後まで決まらずそれが最後まで圧し掛かる。
迎えた1990年のワールドカップ・イタリア大会、ビアリが負傷した事もあり、国民に人気の高いロベルト・バッジョ、サルヴァトーレ・スキラッチの2トップを起用し、順調に準決勝まで進んだが、準決勝アルゼンチン戦でバッジョを外し、ビアリを先発で起用。PK戦の末に準決勝敗退となった。
1991年にUEFA欧州選手権1992予選の敗退の責任を取って辞任した[1]。
2018年1月31日、地元のブレシアで死去した[2]。死因は非公表[3]。
選手歴
[編集]指導歴
[編集]- 1967-1968 ブレシア
- 1975-1976 イタリアU-23代表
- 1976-1986 イタリアU-21代表
- 1986-1991 イタリア代表
脚注
[編集]- ^ a b “サッカー元イタリア代表監督死去ビチーニ氏、W杯3位に導く”. デイリーサッカー (2018年1月31日). 2019年12月19日閲覧。
- ^ “元イタリア代表監督、ビチーニ氏が死去”. サンケイスポーツ (2018年1月31日). 2018年1月31日閲覧。
- ^ “元イタリア代表監督のビチーニ氏が死去 84歳”. 日刊スポーツ (2018年2月1日). 2019年12月11日閲覧。