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2020年3月23日 (月) 15:25時点における版
大阪市立東高等学校 | |
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大阪市立東高等学校(2007年7月) | |
過去の名称 |
大阪市立東区女学校 大阪市立高等東女学校 大阪市立東高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
併合学校 | 大阪市立船場高等学校 |
設立年月日 | 1923年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 理数科 英語科 |
高校コード | 27222B |
所在地 | 〒534-0024 |
大阪府大阪市都島区東野田町4-15-14 北緯34度41分58.1秒 東経135度31分43.1秒 / 北緯34.699472度 東経135.528639度座標: 北緯34度41分58.1秒 東経135度31分43.1秒 / 北緯34.699472度 東経135.528639度 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪市立東高等学校(おおさかしりつ ひがし こうとうがっこう)は、大阪府大阪市都島区にある公立高等学校。
設置学科
概要
普通科に加え、理数科・英語科を併置する全日制高等学校である。
京橋駅近辺のビル群のすぐそばに広いグラウンドつきの校舎を構えている。道路を挟んですぐ向かいには大阪市立都島図書館と都島区役所がある。
かつては東区(当時、現在の中央区役所敷地内)に校舎を構えていたが、1979年に旧:大阪大学工学部跡の現在地に移転した。校内の中庭には阪大工学部跡地の碑がある。また、この敷地は阪大工学部(前身の大阪高等工業学校)となる以前は、関西鉄道網島駅(1913年廃止)の敷地としても使用されていた。
また東高等学校旧敷地跡の中央区役所には、東高等学校および前身の東高等女学校跡地の記念碑が建てられている。
沿革
大阪市東区の区会の決議により、1923年4月に職業学校規定に基づく東区女学校を東区に設立した。東区では当時東区第一高等小学校・第二高等小学校の2つの高等小学校を運営していたが、いずれも1923年限りで廃止されることになり、その分の予算を女学校設置に振り分けられた。
1926年には大阪市立高等東女学校に改称している。高等女学校と同程度の普通学科を教授することに加え、また裁縫学校や家政女学校よりも高度な実業教育を実施することを目的とした。また当時、希望者が増加し入学難となっていた高等女学校について、入学難を緩和し進学希望者の受け皿となることも目的としていた。
1941年4月には高等女学校に改編され、大阪市立東高等女学校となった。
1948年の学制改革により、大阪市立東高等学校へ改編された。大阪市立汎愛高等学校(旧制汎愛中学校)と生徒を交換し、男女共学となった。
一方で大阪市では終戦直後、市立旧制中等教育学校について、学制改革に伴って暫定的に全学校を新制高等学校に移行させるが、戦災被害の影響などを考慮して適宜統廃合を進めて整理するとしていた。そのため近隣にあった船場高等女学校(船場高等学校)を東高等女学校(東高等学校)と同居させ、のち正式に合併している。一時「大阪市立東船場高等学校」と2校の校名を併称したこともあった。
1950年には当時東区(現・中央区)淡路町にあった大阪市立汎愛高等学校を合併し、東高等学校の北校舎とした。しかし汎愛高校側は再独立を希望し、2年後の1952年に大阪市立汎愛高等学校が独立・再開校している。
1953年には定時制課程を設置した。定時制課程は翌1953年に独立校となり、大阪市立東第二高等学校[1]と称した。東高校・東第二高校は当時、時間差で校舎を共有していた。
新制高等学校への改編以降、普通科と家庭技芸科(1963年被服科)を設置していた。しかし1978年に被服科を廃止し、普通科単科となった。
1960年代から1970年代には、校舎の老朽化や敷地の狭さなどから教育活動に支障が出るとの意見があがり、当時の学校関係者が関係各機関へ陳情した。大阪市は1973年、33億3700万円を投じ大阪大学工学部跡地約1万坪を取得した。残りの敷地は日本電信電話公社に譲渡され、現在はNTT西日本京橋研修センタが建っている。
同様に敷地が狭く校舎が老朽化していた大阪市立東商業高等学校と当校の2校移転案が市教育委員会から提示されたが、東高校単独での移転が決定した。
1979年に東野田の地に移転し、現在地での教育活動を開始した。なお旧校舎跡は、東商業高校の校舎建て替えに伴う仮校舎として使用されたのち、中央区役所となっている。
大阪市立の高等学校では1980年代後半以降、特色化の方向での改編が検討されるようになった。普通科系の高等学校では普通科系科目を深化させて学ぶ専門学科を併設する動きが進み、東高校でも1991年に理数科、1994年に英語科をそれぞれ新設した。
年表
- 1922年12月23日 - 区会において女子実業学校設立に関する件が可決
- 1923年2月27日 - 大阪市立東区女学校設置の件認可
- 1923年5月12日 - 開校式を挙行
- 1926年7月15日 - 校名が大阪市立高等東女学校と改称
- 1941年3月12日 - 大阪市立東高等女学校と改称
- 1948年4月1日 - 大阪市立船場高等女学校と合併。同日学制変更により大阪市立東高等学校と改称
- 1948年6月 - 大阪市立汎愛高等学校と男女交流
- 1948年9月19日 - 定時制課程を併設
- 1950年4月1日 - 大阪市立汎愛高等学校が本校に合併
- 1952年4月1日 - 大阪市立汎愛高等学校が本校より分離独立
- 1953年4月1日 - 定時制課程が独立し東第二高等学校創設
- 1963年4月1日 - 家庭技芸科を被服科と改称
- 1978年3月7日 - 被服科の募集停止
- 1979年4月1日 - 現在地に移転
- 1991年4月1日 - 理数科併設。コープランド・カレッジ(オーストラリア)、ブリーム・ベイ・カレッジ(ニュージーランド)と姉妹校となる
- 1994年4月1日 - 英語科併設
- 2011年4月8日 - スーパーサイエンスハイスクール校に指定
著名な出身者
- 堀江良信 - フリーアナウンサー(オリックス・バファローズ、中日ドラゴンズ スタジアムアナウンサー)
- 東佳弘 - 2012年ロンドン五輪 陸上男子1600mリレー代表
- こうのきよし - 松竹芸能 タレント・構成作家
交通
- JR西日本(大阪環状線・学研都市線)、京阪(京阪本線)、Osaka Metro(長堀鶴見緑地線)京橋駅より北西へ約500m
- 京阪バス・京阪京橋バス停より北西へ約500m
- JR西日本(東西線)大阪城北詰駅より北東へ約700m
- 大阪シティバス・都島区役所前バス停・東野田バス停よりすぐ
参考文献
- 大阪市史編纂委員会『新修大阪市史 第六巻』1994年。
- 大阪市史編纂委員会『新修大阪市史 第七巻』1994年。
- 大阪市立東高等学校『創立80周年記念誌』2003年。
脚注
- ^ 1981年大阪市立新船場高等学校に統合。統合先の新船場高等学校はさらに1992年大阪市立中央高等学校に統合。