「上北谷駅」の版間の差分
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|画像説明 = 駅跡地付近に建つバス待合所。2008年8月18日撮影。{{Infobox mapframe|zoom=13}} |
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2020年2月15日 (土) 11:01時点における版
上北谷駅 | |
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駅跡地付近に建つバス待合所。2008年8月18日撮影。 | |
かみきただに Kamikitadani | |
◄太田 (0.8 km) (2.6 km) 楡原► | |
所在地 | 新潟県見附市神保町 |
所属事業者 | 越後交通 |
所属路線 | 越後交通栃尾線 |
キロ程 | 21.9 km(悠久山起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1915年(大正4年)6月28日 |
廃止年月日 | 1973年(昭和48年)4月16日 |
上北谷駅(かみきただにえき)は、かつて新潟県見附市神保町(上北谷地区)に存在した、越後交通栃尾線の駅である。1973年(昭和48年)4月16日、栃尾線の部分廃止により廃駅となった。
歴史
- 1915年(大正4年)6月28日 - 栃尾鉄道上北谷(初代)-栃尾間に上太田駅[注釈 1]として新潟県古志郡上北谷村に新設される[1]。
- 1929年(昭和4年) 上北谷駅に改称。同時にそれまでの上北谷駅は太田駅に改称される。
- 1956年(昭和31年)11月20日 - 社名変更に伴い栃尾電鉄の駅となる。
- 1960年(昭和35年)10月1日 - 長岡鉄道、中越自動車との3社合併により越後交通の駅となる。
- 1973年(昭和48年) - 上見附-栃尾間廃止に伴い廃駅となる。
構造
開業当初は交換施設のない1面1線だったとみられる[2]。拡張時期は不明だが、廃止時は相対式ホームを持つ2面2線。
駅周辺
- 上北谷公民館・上北谷地区ふるさとセンター
- 上北谷郵便局
- 見附市立上北谷小学校
- 東福寺
- 羽黒神社 (長岡市小貫) - 阪神電気鉄道初代社長、外山脩造と関わりがある。後年になって顕彰碑が建てられた。
バス路線
越後交通 上北谷バス停
- 急行長岡駅前=見附=栃尾(楡原トンネル経由、小貫経由)
駅跡
刈谷田川橋梁から続く栃鉄サイクリングロードの終点となり、敷地は一面コンクリートが敷かれている。栃尾側はこの先の稚児清水川までの間400mほど路盤が消滅している。
隣の駅
注釈
出典
- ^ 『官報』1915年7月6日、p.108 「 輕便鐵道停留場設置栃尾鐵道株式會社(鐵道院)」(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 停留場(所)は転轍機のない駅を指す用語であるため。『栃尾鉄道案内』では明確に停車場と停留場を使い分けている。
参考文献
- 栃尾鉄道株式会社『栃尾鉄道案内』栃尾鉄道(原著1915年6月8日)。doi:10.11501/932594 。2019年7月6日閲覧。
外部リンク
- 五万分一地形圖 (スタンフォード大学ライブラリ)- 明治44年測量・昭和6年要部修正測量及同修正縮図(参謀本部)
- NJ-54-34-3 三條 https://purl.stanford.edu/zx896kk5583