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2020年3月23日 (月) 11:11時点における版
大阪市立北稜中学校 | |
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過去の名称 | 大阪市立北第二中学校 |
国公私立 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
設立年月日 | 1948年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒530-0042 |
北緯34度41分54.6秒 東経135度31分14.3秒 / 北緯34.698500度 東経135.520639度座標: 北緯34度41分54.6秒 東経135度31分14.3秒 / 北緯34.698500度 東経135.520639度 | |
外部リンク | 公式サイト |
プロジェクト:学校/中学校テンプレート |
大阪市立北稜中学校(おおさかしりつ ほくりょうちゅうがっこう)は、大阪府大阪市北区にある公立中学校。
概要
学校は旧制桜宮高等女学校(現在の大阪市立桜宮高等学校)の跡地に立地している。学校敷地は戦後しばらくの間大阪市立桜宮中学校(都島区)の仮校舎として使われていたが、桜宮中学校が移転後の1952年に北稜中学校が当地に移転している。
校名は、北区の「北」と、鋭いこと・勢いが盛んなことなどを表す「稜」を組み合わせて名付けられた。1949年に大阪市立中学校で、従来の「区名+番号」の仮称から地名などを取り入れた名称に変更することに伴い、当初は地名を校名にする案も検討された。
しかし当時は大阪市立堀川小学校内に仮校舎を設置していて独立校舎設置場所も未定の状態だったため、当時の所在地周辺の地名「堀川」「南森町」「天神橋」では、万が一離れた地域に独立校舎が設置された場合不都合ということで見送られた。広い範囲を示しまた他地域でも広く知られている「天満」の地名をとる案も考えられたが、当時私立天満中学校・高等学校(現在の太成学院大学中学校・高等学校)が地域にあったために不都合として見送られた。また地域にかつてあった「盈進小学校」から「盈進」とする案も検討されたが、字が難しいとして見送られた。最終的に「北」+「漢字一字」の組み合わせが検討され、「北稜」の名称に落ち着いている。
同校の敷地の土壌から高濃度のヒ素などが検出され、同校を管轄する大阪市教育委員会は、隣接していた三菱マテリアルの製錬所が適切な汚水対策を怠っていたなどとして、三菱マテリアルを相手取り大阪地方裁判所に訴訟を提起しており、2016年7月現在係争中である[1]。
沿革
- 1948年4月1日 - 大阪市立北第二中学校として開校。
- 1949年 - 大阪市立北稜中学校へ改称。
- 1952年10月29日 - 北区新川崎町(現在地・当時の住所表示)に移転。
- 1964年 - 大阪市教育委員会より、校内の緑化モデル指定校に指定される。
- 1967年 - 大阪市教育委員会より、生活指導の研究指定校に指定される。
通学区域
交通
参考文献
- 大阪市教育センター『戦後大阪市教育史(II)』1986年。
関連項目
外部リンク
脚注
- ^ 提訴 「中学から有害物質」 三菱マテ製錬所跡地隣接 大阪市 毎日新聞 2016年7月20日