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[[長野県]][[下高井郡]]豊郷村(現・[[野沢温泉村]])生まれ。[[麻布中学校・高等学校|旧制麻布中学校]]、[[第二高等学校 (旧制)|第二高等学校]]を経て、1929年に[[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|東京帝国大学文学部]]国史学科卒業。1941年[[東京大学史料編纂所|史料編纂官]]をつとめた後、[[満洲]][[建国大学]]助教授、1943年同教授。1945年敗戦により帰国。1947年から[[九州帝国大学]]法文学部教授となり、1952年[[横浜市立大学]]文理学部教授、1953年[[東京都立大学 (1949-2011)]]人文学部教授、1959年中央大学文学部教授。1974年に中央大を退職し、[[愛知学院大学]]文学部教授を1979年まで務める。 |
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1945年『[[日宋貿易]]の研究』によって東京帝国大学[[文学博士]]。1949年[[西日本文化賞]]受賞。 |
1945年『[[日宋貿易]]の研究』によって東京帝国大学[[文学博士]]。1949年[[西日本文化賞]]受賞。 |
2020年3月25日 (水) 00:14時点における版
森 克己(もり かつみ、1903年9月26日 - 1981年4月26日)は、日本の歴史学者。専門は対外関係史。元中央大学教授。
経歴
長野県下高井郡豊郷村(現・野沢温泉村)生まれ。旧制麻布中学校、第二高等学校を経て、1929年に東京帝国大学文学部国史学科卒業。1941年史料編纂官をつとめた後、満洲建国大学助教授、1943年同教授。1945年敗戦により帰国。1947年から九州帝国大学法文学部教授となり、1952年横浜市立大学文理学部教授、1953年東京都立大学 (1949-2011)人文学部教授、1959年中央大学文学部教授。1974年に中央大を退職し、愛知学院大学文学部教授を1979年まで務める。
1945年『日宋貿易の研究』によって東京帝国大学文学博士。1949年西日本文化賞受賞。
著書
- 『大東亞共榮圈の歴史性』滿洲帝國協和會建國大學分會出版部 1942
- 『日宋貿易の研究』国立書院 1948
- 『日宋文化交流の諸問題』刀江書院 1950
- 『遣唐使』至文堂・日本歴史新書 1955
- 『人身売買 海外出稼ぎ女』至文堂・日本歴史新書 1959
- 『日本の歴史 鎌倉武士 鎌倉時代』ポプラ社 1969
- 『日本の歴史 南北朝のあらそい 室町時代』ポプラ社 1969
- 『森克己著作選集』全6巻 国書刊行会、1975-76
- 第1巻 日宋貿易の研究 新訂
- 第2巻 続・日宋貿易の研究
- 第3巻 続々・日宋貿易の研究
- 第4巻 日宋文化交流の諸問題 増補.
- 第5巻 史苑逍遥 1976
- 第6巻 満洲事変の裏面史
- 『新編森克己著作集』全4巻 勉誠出版、2008-11
- 第1巻 日宋貿易の研究 2008
- 第2巻 日宋貿易の研究 続 2009
- 第3巻 日宋貿易の研究 続続 2009
- 第4巻 増補日宋文化交流の諸問題 2011
記念論集
出典
- 『長野県人名鑑』信濃毎日新聞社、1974年