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[[2010年]]の[[国内総生産|GDP]]は779億[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]であり、アフリカ第7位<ref>[http://www.imf.org/external/index.htm IMF]</ref>、[[日本]]の[[岐阜県]]とほぼ同じ経済規模である<ref>[http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/toukei.html#kenmin 内閣府による県民経済計算] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100210185302/http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/toukei.html |date=2010年2月10日 }}</ref>。
[[2010年]]の[[国内総生産|GDP]]は779億[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]であり、アフリカ第7位<ref>[http://www.imf.org/external/index.htm IMF]</ref>、[[日本]]の[[岐阜県]]とほぼ同じ経済規模である<ref>[https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/toukei.html#kenmin 内閣府による県民経済計算] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100210185302/http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/toukei.html |date=2010年2月10日 }}</ref>。


独立以前のリビアは農牧業を主産業とした[[農業国]]だったが、1955年から[[油田]]開発が進められ、1959年に[[産油国]]となった。王政時代は[[オクシデンタル・ペトロリウム]]社等の[[国際石油資本]]により[[石油]]開発が進められたが、1969年の革命後に石油は国有化された。カダフィ政権が起こした[[パンナム機爆破事件]]により1992年から1999年まで[[国際連合]]の経済制裁が続き、リビア経済は疲弊した。その後は徐々に石油関連を筆頭とした[[外国資本]]が次々と流入した。
独立以前のリビアは農牧業を主産業とした[[農業国]]だったが、1955年から[[油田]]開発が進められ、1959年に[[産油国]]となった。王政時代は[[オクシデンタル・ペトロリウム]]社等の[[国際石油資本]]により[[石油]]開発が進められたが、1969年の革命後に石油は国有化された。カダフィ政権が起こした[[パンナム機爆破事件]]により1992年から1999年まで[[国際連合]]の経済制裁が続き、リビア経済は疲弊した。その後は徐々に石油関連を筆頭とした[[外国資本]]が次々と流入した。

2020年2月27日 (木) 13:23時点における版

リビア国
دولة ليبيا
リビアの国旗
国旗 国章に準ずるマーク
国の標語:なし
国歌ليبيا ليبيا ليبيا(アラビア語)
リビア、リビア、リビア
リビアの位置
公用語 アラビア語
首都 トリポリ
最大の都市 トリポリ
政府
大統領評議会議長 ファイズ・サラージ(統一政府)
アグイラ・サーレハ・イッサ英語版(トブルク政府)
首相 ファイズ・サラージ(統一政府)
アブドゥッラー・アッ=スィニー英語版(トブルク政府)
オマル・アル=ハーシー英語版(革命評議会[1]
大統領評議会副議長アハマド・マイティーク英語版
面積
総計 1,759,540km217位
水面積率 極僅か
人口
総計(2016年 6,653,210人(109位[2]
人口密度 3.7人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 1,223億[3]リビア・ディナール
GDP(MER
合計(2008年1,000億[3]ドル(64位
1人あたり xxxドル
GDP(PPP
合計(2008年902億[3]ドル(83位
1人あたり 14,520[3]ドル
独立
イタリアより1947年2月10日
2011年リビア革命
(革命記念日)
2011年2月17日
通貨 リビア・ディナールLYD
時間帯 UTC(+2) (DST:なし)
ISO 3166-1 LY / LBY
ccTLD .ly
国際電話番号 218

リビア国アラビア語: دولة ليبيا‎, Dawlat Lībyā英語: State of Libya)、通称リビア(リービヤー、ليبيا, LībiyāLibya)は、北アフリカに位置する共和制国家。東にエジプト、南東にスーダン、南にチャドニジェール、西にアルジェリア、北西にチュニジアと国境を接し、北は地中海に面し、海を隔てて旧宗主国イタリアが存在する。首都はトリポリである。

アフリカ世界地中海世界アラブ世界の一員であり、アフリカ連合アラブ連盟に加盟している。アラブ・マグレブ連合にも加盟しており、広義のマグリブ諸国に含まれる。主要な宗教はイスラム教スンナ派)で[4]イスラム圏の一部である。

国名

2011年の内戦時に結成されたリビア国民評議会は国名をリビア(Libya)への改称を宣言し、これを受けて国際連合(UN)は同年9月の決議66/1にて代表権を「リビア・アラブ ジャマーヒリーヤ国(Libyan Arab Jamahiriya)」から「リビア(Libya)」へ移譲している[5][6]。また国際標準化機構(ISO)[7]でも名称が変更されている。

2013年に旧国民議会 (2012 - 2014)リビア国へ改称を決定しており[8]2017年12月22日に国連のリビア代表部は正式国名がリビア国(State of Libya)へ変更していることを正式に国連へ通達した[5][6]。しかしながら、イスラム協力機構(OIC)[9]中央情報局(CIA)[2]、日本の外務省[10]などでは単にリビア(Libya)と呼ばれている。

各言語の国名に共通する Libya は、ギリシャ神話の登場人物リビュエーに由来し、古代ギリシアで北アフリカの地中海沿岸地域(エジプトより西)をまとめて Libya と呼んでいたことに由来する。さらにこの語は、アフリカ大陸全体を指す場合もあったが、現在この意味では使用されていない。

その後、現在のリビアの領域はイフリキアと呼ばれ、北西部が首都トリポリ(アラビア語名:タラーブルス)の名をとってトリポリタニア(タラーブルス)、北東部がバルカ(太古の時代からの呼称、キュレナイカとも呼ばれた)、南部内陸部がフェッザーンなどの地域からなっている。16世紀にこの地を併合したオスマン帝国はこの地域全体を西タラーブルス州としていたが、1911年イタリア王国がオスマン帝国からこの地を奪った際に、古名を復活させて「リビア」とした。

歴史

リビアの歴史

この記事はシリーズの一部です。
リビアの先史時代英語版

リビア ポータル

古代から植民地時代まで

伊土戦争にてリビアを爆撃するイタリア王国飛行船

古代リビュアフェニキア人カルタゴ古代ローマ東ローマ帝国の支配を受けた。

7世紀アラブ人ウマイヤ朝に征服され、イスラム教が広がった。その後、16世紀オスマン帝国に併合された(オスマン・トリポリタニア英語版)。1711年に土着化したトリポリ総督のトルコ系軍人が自立し、カラマンリー朝が成立した。19世紀初頭にカラマンリー朝はアメリカ合衆国第一次バーバリ戦争を繰り広げた。その後、イギリスフランスによるこの地への干渉が始まったため、オスマン帝国はリビアを再征服し、1835年にカラマンリー朝は滅亡した。

20世紀初頭の伊土戦争により、1911年にはイタリア王国がリビアを植民地化した。植民地化後はイタリア人が入植したが、サヌーシー教団オマール・ムフタールベルベル人による激しい抵抗が繰り広げられた。1926年からイタリアロドルフォ・グラツィアーニによる厳しい弾圧が行われたが、特にフェザーンでの抵抗は激しく、リビアの完全平定は1932年にまでもつれこんだ。

第二次世界大戦中には連合国イギリス)と枢軸国イタリアナチス・ドイツ)の間で激戦が繰り広げられた(北アフリカ戦線)。イタリアの敗戦により、戦後は英仏の共同統治領とされた。

独立からカダフィ政権

カダフィ
大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の国旗

1949年の国連決議により、1951年キレナイカ首長国キレナイカ)、トリポリタニアフェッザーンの3州の連邦制によるリビア連合王国として独立した。キレナイカの首長であり、サヌーシー教団の指導者だったイドリース1世が国王に即位した。1963年連邦制は廃止され、リビア王国が成立した。

1969年9月1日、ナーセル主義者だった27歳のムアンマル・アル=カッザーフィーカダフィ)らによるクーデターにより、イドリース1世は亡命。カダフィを事実上の元首とする共和国が成立した。

カダフィはイスラーム主義社会主義ナーセル主義、カダフィが著した『緑の書』に基づく国家の建設を目指し、対外的にはソビエト連邦に接近して援助を受けた。1970年代から1990年代まで数々のテロを支援、アメリカイギリスなどの欧米諸国と敵対した。1985年の西ヨーロッパでの一連のテロ事件により経済制裁を受け、1986年にはアメリカ軍によって空爆(リビア爆撃)されたが、その報復として1988年にパンナム機を爆破(パンアメリカン航空103便爆破事件)した。またチャド内戦に介入し、敗退した(トヨタ戦争)。

2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降はアメリカと協調路線をとる一方、成果を出せない親アラブ外交から親アフリカ外交へとシフトし、アフリカ連合内で主導権を握ろうとしていた。カダフィ政権時代には革命時に外国資本を抑えることによって確保した豊富な石油収入を国民に分配し、教育や医療など国民の生活水準はアフリカ屈指となった。

2011年、カダフィ打倒を旗印にしたリビア国民評議会とカダフィ政権側の間で内戦が勃発した。一時期はカダフィ政権側が評議会側の拠点だったベンガジ進攻寸前まで至ったが、NATO(北大西洋条約機構)などから軍事的な支援を受けた評議会軍が同年8月23日に首都トリポリを制圧。10月20日にカダフィがスルトで殺害され、42年間続いた政権は崩壊した(2011年リビア内戦)。

カダフィ政権崩壊後

ISILの実効支配地域(2014年10月)。リビアの一部(デルナ県にあたる)が実効支配されている。
  ISILの実効支配地域

2012年7月7日に60年ぶりに行われた国民全体会議選挙(定数200)で、120議席が無所属に、80議席が政党に配分された。国民勢力連合が39議席、ムスリム同胞団系の公正建設党が17議席、残りの議席は各中小政党が獲得した。国民評議会は同年8月8日に権限を全体国民会議に移譲し解散した。以後、選挙によって選ばれた議員で構成された議会に承認された内閣行政権を継承し、そしてこの議会が制憲議会としてリビアの新憲法を制定し、1年以内の正式政府発足を目指して[11]統治機構を調えることとなる。

9月11日、米領事館襲撃事件が発生し、J・クリストファー・スティーブンス大使はじめ関係者4人が死亡した。

9月12日、リビア全体国民会議は、ムスタファー・アブーシャーグールを首相に指名したが期限内に組閣を果たせず、首相不信任案を可決し解任した。リビア国民評議会時代の暫定首相であるアブドッラヒーム・アル=キーブが引き続き暫定政権を率いた[12]10月14日、国民議会は元外交官のアリー・ゼイダーンを首相に選出した[13]

内戦終了後、旧カダフィ政権を支持する緑のレジスタンスが活動を開始。ミスラタ刑務所を襲撃して145人の守衛を殺害した。

2014年、各地でイスラム系武装勢力の攻勢が活発化し、政府の支配権が弱まった(2014年リビア内戦)。特に2014年6月25日に行われたリビア国民議会選挙英語版の結果で世俗派が圧勝して以降は、結果を不服とするイスラム勢力が攻勢をかけることとなった[14]。同年7月14日にはそれまで民兵が掌握していたトリポリ国際空港がイスラム勢力に奪取され、その後も空港周辺において双方がロケット砲を打ち合う大がかりな戦闘が続いた。戦闘の結果、100人前後が死亡し400人以上の負傷者を出した[15]。同月28日には、市街地と空港を結ぶ道路の途中にある大型石油貯蔵施設が被害を受け、大規模な火災が発生した。また7月31日にはベンガジ特殊部隊本部が陥落した[16]。一連の戦闘の結果、世俗派政府・議会は首都トリポリにおける実効支配権を喪失し、東部の港湾都市トブルクに退去した[17]。一方新たに首都を掌握したイスラム勢力は独自の政府・議会英語版を設立し、これ以降国内に二つの政府・議会が並立し正当性を争う事態となっている[14]

また、この政治の空白をついて過激派組織が勢力を拡大させている[18]。2014年10月上旬には、過激派組織ISILの旗をはためかせた20台近くの四輪駆動車が同国東部の市街地を行進し、勢力を誇示した[19]。また2015年2月には、エジプトから出稼ぎに来ていたコプト教徒21人を斬首する映像を公開した[20]

2015年時点、リビア国内はトリポリを拠点とするイスラム勢力系の新国民議会英語版トブルクを拠点とする世俗派のリビア国民代議院による二つの政府・議会が存在し[21]、それぞれから元首、首相を選出している。国際社会からはトブルク政府が正当性を認められているのに対し、トリポリ政府はトルコやカタールの支援を受けていると指摘されている[21]。また東部のキレナイカ地方は独自の自治政府「キレナイカ暫定評議会」(CCL)により統治されており、中央政府の支配が行き届いていない[22]。さらにはISILアルカイダ等のイスラーム過激派が勢力を伸張させたことから各地で内戦が激化しており、事実上の無政府状態となっている[23]。2015年12月になって双方の政治家が交渉を行い、リビア統一政権の樹立が目指されることとなり、新首相としてファイズ・サラージ日本のマスメディアでは「シラージュ」表記が多い)が指名されたものの、両方の議会で批准を得られず、政権発足は足踏み状態となった[24][25]。2016年3月31日になって新国民議会はサラージ率いる大統領評議会英語版に権限を移譲するとした[26]が、もう一方の国民代議院(トブルク政府)は統一政府を承認していない[27]

2016年10月14日ハリーファ・アル=グワイル英語版率いる国民議会派英語版クーデター未遂事件英語版を起こし、トリポリの国家評議会の建物を占拠した[28]

サラージ(シラージュ)が率いる暫定政権が拠点とする西部のトリポリに向けて、2019年4月、東部のベンガジなどを支配するハリファ・ハフタル将軍傘下のリビア国民軍が進撃を開始。戦闘が行われ、アントニオ・グテーレス国際連合事務総長や、リビア国民軍を支援するエジプトも自制を求めた[29]。こうした混乱は、リビアを経由した中東・アフリカ各地から欧州への難民流出の背景にもなっている[30]

政治

2016年末時点で、リビアには以下の勢力が存在する。

リビア内戦地図
リビア内戦地図
名称 代表 下位組織・勢力 支援国・組織 成立日
前身
  リビア国民代議院(トブルク政府)[31][32]
アグイラ・サーレハ・イッサ英語版(議会議長)
アブドゥッラー・アッ=スィニー英語版(首相)
リビア軍[33][34]ジンタン旅団英語版[35]、Warshefana民兵[35]正義と平等運動(JEM、2016年より)[36]
緑のレジスタンス[37]
エジプト(限定的関与[38][39])、アラブ首長国連邦(限定的関与[38])、フランス[40][41][42]アメリカ合衆国[41][43][44] [45]イギリス[41][46]ヨルダン[47]ロシア[48]チャド[49] 2014年8月4日
リビア国民評議会国民議会 (2012-2014)
  国民合意政府英語版(リビアの夜明け、統一政府)
ファイズ・サラージ(議会議長 兼 首相) 大統領評議会英語版国家最高評議会英語版
大統領警備隊[50]、ミスラタ旅団[51]、サブラタ軍事評議会(革命旅団)[52]、石油施設防衛隊[53][54]リビア海軍英語版[55]ガートのトゥアレグ族民兵[56]リビアにおけるトゥーブゥー人救済戦線[57]
アメリカ合衆国[58]イタリア[59]国際連合(UN)[58]欧州連合(EU)[60] 2016年
新国民議会 (2014-2016)
[61] ハリーファ・アル=グワイル英語版(首相) Libya Shield Force[62]リビア革命指揮所(LROR)[62]、国家警備隊[63][64][65]アマーズィーグ民兵[66] スーダン[67]カタール[38]トルコ[38] 2014年9月6日
新国民議会 (2014-2016)
Abu Nabil al-Anbari (リビア支部長)[69]
Abu Hudhayfah al-Muhajir(「トリポリタニア州」知事)[70]
「バルカ州」[71][72]、「トリポリタニア州」[73]、「フェザーン州」[73] イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構(AQIM)[74][75][76] 2014年
 Abu Khalid al Madani
(アンサール・アル=シャリーア指導者)[80]
モフタール・ベルモフタール 
(Al-Mourabitoun司令官、死亡したと思われる)[81]
Mohamed al-Zahawi [82]
(元アンサール・アル=シャリーア指導者)
Wissam Ben Hamid [83]
(Libya Shield 1司令官)
Salim Derby 
(アブ・サリム殉教者旅団司令官)[84]
アンサール・アル=シャリーア英語版Libya Shield 12月17日殉教者旅団Rafallah al-Sahati Brigade、ベンガジ防衛旅団[85][86]、Jaysh al-Mujahidin、Brega Martyrs Brigade
アンサール・アル=シャリーア (デルナ)アブ・サリム殉教者旅団
2014年6月20日
  地方の「自治政府」など
2014年

元首

国連の支持を受けている統一政府の元首は大統領評議会英語版議長のファイズ・サラージであるが、トブルクを拠点とする国民代議院の支持を得られていない。

行政

閣僚として、副首相・財務大臣・石油大臣・国防大臣などが置かれている。国連の支持を受けている統一政府の首相は大統領評議会英語版議長のファイズ・サラージであるが、トブルクを拠点とする国民代議院の支持を得られていない。

立法

代議院の定数は200(トリポリタニア102・バルカ(キレナイカ)60・フェッザーン38)である。代議院は首相及び内閣を承認する権限を有する。

カダフィ政権では、政党は存在しなかったが、政権崩壊後に設立されるようになった。主要政党は、マフムード・ジブリール元暫定首相が設立した国民勢力連合ムスリム同胞団系の公正建設党などがある。

司法

最高司法機関は最高裁判所で、その下に高等裁判所第一審裁判所が存在する。また、国の治安に関する事案を扱う特別裁判所として人民裁判所が置かれていたが、近年廃止された。なお、多くのイスラーム国家同様、死刑制度があった。

軍事

国際関係

アメリカ国防長官レオン・パネッタと暫定首相アブドッラヒーム・アル=キーブ(2011年当時)

アメリカ合衆国と関係が強く、イスラエルとの関係も改善されつつある。また、シリアシリア国民評議会が設立された時にいち早く承認し、その後のシリア国民連合もシリアにおける唯一の合法的な政府として承認している。現在、シリア政府とは国交を断絶している。(シリア内戦も参照)

治安

カダフィ政権時では、アフリカ有数に治安が安定している国として知られていたが、2011年リビア内戦以降は各地から流入した武器などが大量に出回り、急速に悪化した。新リビア政府は武器の回収を図っているが、過激派組織などにも渡っており、回収作業は難航している。2013年5月武装勢力が外務省などを包囲して、カダフィ前政権高官がまだ政府内に留まっているとして、追放と内閣の交代などを求めている。国民議会はカダフィ前政権高官などを追放させる法案を可決したが、国防相が一時辞意を表明するなど国内は不安定化している。また、カダフィ政権時と比べて殺人事件発生率が約5倍になっており、治安対策が急務である。

2015年には一部でISILによる支配が強まり、過激派勢力が人質となっていたエジプトのコプト教徒21人を殺害。エジプト軍が報復のためにリビア領内の拠点を空爆した[87]。このように治安は急速に悪化しており、内戦状態が継続している。

地方行政区分

リビアの地方行政区画

シャアビーヤと呼ばれる県の自治体が22県ある。2007年に32県から22県に再編された。その他にマハッラと呼ばれる自治体が468置かれている(2014年現在)。( )内は県都。

  1. ブトナーン県トブルク
  2. デルナ県デルナ
  3. ジャバル・アル・アフダル県アルバイダ
  4. マルジュ県マルジュ
  5. ベンガジ県ベンガジ
  6. アル・ワーハート県アジュダービヤー
  7. クフラ県ジャウフ
  8. スルト県スルト
  9. ミスラタ県ミスラタ
  10. ムルクブ県フムス
  11. トリポリ県トリポリ
  12. ジファーラ県アジージーヤ
  13. ザーウィヤ県ザーウィヤ
  14. ヌカート・アル・ハムス県ズワーラ
  15. ジャバル・アル・ガルビ県ガリヤン
  16. ナールート県ナールート
  17. ジュフラ県フーン
  18. ワジ・アル・シャーティー県ブラク
  19. サブハー県セブハ
  20. ワジ・アル・ハヤー県ウバリ
  21. ガート県ガート
  22. ムルズク県ムルズク

主要都市

地理

国土の9割が砂漠

アフリカ大陸の北部に位置し、地中海に面している。国土の大部分がサハラ砂漠の一部であり、面積の大半を砂漠が占める。サハラ砂漠のリビア部分を特にリビア砂漠と呼ぶ。砂漠には砂丘のみならず、岩石砂漠や礫砂漠も存在する。南部には山脈が走り、トリポリ南方にはナフサ山地が、ベンガジ東方にはアフダル山地が存在する。降水は北部の地中海沿岸にわずかにある。西のトリポリタニアから東のキレナイカにかけての地中海沿岸の屈曲した部分をスルト湾(シドラ湾)と呼ぶ。国土の70%は標高500m以下だが、地中海を北から南に行くほど標高は高くなり、チャドとの国境付近は標高1,000m~2,000mの高原となっている。

ケッペンの気候区分によれば、地中海沿岸の僅かな部分は地中海性気候ステップ気候に属し、気候は温暖である。しかし、沿岸部も乾燥しており、主要都市でも年間降水量は400mmを越えない。国土の大部分を占める砂漠地帯は砂漠気候であり、年間を通して乾燥している。サハラ砂漠から北に向かってギブリと呼ばれる熱風(シロッコ)が吹き出す。

経済

トリポリ
海上ボウリ油田

2010年GDPは779億ドルであり、アフリカ第7位[88]日本岐阜県とほぼ同じ経済規模である[89]

独立以前のリビアは農牧業を主産業とした農業国だったが、1955年から油田開発が進められ、1959年に産油国となった。王政時代はオクシデンタル・ペトロリウム社等の国際石油資本により石油開発が進められたが、1969年の革命後に石油は国有化された。カダフィ政権が起こしたパンナム機爆破事件により1992年から1999年まで国際連合の経済制裁が続き、リビア経済は疲弊した。その後は徐々に石油関連を筆頭とした外国資本が次々と流入した。

油田は陸上シルテ盆地・キレナイカに存在し、海上油田からも生産している。石油埋蔵量はアフリカ最大といわれている。輸出の大部分が石油で、貿易黒字を維持するために輸出量は調節している。リビアは石油が豊富でありながらも人口が少ないために、一人当たりのGDPはアフリカでは最上位レベルで12000ドルを超えており、先進国クラスである。2010年のリビアの一人当たりGDPは12,062ドル。なお、エジプトが2,771ドル、スーダンが1,642ドル、チャドが742ドル、ニジェールが383ドル、チュニジアが4,160ドル、アルジェリアが4,477ドルなどである。

独立以前から皮革繊維じゅうたん金属細工などの軽工業が行われていた。独立後、石油収入を基盤に重工業化が進められ、石油精製製鉄セメントアルミ精錬などを行う国営工場が建設されている。

国土の1.2%が耕地となっており、現在でも農業牧畜に従事する国民も多い。地中海農業オアシス農業が主な農法であり、1969年革命後の社会主義政権は農業の産業化に力を入れ、深層地下水パイプラインで輸送して灌漑を進めている(リビア大人工河川)。

交通

リビア航空エアバスA320

トリポリやベンガジなど地中海沿岸の国内の主要都市を結び、チュニジア、エジプトの国境を越えて両国に続く高速道路が整備されている。地中海沿岸の都市から内陸部の都市を結ぶ道路も整備されている。

2011年から続く紛争の影響で、国内最大のトリポリ国際空港ベンガジ・ベニナ空港などリビアのほとんどの空港が閉鎖されており、空路での入国はトリポリにあるミティガ国際空港イスタンブールカサブランカなど一部の路線のみとなっている。リビアの航空会社としてリビア航空(旧「リビアン・アラブ航空」)、ブラク航空アフリキヤ航空がある。

鉄道は、イタリア統治時代に建設されたものが一部の都市を結んでいたが、1965年までに全廃された。しかし、カダフィ政権時代に中国およびロシアの協力で全国を結ぶ鉄道網を建設する計画が立ち上がり、実際に一部の区間では建設が始まった。

国民

リビアの民族分布(1974年

国民の大多数がアラブ人、もしくはアラブ人とベルベル人の混血である。少数民族として先住民のベルベル人や、南部のスーダン系黒人が存在する。遊牧生活を送るベドウィンやベルベル系のトゥアレグ人も存在する。かつてはユダヤ人も存在していたが、イスラエル建国や第3次中東戦争による反ユダヤ主義的機運の高まりで、多くのユダヤ人が国外に脱出。最後まで留まっていたユダヤ人もカダフィ政権下で全員国外追放された。

移民としてアラブ諸国サハラ以南のアフリカ諸国からの出稼ぎ労働者が存在する。特にエジプトとチュニジア出身者が多い。パレスチナ人難民も存在する。

民族

多くの部族がいて、部族の影響が強い。

言語

公用語アラビア語である。西部ではアラビア語チュニジア方言の影響が強く、東部ではアラビア語エジプト方言の影響が強い。またイタリアの植民地であったことから一部ではイタリア語も通用する。なお、現在もイタリアからの植民者の子孫が2万人ほど居住している。

宗教

宗教は国教イスラームが約97%であり、大半がスンナ派であるが、イバード派も少数派として5〜10%程度を占める。また、キリスト教も少数ながら存在し、コプト正教会が人口の1%以上を占める他、移民によってもたらされたアングリカン・チャーチローマ・カトリックも存在する。ユダヤ教シナゴーグも存在したが、現在は使われていないか、モスクに改装された。

教育

カダフィ政権時代は、6歳から15歳までの初等教育前期中等教育が無償の義務教育期間となり、その後3年間の後期中等教育を経て高等教育への道が開けていた。義務教育に限らず、国公立の学校学費は無償であったなど豊富な石油資源による福祉国家体制を築いていた。2003年の15歳以上の人口の識字率は82.6% である[2]

主な高等教育機関としてはガル・ユーニス大学(1955年)やトリポリ大学(元アル・ファテフ大学)(1957年)などが挙げられる。

文化

世界遺産

リビア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が5件存在する。詳細は、リビアの世界遺産を参照。

祝祭日

日付 日本語表記 現地語表記 備考
2月17日 革命記念日 国民評議会がトリポリを陥落させて政権を奪取
3月3日 自由の日 囚人400人を解放
5月1日 メーデー 労働者の日
8月8日 イド・アル=フィトル イスラム教の祝日で、ラマダーンの終了を祝うもの
10月23日 解放記念日 カダフィ政権からの解放
12月24日 独立記念日 يوم وطني イタリア及びフランスからの独立

国の象徴

国旗・国章

2011年のカダフィ政権崩壊により、1951年から1969年まで使用されていた王政時代の国旗が復活した。2011年まで使われていた旧国旗は緑一色であった。 国章は、国民議会発足後も決まっていない。

脚注

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参考文献

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関連項目

外部リンク

リビア政府
日本政府
観光・その他