コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「稲垣栄三」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 首都大学東京関連1(リンクの修正、カテゴリ修正) - log
1行目: 1行目:
'''稲垣 栄三'''(いながき えいぞう、[[1926年]][[6月29日]]-[[2001年]][[3月6日]])は、建築史家、[[東京大学]]名誉教授。
'''稲垣 栄三'''(いながき えいぞう、[[1926年]][[6月29日]]-[[2001年]][[3月6日]])は、建築史家、[[東京大学]]名誉教授。
[[山形県]]出身。府立六中(現[[都立新宿高等学校]])を経て東京大学工学部卒。1961年「明治時代における西洋建築導入過程に関する研究」で[[工学博士]]。[[太田博太郎]]、[[堀口捨己]]に師事。[[東京都立大学]]助手、東大工学部助教授、73年教授。87年定年退官、[[明治大学]]教授。69年神社建築史の研究で建築学会賞。著作「日本の近代建築」で近代建築の始まりを大正時代とする説を唱えた。
[[山形県]]出身。府立六中(現[[都立新宿高等学校]])を経て東京大学工学部卒。1961年「明治時代における西洋建築導入過程に関する研究」で[[工学博士]]。[[太田博太郎]]、[[堀口捨己]]に師事。[[東京都立大学 (1949-2011)]]助手、東大工学部助教授、73年教授。87年定年退官、[[明治大学]]教授。69年神社建築史の研究で建築学会賞。著作「日本の近代建築」で近代建築の始まりを大正時代とする説を唱えた。


== 著書 ==
== 著書 ==

2020年3月25日 (水) 00:58時点における版

稲垣 栄三(いながき えいぞう、1926年6月29日2001年3月6日)は、建築史家、東京大学名誉教授。 山形県出身。府立六中(現都立新宿高等学校)を経て東京大学工学部卒。1961年「明治時代における西洋建築導入過程に関する研究」で工学博士太田博太郎堀口捨己に師事。東京都立大学 (1949-2011)助手、東大工学部助教授、73年教授。87年定年退官、明治大学教授。69年神社建築史の研究で建築学会賞。著作「日本の近代建築」で近代建築の始まりを大正時代とする説を唱えた。

著書

1、神社建築史研究 1 2006.10
2、神社建築史研究 2 2008.8
4、茶室・数寄屋建築研究 2006.10
3、住宅・都市史研究 2007.8
6、近代建築史研究 2007.6
7、歴史的環境保存論 2009.7
5、日本の近代建築 2009.9

共編著

記念論集

  • 建築史論叢 / 稲垣栄三先生還暦記念論集刊行会 中央公論美術出版 1988.10

参考

  • 稲垣榮三先生を偲ぶ〔含 年譜・著作目録〕鈴木博之「建築史学」2001-09
  • 日本人名大辞典