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「上見附駅」の版間の差分

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2020年2月15日 (土) 10:23時点における版

上見附駅
上見附駅跡。奥が長岡・栃尾方向でここは駅の終端部。車のある家およびその左隣の家辺りに駅舎があった。(2010年8月20日撮影)
かみみつけ
Kamimitsuke
名木野 (1.0 km)
(2.2 km) 明晶
地図
所在地 新潟県見附市
北緯37度31分24.9秒 東経138度55分22秒 / 北緯37.523583度 東経138.92278度 / 37.523583; 138.92278座標: 北緯37度31分24.9秒 東経138度55分22秒 / 北緯37.523583度 東経138.92278度 / 37.523583; 138.92278
所属事業者 越後交通
所属路線 越後交通栃尾線
キロ程 15.0 km(悠久山起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面4線
開業年月日 1915年(大正4年)2月14日
廃止年月日 1975年(昭和50年)4月1日
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上見附駅(かみみつけえき)は、かつて新潟県見附市に存在した、越後交通栃尾線である。1975年昭和50年)4月1日、栃尾線の全線廃止により廃駅となった。駅舎は構内跡地とともに長らく越後交通見附営業所社屋およびバスターミナルとして利用されたが、建物の老朽化と営業所の機能縮小により2003年平成15年)に解体された。現在、駅跡地は越後交通が分譲する住宅地となっている。

歴史

  • 1915年大正4年)2月14日 - 浦瀬 - 栃尾が栃尾鉄道として開通したことに伴い開業。この当時は刈谷田川の南岸にあった。
  • 1919年(大正8年)12月25日 - 駅舎を移転。スイッチバック式構内となる。[疑問点]「スイッチバックと刈谷田川橋梁」欄に記載のような事情で、この当時もまだ刈谷田川の南岸にあったが[1]、河川改修後同川の北岸側となる。
  • 1965年昭和40年) - 道路建設に伴い、駅が南側へ約40m移動[2]。駅舎も移転し、三代目となる。
  • 1973年(昭和48年) - 当駅から栃尾駅の区間が廃止。これに伴いスイッチバックが解消された。
  • 1975年(昭和50年)4月1日 - 全線廃止に伴い廃止。

現状

周辺のバス路線図。現在もバスの運行拠点となっている。

旧駅舎が取り壊されたのち、越後交通見附バスセンターが設置され、案内所業務のみ継続。1998年、バスセンターは西側に移転し(従って現在のバスターミナルは駅跡地ではない)、旧駅跡は売却され住宅地となっている。旧駅の位置にある時代から車庫機能はなく、待機所機能のみ残っているが、停留所としての名前は「上見附車庫前」のままとなっている。

隣の駅

越後交通
越後交通栃尾線
名木野駅 - 上見附駅 - 明晶駅

スイッチバックと刈谷田川橋梁

「ふれあい橋」。写真奥が上見附方。左がかつての長岡方面、右が栃尾方面の線路に相当する。

当駅はいったんはスイッチバック式でない駅として開業したものの、開業後にスイッチバック式に転換された特異な駅である。これは、「駅をより市街地に移転させたい」という見附町民からの強い要望があったことが理由である。本線の形状はほぼそのままに、上見附駅の周辺だけルートを変更したことによって生じた。[要出典]
駅移転と同年、1919年より刈谷田川の河川改修が開始され[3]、見附市街に大きく食い込んでいた河川の流路が直線状に改められることとなった[注釈 1]。この結果、新河道を渡る必要が生じたことから単線並列の橋梁が建設され、廃線後も長らくそのままとされていたが、平成に入ってから歩行者専用の「ふれあい橋」として架け替えられた。7.13水害の後には栃尾線と同水害について書かれた看板が名木野方の袂に設置されていたが、2014年までに撤去されている。

注釈

  1. ^ 戦前の地形図[4]にてスイッチバック新駅が旧刈谷田川南岸に存在している状況を確認することができる

脚注

出典