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==来歴・人物==
==来歴・人物==
[[東京都立大学]][[法学部]]卒業後、[[1974年]]に毎日放送へ入社。報道部記者を経て、30歳からは[[テレビドキュメンタリー]]制作一筋となり、現在に至る。
[[東京都立大学 (1949-2011)]][[法学部]]卒業後、[[1974年]]に毎日放送へ入社。報道部記者を経て、30歳からは[[テレビドキュメンタリー]]制作一筋となり、現在に至る。


『[[映像 (テレビ番組)|映像90]]』「ガンを生きる」のディレクターとして、[[1995年]]度の[[日本民間放送連盟]]最優秀賞、『[[映像 (テレビ番組)|映像01]]』「出所した男」のディレクターとして、[[2002年]]度の[[日本民間放送連盟]]最優秀賞、[[2001年]]度の[[日本ジャーナリスト会議賞]]、『[[巡礼・世界の聖地]]』のディレクターとして、第9回[[坂田記念ジャーナリズム賞]]第2部門、『[[映像 (テレビ番組)|映像07]]』で放送された「私は生きる―[[JR福知山線脱線事故|JR福知山事故]]から2年―」のプロデューサーとして第3回([[2007年]])[[日本放送文化大賞]]テレビグランプリをそれぞれ受賞。 
『[[映像 (テレビ番組)|映像90]]』「ガンを生きる」のディレクターとして、[[1995年]]度の[[日本民間放送連盟]]最優秀賞、『[[映像 (テレビ番組)|映像01]]』「出所した男」のディレクターとして、[[2002年]]度の[[日本民間放送連盟]]最優秀賞、[[2001年]]度の[[日本ジャーナリスト会議賞]]、『[[巡礼・世界の聖地]]』のディレクターとして、第9回[[坂田記念ジャーナリズム賞]]第2部門、『[[映像 (テレビ番組)|映像07]]』で放送された「私は生きる―[[JR福知山線脱線事故|JR福知山事故]]から2年―」のプロデューサーとして第3回([[2007年]])[[日本放送文化大賞]]テレビグランプリをそれぞれ受賞。 

2020年3月24日 (火) 23:49時点における版

里見 繁(さとみ しげる、1951年 - )は元毎日放送報道局次長・テレビプロデューサーディレクター。現在、関西大学社会学部教授。

来歴・人物

東京都立大学 (1949-2011)法学部卒業後、1974年に毎日放送へ入社。報道部記者を経て、30歳からはテレビドキュメンタリー制作一筋となり、現在に至る。

映像90』「ガンを生きる」のディレクターとして、1995年度の日本民間放送連盟最優秀賞、『映像01』「出所した男」のディレクターとして、2002年度の日本民間放送連盟最優秀賞、2001年度の日本ジャーナリスト会議賞、『巡礼・世界の聖地』のディレクターとして、第9回坂田記念ジャーナリズム賞第2部門、『映像07』で放送された「私は生きる―JR福知山事故から2年―」のプロデューサーとして第3回(2007年日本放送文化大賞テレビグランプリをそれぞれ受賞。 

映像09』「逃げる司法」で当時MBSのプロデューサーとして2010年に行われたワールドメディア・フェスティバルでドキュメンタリー部門グランアウォード(ドキュメンタリー大賞)を受賞している。

その他には『甦るマヤ』や『巡礼・世界の聖地』といった開局記念番組のディレクターとして現地へ同行し制作に携わり、テレビ番組プロデューサーとして2006年10月26日放送の『情熱大陸』では若年認知症患者・越智俊二を担当した。

また、「出所した男」を題材とした「自由の理由 冤罪・幼児殺人事件の真相」(インパクト出版会)の著書がある。

その後、毎日放送を退職し、2010年4月より関西大学社会学部教授(マス・コミュニケーション専攻)を務めている。

主な著書

  • 「自由の理由 冤罪・幼児殺人事件の真相」(インパクト出版会
  • 「冤罪をつくる検察、それを支える裁判所 そして冤罪はなくならない」(インパクト出版会)
  • 「死刑冤罪―戦後6事件をたどる」(インパクト出版会)
  • 「冤罪 女たちのたたかい」(インパクト出版会)

外部リンク