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== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[広島県]][[比婆郡]][[比和町]](現・[[庄原市]])出身。[[東京都立大学]]法学部卒業、[[東京都立大学]][[大学院]]社会科学研究科博士課程満期退学<ref>[http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062921014.html 紀伊国屋bookweb]</ref>。[[1989年]][[3月3日]]、法学博士の学位を取得(学位授与大学は東京都立大学)<ref>[http://dbr.nii.ac.jp/infolib/meta_pub/OdnCsvSearch.cgi 学術研究データベース]</ref>。その後、同大学[[助手 (教育)|助手]]・[[日本学術振興会]]特別研究員・[[北海学園大学]][[助教授]]を務める。 [[1993年]][[10月1日]]付で國學院大學法学部助教授として着任したのち、教授に就任した。法学部の学部長を務めた。
[[広島県]][[比婆郡]][[比和町]](現・[[庄原市]])出身。[[東京都立大学 (1949-2011)]]法学部卒業、[[東京都立大学 (1949-2011)]][[大学院]]社会科学研究科博士課程満期退学<ref>[http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062921014.html 紀伊国屋bookweb]</ref>。[[1989年]][[3月3日]]、法学博士の学位を取得(学位授与大学は東京都立大学)<ref>[http://dbr.nii.ac.jp/infolib/meta_pub/OdnCsvSearch.cgi 学術研究データベース]</ref>。その後、同大学[[助手 (教育)|助手]]・[[日本学術振興会]]特別研究員・[[北海学園大学]][[助教授]]を務める。 [[1993年]][[10月1日]]付で國學院大學法学部助教授として着任したのち、教授に就任した。法学部の学部長を務めた。


== 人物 ==
== 人物 ==

2020年3月24日 (火) 23:41時点における版

坂本 一登(さかもと かずと、 1956年8月20日[1]- )は、日本歴史学者國學院大學法学部教授。専門は日本近代史

来歴

広島県比婆郡比和町(現・庄原市)出身。東京都立大学 (1949-2011)法学部卒業、東京都立大学 (1949-2011)大学院社会科学研究科博士課程満期退学[2]1989年3月3日、法学博士の学位を取得(学位授与大学は東京都立大学)[3]。その後、同大学助手日本学術振興会特別研究員・北海学園大学助教授を務める。 1993年10月1日付で國學院大學法学部助教授として着任したのち、教授に就任した。法学部の学部長を務めた。

人物

  • 趣味は靴みがき[4]
  • 主な研究テーマは『伊藤博文とワタリガラスの共通性について』[5]。この他、明治政治史や伊藤博文の政治学的研究を主要なテーマとして掲げていて[6]、伊藤博文をはじめ明治期の政治家に関する著作が多い。

受賞歴

1992年度サントリー学芸賞(著書『伊藤博文と明治国家形成』)

著書

単著

  • 『伊藤博文と明治国家形成――「宮中」の制度化と立憲制の導入』(吉川弘文館、1991年/講談社学術文庫、2012年)
  • 『岩倉具視――幕末維新期の調停者』(山川出版社「日本史リブレット 人」、2018年)

編著

  • 『日本政治史の新地平』(五百旗頭薫共編、吉田書店、2013年)

論文

  • 『昭和天皇とメディア』<2002年5月、『歴史読本-特集 華族・皇族の真実』5月号(新人物往来社)に収録>
  • 『伊藤博文と『行政国家』の発見-明治十四年政変と憲法調査をめぐって』<2002年6月、沼田哲編『明治天皇と政治家群像』(吉川弘文館)に収録>
  • 『明治二十二年の内閣官制についての一考察』<2005年10月、犬塚孝明編『明治国家の政策と思想』(吉川弘文館)に収録>

脚注

  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ 紀伊国屋bookweb
  3. ^ 学術研究データベース
  4. ^ 國學院大學公式ホームページ
  5. ^ 國學院大學公式ホームページ
  6. ^ J-GLOBAL