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2002-2003シーズン、セリエBの[[SSCナポリ]]監督に就任するが、途中解任と復帰という混乱で15位に終わる。2003-2004シーズン、レッジーナ監督に再度就任したものの、成績不振で解任された。このシーズンは[[中村俊輔]]を指導している。翌シーズン、セリエAに昇格した[[ASリヴォルノ・カルチョ]]の監督に就任したが、突如解任され、[[ロベルト・ドナドーニ]]が後任となった。[[2005年]]10月、セリエBの[[USアヴェッリーノ1912]]監督に就任するも、[[USアルビーノレッフェ]]とのプレーオフに敗れて降格となった。
2002-2003シーズン、セリエBの[[SSCナポリ]]監督に就任するが、途中解任と復帰という混乱で15位に終わる。2003-2004シーズン、レッジーナ監督に再度就任したものの、成績不振で解任された。このシーズンは[[中村俊輔]]を指導している。翌シーズン、セリエAに昇格した[[ASリヴォルノ・カルチョ]]の監督に就任したが、突如解任され、[[ロベルト・ドナドーニ]]が後任となった。[[2005年]]10月、セリエBの[[USアヴェッリーノ1912]]監督に就任するも、[[USアルビーノレッフェ]]とのプレーオフに敗れて降格となった。


[[2006年]]12月、[[マルコ・ジャンパオロ]]の後任として[[カリアリ・カルチョ]]監督に任命されるも、短期間で解任。2007-2008シーズンは[[レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ]]のヴェローナ監督に就任したが、成績不振で解任。2008-2009シーズンはセリエBの[[アスコリ・ピッキオFC 1898|アスコリ・カルチョ]]で残留に成功。[[2009年]]10月、[[ジュゼッペ・パパドプーロ]]の後任として、ボローニャ監督に就任し、17位で残留に成功した。[[2010年]][[8月29日]]、開幕戦直前に[[セルジオ・ポルチェッダ]]新会長と対立し解任された<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/1011/headlines/20100830-00000015-spnavi-socc.html スポーツナビ(2010年8月30日) ボローニャ、開幕戦前日にコロンバ監督を解任](2010年9月21日閲覧) </ref>。その後、[[2011年]][[4月5日]]に降格圏内から勝ち点2差の16位と低迷していた[[SSDパルマ・カルチョ1913|パルマFC]]の監督に[[パスクアーレ・マリーノ]]の後任として就任<ref>[http://www.rs.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2011/04/06/2427866/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%90%E6%96%B0%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%8C%E5%B0%B1%E4%BB%BB パルマ、コロンバ新監督が就任]Goal.com 2011年4月6日</ref>。就任後の7試合は4勝2分1敗の好成績を残し、前年のボローニャに続いて残留を果たした。しかし2011-12シーズンは一転して不振に陥り、[[2012年]][[1月8日]]に解任された。
[[2006年]]12月、[[マルコ・ジャンパオロ]]の後任として[[カリアリ・カルチョ]]監督に任命されるも、短期間で解任。2007-2008シーズンは[[レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ]]のヴェローナ監督に就任したが、成績不振で解任。2008-2009シーズンはセリエBの[[アスコリ・ピッキオFC 1898|アスコリ・カルチョ]]で残留に成功。[[2009年]]10月、[[ジュゼッペ・パパドプーロ]]の後任として、ボローニャ監督に就任し、17位で残留に成功した。[[2010年]][[8月29日]]、開幕戦直前に[[セルジオ・ポルチェッダ]]新会長と対立し解任された<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/1011/headlines/20100830-00000015-spnavi-socc.html スポーツナビ(2010年8月30日) ボローニャ、開幕戦前日にコロンバ監督を解任](2010年9月21日閲覧) </ref>。その後、[[2011年]][[4月5日]]に降格圏内から勝ち点2差の16位と低迷していた[[パルマ・カルチョ1913|パルマFC]]の監督に[[パスクアーレ・マリーノ]]の後任として就任<ref>[http://www.rs.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2011/04/06/2427866/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%90%E6%96%B0%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%8C%E5%B0%B1%E4%BB%BB パルマ、コロンバ新監督が就任]Goal.com 2011年4月6日</ref>。就任後の7試合は4勝2分1敗の好成績を残し、前年のボローニャに続いて残留を果たした。しかし2011-12シーズンは一転して不振に陥り、[[2012年]][[1月8日]]に解任された。


2012年12月、セリエBの[[カルチョ・パドヴァ]]の監督に就任<ref>[http://www.padovacalcio.it/news/2012/0-News/5307-franco_colomba_nuovo_allenatore_padova Padova Calcio(2012年12月17日) FRANCO COLOMBA NUOVO ALLENATORE DEL CALCIO PADOVA](2013年1月20日閲覧) </ref>。
2012年12月、セリエBの[[カルチョ・パドヴァ]]の監督に就任<ref>[http://www.padovacalcio.it/news/2012/0-News/5307-franco_colomba_nuovo_allenatore_padova Padova Calcio(2012年12月17日) FRANCO COLOMBA NUOVO ALLENATORE DEL CALCIO PADOVA](2013年1月20日閲覧) </ref>。

2020年2月4日 (火) 12:18時点における版

フランコ・コロンバ
2008年のコロンバ
名前
ラテン文字 Franco Colomba
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1955-02-06) 1955年2月6日(69歳)
出身地 グロッセート
選手情報
ポジション MF
ユース
イタリアの旗 ボローニャ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1973-1983 イタリアの旗 ボローニャ 168 (6)
1975-1976 イタリアの旗 モデナ (loan) 28 (1)
1976-1977 イタリアの旗 サンベネデッテーゼ英語版 27 (1)
1983-1988 イタリアの旗 アヴェッリーノ 132 (14)
1988-1990 イタリアの旗 モデナ 48 (1)
1973-1990 通算 403 (23)
監督歴
1990-1992 イタリアの旗 モデナ(ユース)
1992-1993 イタリアの旗 SPAL(ユース)
1993-1994 イタリアの旗 オルビア
1994-1995 イタリアの旗 ノヴァーラ
1995-1997 イタリアの旗 サレルニターナ
1997-1998 イタリアの旗 レッジーナ
1998-1999 イタリアの旗 ヴィチェンツァ
1999-2002 イタリアの旗 レッジーナ
2002-2003 イタリアの旗 ナポリ
2003 イタリアの旗 レッジーナ
2004-2005 イタリアの旗 リヴォルノ
2005-2006 イタリアの旗 アヴェッリーノ
2006-2007 イタリアの旗 カリアリ
2007 イタリアの旗 ヴェローナ
2008-2009 イタリアの旗 アスコリ
2009-2010 イタリアの旗 ボローニャ
2011-2012 イタリアの旗 パルマ
2012-2013 イタリアの旗 パドヴァ
2014 インドの旗 プネー・C
2016 イタリアの旗 リヴォルノ
1. 国内リーグ戦に限る。2017年4月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フランコ・コロンバFranco Colomba, 1955年2月6日 - )は、イタリアグロッセート出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションミッドフィールダー

経歴

現役時代はミッドフィールダーとして、ボローニャFCモデナFCなどでプレーした。1990年に引退。 引退後はモデナで監督業を始めた。1997年にはセリエBレッジーナ・カルチョ監督に就任。翌年にはセリエAヴィチェンツァ・カルチョ監督に就任するも解任。1999年、レッジーナ監督に復帰して3シーズンを過ごした。エラス・ヴェローナFCに敗れてセリエB降格(2001年)、セリエA昇格を経験(2002年)。

2002-2003シーズン、セリエBのSSCナポリ監督に就任するが、途中解任と復帰という混乱で15位に終わる。2003-2004シーズン、レッジーナ監督に再度就任したものの、成績不振で解任された。このシーズンは中村俊輔を指導している。翌シーズン、セリエAに昇格したASリヴォルノ・カルチョの監督に就任したが、突如解任され、ロベルト・ドナドーニが後任となった。2005年10月、セリエBのUSアヴェッリーノ1912監督に就任するも、USアルビーノレッフェとのプレーオフに敗れて降格となった。

2006年12月、マルコ・ジャンパオロの後任としてカリアリ・カルチョ監督に任命されるも、短期間で解任。2007-2008シーズンはレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネのヴェローナ監督に就任したが、成績不振で解任。2008-2009シーズンはセリエBのアスコリ・カルチョで残留に成功。2009年10月、ジュゼッペ・パパドプーロの後任として、ボローニャ監督に就任し、17位で残留に成功した。2010年8月29日、開幕戦直前にセルジオ・ポルチェッダ新会長と対立し解任された[1]。その後、2011年4月5日に降格圏内から勝ち点2差の16位と低迷していたパルマFCの監督にパスクアーレ・マリーノの後任として就任[2]。就任後の7試合は4勝2分1敗の好成績を残し、前年のボローニャに続いて残留を果たした。しかし2011-12シーズンは一転して不振に陥り、2012年1月8日に解任された。

2012年12月、セリエBのカルチョ・パドヴァの監督に就任[3]

2014年シーズンにISLFCプネー・シティに招聘され、初めて国外で指揮を執った[4]。2016年3月21日にリヴォルノの監督に復帰したが、翌月16日に解任されることが発表された[5]

脚注

外部リンク