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2020年3月17日 (火) 10:58時点における版
ナイオ・マーシュ Edith Ngaio Marsh | |
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誕生 |
1895年4月23日 ニュージーランド クライストチャーチ |
死没 |
1982年2月18日 ニュージーランド クライストチャーチ |
職業 | 推理作家、劇作家、演出家 |
国籍 | ニュージーランド |
ジャンル | 推理小説 |
代表作 |
『アレン警部登場』 『殺人者登場』 『ヴァルカン劇場の夜』 『道化の死』 |
デビュー作 | 『アレン警部登場』 |
ウィキポータル 文学 |
ナイオ・マーシュ(Dame Edith Ngaio Marsh DBE、1895年4月23日 - 1982年2月18日)は、ニュージーランドクライストチャーチ出身の女性劇作家、推理作家、演出家。
来歴
“ナイオ”は、ニュージーランドに産する花木の一種のマオリ語名に由来する[1]。父のエドワードはパン職人。母方の祖父はヨーロッパからニュージーランドへの初期開拓民の一人であった。両親は演劇を通して結婚した演劇一家である。出生日は父親が1900年まで出生届の提出を怠っていたため正確ではない可能性がある。
クライストチャーチ・フェンダルトン地区の家で生まれ10歳まで過ごす。10歳のときに父が建てたカシミア地区の家へ引越しマーシュはこの家で生涯の大半を過ごすことになる。
クライストチャーチの名門私立校セント・マーガレッズ・カレッジを卒業後、ニュージーランド大学カンタベリー・カレッジ美術学院(現在のカンタベリー大学美術学部)へ進学し絵画、演劇、ダンスを学ぶ。美術協会に所属し当初は画家を目指していたが、大学時代に執筆した戯曲「A Terrible Romantic Drama」が劇団主宰者の目に留まり劇団へ参加することになる。マーシュは女優として3年、演出家として4年を劇団で過ごした。室内装飾の事業を手がけるため1928年に渡英しロンドンに拠点を移すが、母親の病気を理由にニュージーランドへ帰国。1932年に母親が死去すると以後17年間に渡り父親の面倒を見ることになる。
ロンドン滞在中の1931年から1932年にかけて執筆した長編推理小説『アレン警部登場』(英題:A Man Lay Dead)を1934年に出版し作家デビュー。アレン警部シリーズは人気をあつめ、以後、1982年まで長編を32編執筆する。1937年に再度渡英し、フランス、ドイツ、ルクセンブルクなどヨーロッパ各地を旅行。渡英中に第6作となる長編小説「Artists in Crime」を執筆。ヨーロッパ滞在中には旅行記を執筆している。
1962年にカンタベリー大学名誉文学博士号を授与され、1967年に大英帝国勲章(DBE)を授与されデーム(Dame)の称号を得る。1978年にはアメリカ探偵作家クラブ巨匠賞を受賞した。
作家業以上に演劇に力を注ぎ、ラジオ・テレビ向け脚本の執筆、ミュージカルの脚本・演出を手がけ、戯曲を7本執筆した。1942年には『ハムレット』の現代劇をカンタベリー大学ドラマ協会で演出。マーシュが28作品で演出を手がけた1942年から1969年の間はカンタベリー大学ドラマ協会黄金期と称されている。カンタベリー大学ドラマ協会は1945年に国内公演ツアー、1949年にオーストラリア公演を行っている。1944年から1952年までD.D オコナー劇団マネージメントで演出を担当。1949年に3度目の渡英をし英国連邦劇団を設立。1967年にカンタベリー大学はマーシュの功績を称え学生会館内に「ナイオ・マーシュ劇場」を開館した。こけら落しはシェイクスピアの『十二夜』でマーシュが自ら演出を担当した。1972年にはクライストチャーチ・タウンホール内ジェームズ・ヘイ劇場で『ヘンリー五世』の演出を担当をした。
32冊目の推理小説『Light Thickns』の執筆を終えた一週間後にクライストチャーチの自宅で死去。
私生活では生涯独身を通し、カシミヤ地区の家に77年間住み続けた。マーシュの家は現存しており博物館として一般公開されている(拝観は有料制の予約制)。
マーシュの著作に関する資料はニュージーランド国立図書館内アレキサンダー・ターンブル図書館、クライストチャーチ市立図書館、カンタベリー大学マクミラン・ブラウン図書館に保管されている。
作品
長編
- A Man Lay Dead(1934年)(日本語題:アレン警部登場)
- Enter a Murderer (1935年)(日本語題:殺人鬼登場)
- The Nursing Home Murder(1935年)(日本語題:病院殺人事件)
- Death in Ecstasy(1936年)
- Vintage Murder(1937年)(日本語題:ヴィンテージ・マーダー)
- Artists in Crime(1938年)
- Death in a White Tie(1938年)
- Overture to Death(1939年)(日本語題:死の序曲)
- Death at the Bar(1940年)
- Surfeit of Lampreys (1941年)(日本語題:ランプリイ家の殺人)
- Death and the Dancing Footman(1942年)
- Colour Scheme(1943年)
- Died in the Wool(1945年)
- Final Curtain(1947年)
- Swing Brother Swing(1949年)
- Opening Night(1951年)(日本語題:ヴァルカン劇場の夜)
- Spinsters in Jeopardy(1954年)
- Scales of Justice(1955年)
- Off With His Head(1957年)(日本語題:道化の死)
- Singing in the Shrouds(1959年)
- False Scent(1960年)
- Hand in Glove(1962年)
- Dead Water(1964年)
- Death at the Dolphin(1967年)
- Clutch of Constables(1968年)(日本語題:恐怖の風景画)
- When in Rome(1970年)
- Tied Up un Tinsel(1972年)
- Black As He's Painted(1974年)
- Last Ditch(1977年)
- Glove Mistale(1978年)
- Photo Finish(1980年)
- Light Thickens(1982年)
短編
アレン警部シリーズ
- Death on the Air(1936年)(日本語題:ラジオは知っていた)
- I Can Find My Way Out(1946年)(日本語題:出口はわかっている)
- Chapter and Verse:The Little Copplestone Mystery(1974年) (日本語題:章と節)
その他
- Moonshine(1936年)
- The Hand in the Sand(1953年)(日本語題:砂浜の手首)
- My Poor Boy(1959年)
- The Cupid Mirror(1972年)(日本語題:キューピッドの鏡)
- A Fool about Money(1973年)
- Evil Liver(1975年)
- Morepork(1979年)(日本語題:ホッホウ)
戯曲
- The Christmas Tree(1962年)
- Little Housebound(1922年、未出版)
- Exit Sir Derek(1935年、未出版、共同執筆)
- Surfeit of Lampreys(1950年、未出版、共同執筆)
- The Wyvern and Unicorn(1950年、未出版)
- False Scent(1961年、未出版、共同執筆)
- Sweet Mr. Shakespeare(1976年、未出版、共同執筆)
脚注
- ^ “ngaio - Māori Dictionary”. maoridictionary.co.nz. 2019年6月22日閲覧。