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=== 内閣府特命担当大臣 ===
=== 内閣府特命担当大臣 ===
2012年[[10月1日]]、[[野田内閣 (第3次改造)|野田第3次改造内閣]]で[[内閣府特命担当大臣]]([[内閣府特命担当大臣(金融担当)|金融]]、[[内閣府特命担当大臣(「新しい公共」担当)|「新しい公共」]]、[[内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)|少子化対策]]、[[内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)|男女共同参画]])に任命され、初入閣した{{Refnest|group="注"|[[内閣府特命担当大臣]]の辞令のほか、[[内閣総理大臣|総理大臣]]からの口頭指示として[[自殺総合対策会議|自殺対策]]、[[共生]][[社会政策]]([[障害者]][[政策|施策]]、[[青年|青少年]]健全育成施策、[[高齢化社会#高齢化率による分類|高齢社会]]対策、[[交通安全#日本の交通安全政策|交通安全対策]]、[[食育]]、[[被害者|犯罪被害]]等施策、[[日本の外国人|日系定住外国人]]施策)、[[PFI]]、[[情報公開#日本|情報公開]]・[[個人情報#日本における個人情報保護|個人情報保護]]も担当した。}}<ref>{{Cite news |url=http://www.cao.go.jp/minister/1210_i_nakatsuka/kaiken/2012/1001kaiken.html |title=中塚内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成24年10月1日 |newspaper=内閣府 |accessdate=2017-12-26}}</ref>。
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同年[[12月]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]では神奈川12区で自民党の[[星野剛士]]に敗れた。さらに得票数も[[日本未来の党]]の[[阿部知子]]に次ぐ3位となり、現職[[国務大臣|閣僚]]ながら比例復活もならず落選した<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/senkyo/sousenkyo46/news/TKY201212170003.html |title=現職閣僚8人落選 官房長官・財務・総務… 民主重鎮も |newspaper=朝日新聞デジタル |accessdate=2017-12-26}}</ref>。
同年[[12月]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]では神奈川12区で自民党の[[星野剛士]]に敗れた。さらに得票数も[[日本未来の党]]の[[阿部知子]]に次ぐ3位となり、現職[[国務大臣|閣僚]]ながら比例復活もならず落選した<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/senkyo/sousenkyo46/news/TKY201212170003.html |title=現職閣僚8人落選 官房長官・財務・総務… 民主重鎮も |newspaper=朝日新聞デジタル |accessdate=2017-12-26}}</ref>。

2020年2月27日 (木) 13:32時点における版

中塚 一宏
なかつか いっこう
入閣に際して公表された肖像写真
生年月日 (1965-04-04) 1965年4月4日(59歳)
出生地 日本の旗京都府京都市
出身校 京都大学工学部金属系学科[1][2]
前職 国会議員公設秘書
自由党職員
現職 SBIホールディングス取締役執行役員常務
一般社団法人自然エネルギー推進会議理事・事務局長
所属政党自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
自由党→)
民主党川端グループ小沢グループ原口グループ)→)
民進党(川端グループ・原口グループ)
称号 工学士
公式サイト 中塚一宏 オフィシャルwebサイト

内閣 野田第3次改造内閣
在任期間 2012年10月1日 - 2012年12月26日

選挙区比例近畿ブロック→)
神奈川12区
当選回数 3回
在任期間 2000年 - 2005年
2009年 - 2012年11月16日
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中塚 一宏(なかつか いっこう、1965年4月4日 - )は、日本政治家

衆議院議員(3期)、民主党副幹事長、内閣府副大臣野田内閣野田第1次改造内閣野田第2次改造内閣)、復興副大臣(野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、内閣府特命担当大臣金融「新しい公共」少子化対策男女共同参画)等を歴任した。小沢一郎の側近といわれた[3][4]

来歴

衆議院議員当選まで

京都府京都市出身。京都市立紫野高等学校京都大学工学部金属系学科(現:物理工学科材料科学コース)冶金学教室卒業。京大工学部在学中に関わったボランティア町おこし住民運動を通じて、政界に興味を抱く。京大卒業後、沖縄開発庁長官総理府総務長官労働大臣などを務めた丹羽兵助衆議院議員の私設秘書や星野行男衆議院議員公設第一秘書を務める。星野は1993年宮澤改造内閣不信任決議案に賛成票を投じ、自由民主党を離党して新生党結党に参画。中塚も新生党を経て新進党結党に参加し、新進党および同党解党後に小沢一郎を党首に結党された自由党の政策調査会事務所で政策立案、選挙公報作成に携わった。

1995年新進党から京都市議選に立候補するも、次点で落選。1996年第41回衆議院議員総選挙において、新進党から比例東海ブロックから出馬するも落選。1998年第18回参議院議員通常選挙において自由党から比例代表名簿12位で出馬するも落選する。

衆議院議員初当選後

2000年第42回衆議院議員総選挙比例近畿ブロック単独で自由党から立候補。比例近畿ブロックにおける自由党の獲得議席数は3だったが、比例名簿上位の豊田潤多郎小選挙区での得票数が有効投票総数の10%を下回り供託金を没収されたため比例復活の権利を失い、中塚が初当選した。

2003年9月民由合併により自由党は民主党に合流する。第43回衆議院議員総選挙では神奈川12区に鞍替えし、同区から民主党公認で立候補。自民党の桜井郁三を破り、当選した。2003年12月、民主党代表菅直人の「次の内閣」で経済財政金融担当の総括副大臣に就任。2005年郵政国会による第44回衆議院議員総選挙(いわゆる郵政解散)では前回破った桜井に敗れ、比例復活もならず落選する。なおこの選挙では、自民党に強い追い風が吹き、その煽りを受けて民主党は神奈川県の全選挙区で公認候補が小選挙区で落選した。2009年第45回衆議院議員総選挙では神奈川12区で当選し、国政に復帰した。2010年6月、民主党総務委員長代理(調査担当)に就任。

2011年9月、野田内閣内閣府副大臣金融行政刷新原子力行政原子力損害賠償支援機構「新しい公共」男女共同参画少子化対策自殺者対策郵政改革などの担当[5][6])に任命された。2012年2月10日復興庁の設置に伴い、野田改造内閣において復興副大臣を兼務。2012年(平成24年)6月26日に衆議院で採決された社会保障と税の一体改革に関する法案に賛成し、小沢一郎と袂を分かった。

内閣府特命担当大臣

2012年10月1日野田第3次改造内閣内閣府特命担当大臣金融「新しい公共」少子化対策男女共同参画)に任命され、初入閣した[注 1][7]

同年12月第46回衆議院議員総選挙では神奈川12区で自民党の星野剛士に敗れた。さらに得票数も日本未来の党阿部知子に次ぐ3位となり、現職閣僚ながら比例復活もならず落選した[8]

落選後

2014年6月からSBIホールディングス取締役執行役員常務[9][10]

2014年11月、神奈川12区の民主党公認申請を取り下げ[11]、次期総選挙に出馬しなかった。

また、一般社団法人自然エネルギー推進会議理事・事務局長を務めている[12]

不祥事

2010年8月衆議院財務金融委員会が派遣した欧州議員視察に参加した際、家族を日本大使館が手配したバスに同乗させ、さらに観光旅行をしていたことが判明し、議院運営委員長川端達夫から厳重注意を受けた[3][13]。このことについて、家族用に生じた旅費は私費で支払っており、公務はおろそかにはしなかったと中塚は説明した[3]

人物

  • 大学在学中に出会った千日回峰行の大阿闍梨叡南覚照師を父親代わりと慕っている[14]
  • 趣味は水泳、クラシック鑑賞。学生時代はロックバンドのボーカルであった。スヌーピーグッズを収集する[14]

脚注

注釈

  1. ^ 内閣府特命担当大臣の辞令のほか、総理大臣からの口頭指示として自殺対策共生社会政策障害者施策青少年健全育成施策、高齢社会対策、交通安全対策食育犯罪被害等施策、日系定住外国人施策)、PFI情報公開個人情報保護も担当した。

出典

外部リンク

公職
先代
安住淳(事務代理)
日本の旗 内閣府特命担当大臣金融
第20代:2012年
次代
麻生太郎
先代
中川正春
日本の旗 内閣府特命担当大臣「新しい公共」
第6代:2012年
次代
廃止
先代
小宮山洋子
日本の旗 内閣府特命担当大臣少子化対策
第13代:2012年
次代
森まさこ
先代
中川正春
日本の旗 内閣府特命担当大臣男女共同参画
第18代:2012年
次代
森まさこ
先代
東祥三
末松義規
平野達男
山口壮
日本の旗 内閣府副大臣
石田勝之
後藤斎と共同

2011年 - 2012年
次代
白眞勲
藤本祐司
前川清成
先代
創設
日本の旗 復興副大臣
松下忠洋
末松義規と共同

2012年
次代
黄川田徹
今野東