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[[秋田県]]生まれ。[[1971年]](昭和46年)[[一橋大学法学部]]卒業。[[河村錠一郎]]門下。[[1975年]](昭和50年)[[東京都立大学 (1949-2011)]][[大学院]][[人文科学]]研究科[[英文学]]専攻博士課程中退。東京都立大学人文学部助教授、同教授、[[首都大学東京]]基礎教育センター教授を経て、[[駒沢大学]]文学部教授。[[日本学術会議]]特任連携会員<ref>http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-h166-3.pdf 日本学術会議</ref>、一般財団法人[[日本英文学会]]の設立時の[[評議員]]<ref>[http://www.elsj.org/statute1.html]日本英文学会</ref>などを務めた。[[イギリス|英国]]および[[アイルランド]]の[[詩]]が専門<ref>[https://allreviews.jp/review/921 「書評/解説/選評『ロココからキュビスムへ―18~20世紀における文学・美術の変貌』(河出書房新社)」]</ref>。 |
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==著書== |
==著書== |
2020年3月25日 (水) 00:49時点における版
加藤 光也(かとう みつや、1948年 - )は、日本の英文学者。首都大学東京教授を経て駒澤大学教授。日本学術会議特任連携会員。
経歴
秋田県生まれ。1971年(昭和46年)一橋大学法学部卒業。河村錠一郎門下。1975年(昭和50年)東京都立大学 (1949-2011)大学院人文科学研究科英文学専攻博士課程中退。東京都立大学人文学部助教授、同教授、首都大学東京基礎教育センター教授を経て、駒沢大学文学部教授。日本学術会議特任連携会員[1]、一般財団法人日本英文学会の設立時の評議員[2]などを務めた。英国およびアイルランドの詩が専門[3]。
著書
編著
翻訳
- ロシアに届かなかった手紙 ウラジーミル・ナボコフ 集英社 1981年12月
- ベッドのなかで イアン・マッキューアン 富士川義之共訳 集英社 1983年12月 (現代の世界文学)
- ラフカディオ・ハーン著作集 第8巻 詩の鑑賞 篠田一士共訳 恒文社 1983年6月
- ベンドシニスター ウラジミール・ナボコフ 1986年11月 (サンリオ文庫) 。みすず書房 2001年
- ガリバー旅行記 ジョナサン・スウィフト 講談社 1988年9月 (少年少女世界文学館)、新版2010年。講談社青い鳥文庫 1992年
- 若き日の芸術家の肖像 ジョイス 集英社ギャラリー「世界の文学」4 集英社 1991年2月
- 太陽を見つめて ジュリアン・バーンズ 白水社 1992年12月 (新しいイギリスの小説)
- ヴィクトリア朝の宝部屋 ピーター・コンラッド 国書刊行会 1997年3月 (異貌の19世紀)
- 夜ごとのサーカス アンジェラ・カーター 国書刊行会 2000年9月