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'''穂刈 四三二'''(ほかり しさんじ、[[1908年]][[3月28日]] - [[2004年]][[1月2日]])は日本の[[数学者]]である。[[東京都立大学 (1949-2011)]]名誉教授、元[[城西大学]]学長。


高校数学教育において業績を残している。
高校数学教育において業績を残している。
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* 昭和20年(1945年)03月01日、叙[[従六位]]。
* 昭和20年(1945年)03月01日、叙[[従六位]]。
* 昭和22年(1947年)04月01日、大学制度審議委員、大学院卒に「修士」の名称をみずから提案、制度化される。
* 昭和22年(1947年)04月01日、大学制度審議委員、大学院卒に「修士」の名称をみずから提案、制度化される。
* 昭和24年(1949年)04月01日、[[東京都立大学|東京都立大]]開校と同時に同大学教授に就任<ref>http://www.math.sci.hokudai.ac.jp/general/history_kaisetsu.php</ref>、新制大学設置準備委員会から他に複数の新制大学にも招聘されたが、子供の教育上断る。「4人の子供を希望する学校へ進学させ勉学させるためには、下宿生活が必要。給料生活の私には不可能」と考えた。東京都公立学校委員に就任。
* 昭和24年(1949年)04月01日、[[東京都立大学 (1949-2011)|東京都立大]]開校と同時に同大学教授に就任<ref>http://www.math.sci.hokudai.ac.jp/general/history_kaisetsu.php</ref>、新制大学設置準備委員会から他に複数の新制大学にも招聘されたが、子供の教育上断る。「4人の子供を希望する学校へ進学させ勉学させるためには、下宿生活が必要。給料生活の私には不可能」と考えた。東京都公立学校委員に就任。
* 昭和24年(1949年)09月10日、札幌から東京都[[杉並区]]西田町1丁目772番地に住居を移転。
* 昭和24年(1949年)09月10日、札幌から東京都[[杉並区]]西田町1丁目772番地に住居を移転。
* 昭和28年(1953年)04月01日、[[東京工業大学]]非常勤講師。
* 昭和28年(1953年)04月01日、[[東京工業大学]]非常勤講師。

2020年3月25日 (水) 01:08時点における版

穂刈 四三二(ほかり しさんじ、1908年3月28日 - 2004年1月2日)は日本の数学者である。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授、元城西大学学長。

高校数学教育において業績を残している。

ファイル:432HokariPhoto.jpg
   城西大学長時代

生い立ち

  • 明治41年(1908年)3月13日、新潟県三島郡来迎寺村大字西野2525番地にて久太郎 [慶応3年(1867年)6月14日生、昭和8年(1933年)4月31日死、享年66] とトリ [明治14年(1881年)1月13日生、昭和36年(1961年)7月29日死、享年80] の二男として生れる。久太郎トリ夫妻の子供として4人目、1人乳幼児で病死し生きている子では3人目、男では2人目(二男)となることから四三二の名前が付けられた。後に、6人兄弟となる。親も四三二と名付けた子が数学者になるとは思わなかった。
  • 大正08年(1919年)3月31日、義務教育の来迎寺村尋常小学校を卒業。地主の子だけが進学する時代、学校に行かず野良仕事が通例の小作人の子として、野良で鍬を入れる車を押しながら本を読んで勉強、それを見た親が例外的に3キロ離れた隣村の浦村高等小学校(尋常高等小学校)高等科に進学させる。
  • 大正10年(1921年)3月31日、浦村高等小学校(尋常高等小学校)高等科卒業。
  • 大正10年(1921年)8月25日、親に頼れず自宅近くの知り合いの小料理屋から借金、田舎のぼろ服のまま、ただ独り家出同然で上京、浅草寿町で針仕事をしていた姉きく(3歳上、当時16歳)が住む叔母の家の前をうろうろ、叔母が「あれ、よっちゃんじゃない?」と発見、きくが家に連れ帰る。叔母の夫が働く東京電灯(現東京電力)で給仕(お茶汲み)の仕事を得、課長に気に入られ「そんなに勉強が好きなら給仕の仕事はいいから、その間勉強をしなさい」と言われ、勉強を始める。針仕事の女性達が働いている後ろで独り勉強を続ける。 姉きくの結婚後も居候し、姉のお陰で進学を決意、東京開成予備学校3年終了。
  • 大正15年(1926年)04月01日、東京物理学校(現東京理科大学)数学科入学。
  • 昭和03年(1928年)03月31日、東京物理学校数学科卒業、学業優良につき中村・三守賞を受領。
  • 昭和04年(1929年)04月01日、東京府私立南足立中学校教諭。
  • 昭和05年(1930年)01月、文部省中等教員数学検定試験合格。師範学校中学校高等女学校教員試験検定合格、数学科教員免許状を受ける。
  • 昭和05年(1930年)02月、東京物理学校の恩師森本清吾先生から呼ばれ、「北大に理学部が出来る。親友の河口商次君(当時27歳)が数学担当として選抜された。助手の世話を頼まれたので行ってくれ」と紹介状を貰う。
  • 昭和05年(1930年)03月31日、東京府私立南足立中学校退職。
  • 昭和05年(1930年)04月01日、上野発夜行急行列車で26時間かけて札幌へ、残雪、交通手段は馬車、その馬糞が道路にいっぱい。北海道帝国大学理学部助手、欧文タイプの練習を始め、図書カード作りを手伝う。
  • 昭和06年(1931年)04月05日、吉田、河口、功力先生の講義を聞き、物理学校時代の数学はほんの序の口だったことを悟り、また、物理学校卒だけでは学歴不足を認識し、北海道帝国大学理学部助手を1年で辞し、北海道帝国大学理学部数学科第2期生として入学。
  • 昭和06年(1931年)12月31日、札幌商業教諭。学資不足を補う為、大学の授業のない土曜日に4時間担当。
  • 昭和07年(1932年)11月01日、奈良女高等師範卒で北海道大学理学部数学教室聴講生だった黒須静江(黒須卯之助とミキの二女として明治39年3月28日生まれ、四三二の2歳年上)と札幌郡藻岩村で(学生)結婚。
  • 昭和09年(1934年)03月31日、北海道大学理学部数学科卒業(1年上に堀内義和先生在籍)、同助手。
  • 昭和09年(1934年)05月01日、長女尚子生まれる。
  • 昭和09年(1934年)08月31日、札幌第二中学校教諭を辞する。
  • 昭和10年(1935年)07月17日、長女尚子、食中毒で死去。
  • 昭和10年(1935年)09月11日、長男恵一生まれる。
  • 昭和13年(1938年)、上司河口商次教授がテンソル学会を創立して機関紙「テンソル」を出版するに際し協力を要請される。戦時で出版用の紙が高騰たため、その出版資金調達の為に河口教授が洋書の海賊版を会員に販売したことに猛反対、テンソル学会を除名される。
  • 昭和13年(1938年)02月22日、二男俊次生まれる。
  • 昭和14年(1939年)06月30日、北海道帝国大学理学部講師。
  • 昭和14年(1939年)09月03日、同助教授。叙高等官七等。
  • 昭和14年(1939年)10月01日、叙従七位
  • 昭和14年(1939年)10月11日、「微分幾何学の研究」により理学博士の学位を取得。
  • 昭和15年(1940年)05月18日、高等学校高等科教員無試験検定合格者として教員免許状取得。
  • 昭和15年(1940年)09月03日、北海道帝国大学助教授。河口教授から転勤の話があったが断る。その後同教授との関係悪化。東京方面に転出する決心をするが他言しなかった。教授会で河口教授が「穗刈助教授は以前転任問題でごたごたしたので教授に推薦しない」と発言あり、東京での就職を模索。数学科の教授・助教授も全員他の大学へ転出。
  • 昭和17年(1942年)07月29日、三男尚道生まれる。
  • 昭和19年(1944年)07月12日、四男孝史生まれる。
  • 昭和19年(1944年)01月31日、叙高等官五等。
  • 昭和20年(1945年)03月01日、叙従六位
  • 昭和22年(1947年)04月01日、大学制度審議委員、大学院卒に「修士」の名称をみずから提案、制度化される。
  • 昭和24年(1949年)04月01日、東京都立大開校と同時に同大学教授に就任[1]、新制大学設置準備委員会から他に複数の新制大学にも招聘されたが、子供の教育上断る。「4人の子供を希望する学校へ進学させ勉学させるためには、下宿生活が必要。給料生活の私には不可能」と考えた。東京都公立学校委員に就任。
  • 昭和24年(1949年)09月10日、札幌から東京都杉並区西田町1丁目772番地に住居を移転。
  • 昭和28年(1953年)04月01日、東京工業大学非常勤講師。
  • 昭和28年(1953年)06月01日、東京都立大学評議員。
  • 昭和30年(1955年)この年から旺文社大学受験対策シリーズ「傾向と対策」の数学関連を毎年執筆。
  • 昭和31年(1956年)10月01日、地方自治法施行規定第16条の規定により叙級廃止となる。
  • 昭和32年(1957年)05月05日、長男恵一、急性肺炎で死去。
  • 昭和34年(1959年)10月01日、東京都公立学校長に就任、東京都立大学付属高等学校長。
  • 昭和34年(1959年)10月15日、数学で高等学校教諭一級普通免許状及び中学校教諭一級普通免許状取得。
  • 昭和35年(1960年)12月01日、大学設置審議会委員。
  • 昭和37年(1962年)04月01日、愛知工業大学電気工学科非常勤講師。
  • 昭和38年(1963年)03月31日、愛知工業大学電気工学科非常勤講師を辞す。
  • 昭和39年(1965年)01月01日、American Mathematical Society会員。
  • 昭和46年(1971年)04月01日、城西大学教授、同大学理学部長。
  • 昭和46年(1971年)06月15日、東京都立大学名誉教授
  • 昭和46年(1971年)07月24日、荻窪の自宅用借地172坪を菊野正隆氏から購入、その後、西側15坪を自宅裏の土地用の通路として売却、藤田氏購入、残り157坪。
  • 昭和52年(1977年)08月03日、日本数学教育学会名誉会員。
  • 昭和53年(1978年)04月01日、城西大学学長。
  • 昭和55年(1980年)04月01日、城西大学名誉学長。
  • 昭和57年(1982年)04月01日、城西大学名誉教授。
  • 昭和57年(1982年)08月08日、妻静江、乳ガン起因の多臓器ガンで死去、享年76。
  • 昭和60年(1985年)旺文社大学受験対策シリーズ「傾向と対策」の数学関連を終了。
  • 昭和62年(1987年)04月15日、勲三等旭日中綬章、日本数学会「幾何学賞」創設メンバーに就任。
  • 平成12年(2000年)07月01日、東京都町田市の有料老人ホームのサンシティ町田に入居。
  • 平成16年(2004年)01月02日、午後7時42分、肺炎で死去、享年95。

業績

  • 「入試問題からみた高校の数学教育 (高等学校第6分科会 大学入試) 日本数学教育会誌. 臨時増刊, 總会特集号 48, 273, 1966-12-15
  • 「数学科教育課程研究委員会についての報告 : 3. 昭和41年度の大学入試に関する懇談会 (高等学校部会総会) 」日本数学教育会誌. 臨時増刊, 總会特集号 47, 301-302, 1965-12-15
  • 「高等学校第9分科会 大学入試 : III. 高等学校部会 」日本数学教育会誌. 臨時増刊, 總会特集号 41, 246-253, 1959-11-01
  • 「運動について」日本数学教育会誌 38(3), 50-55, 1956
  • 「大学入試問題について」日本数学教育会誌 38(1), 15, 1956
  • 昭和30年(1955年)~昭和60年(1985年)、大学受験対策シリーズ旺文社「大学入試 傾向と対策シリーズ」で数学関連を毎年執筆、文化放送とラジオたんぱをキー局とした大学受験生用の旺文社ラジオ講座で英語のジェームズ・B・ハリスと並んで数学の穂刈四三二は人気があった。
  • なお、座談会でのコメントなどは、右記リンクを参照。:http://www.math.sci.osaka-u.ac.jp/shijodanwakai/html/h71_HokariYosaji.html

著作

  • 「テンソルの理論とその応用-リーマン幾何学への道」(考え方研究社 1943)
  • 「空間の全貌」(北方出版社 理学モノグラフ第5 1947)
  • 解析幾何学」(東海書房 東海数学叢書第16 1948)
  • 「直線と円」(東海書房 新高等数学叢書第18-19 1951)
  • 代数学及び幾何学」(養賢堂 山本生三と共編 1952)
  • 「問題解法 三角法辞典」(共立出版 新倉秀雄と共著 1953)
  • 「問題解法 解析辞典」(共立出版 笹部貞市郎と共著 1953)
  • 「数学公式集」(高橋書店 平野智治、笹井昭孝と共著 1954)
  • 「式の変形」(共立出版 須田定則と共著 1954)
  • 「基礎解析Ⅱ 問題集」(宝文館 新倉秀雄、磯野幸と共著 1954)
  • 「不等式」(共立出版 木内誠と共著 1954)
  • 「直線図形」(共立出版 須田定則と共著 1954)
  • 「三角函数」(共立出版 新倉秀雄と共著 1954)
  • 「基礎解析I 問題集」(宝文館 新倉秀雄、磯野幸と共著 1954)
  • 「幾何学演習-大学教課」(養賢堂 本部均と共著 1955)
  • 「平面球面三角法」(共立出版 基礎数学口座3 1955)
  • 「軌跡と作図-高校数学研究選書第15」(共立出版 中江忠司と共著 1955)
  • 「円とその応用」(共立出版 須田貞之と共著 1955)
  • 「幾何学要論-大学教課」(養賢堂 本部均と共著 1955)
  • 「平面球面三角法演習」(共立出版 1955)
  • 微分とその応用」(共立出版 新倉秀雄と共著 1955)
  • 「立体幾何」(共立出版 秋谷照之助と共著 1955)
  • 「整数論」(共立出版 稲葉栄次と共著 1956)
  • 「大学教課 代数学及幾何学」(養賢堂 山本生三と共著 1957)
  • 「問題解法 幾何辞典」(共立出版 新倉秀雄と共著 1957)
  • 「幾何」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1957)
  • 「一般数学」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1957)
  • 「数I代数の研究」(旺文社 本部均と共著 1958)
  • 「数Ⅱの研究」(旺文社、本部均と共著 1958)
  • 「問題解法 数学Ⅲ辞典」(共立出版 新倉秀雄と共著 1958)
  • 「数Ⅰ幾何の研究」(旺文社 本部均と共著 1958)
  • 「解析I~Ⅱ」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1958)
  • 「順列・組合せと確率」(共立出版 新倉秀雄と共著 1958)
  • 「学生数学ハンドブック」(共立出版 本部均、玉木和之と共編 1959)
  • 「代数幾何融合問題の解き方」(旺文社 本部均と共著 1960)
  • 「数Ⅱの盲点征服」(旺文社 1960)
  • 「数Ⅱの総合整理」(旺文社 1961)
  • 「問題解法 代数辞典 数学I・II」(共立出版 新倉秀雄と共著 1961)
  • 「数Ⅰ代数の研究(増補改訂版)」(本部均と共著。1958の改訂版)
  • 「数Ⅰ幾何の研究 増改訂版)」(本部均と共著。1958の改訂版)z
  • 「数Ⅱの研究」(旺文社 1961。1958の改訂版)
  • 「図形の性質」(共立出版 1962)
  • 「問題解法 数学辞典 数学I」(共立出版 新倉秀雄と共著 1963)
  • 「高等学校数学I」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1963)
  • 「中学数学公式集」(高橋書店 平野智治、笹井昭孝と共著 1964)
  • 「問題解法 数学辞典 新制数学Ⅱ」(共立出版 新倉秀雄と共著 1964)
  • 「式とグラフと三角法 市民の数学第4」(共立出版 1964)
  • 「高等学校応用数学」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1964)
  • 指数関数対数関数」(共立出版 玉木和之と共著 1965)
  • 「微分と積分」(共立出版 中田安正と共著 1965)
  • 「数Ⅲの研究」(旺文社 1965)
  • 微分幾何」(至文堂 近代数学新書 1965)
  • 「順列・組合せと確率」(共立出版 新倉秀雄と共著 1965)
  • 数列級数」(共立出版 新倉秀雄と共著 1965)
  • 三角関数」(共立出版 新倉秀雄と共著 1965)
  • 「行列式」(共立出版 数学ワンポイント双書13 1966)[2]
  • 微分方程式」(共立出版 小西勇雄、田島一郎、小林善一、中谷太郎、矢野健一郎と共編、石原繁著 1966)
  • 「問題解法 数学辞典 数学Ⅲ」(共立出版 新倉秀雄と共著 1967)
  • 「微積分とその応用」(共立出版 須田定則と共著 1967)
  • 「数ⅡBの研究」(旺文社 1967)
  • 「中学数学公式の活用」(旺文社 監修 1967)
  • 「微積分の基礎」(共立出版 石原滋、田島一郎、小林善一、中谷太郎、矢野健一郎と共編 1967)
  • 「高等学校応用数学」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1967)
  • 「高等学校数学I」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1967)
  • 「高等学校数学ⅡA~B」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1967)
  • 「線形計画法」(共立出版 小林善一、田島一郎、中谷太郎、矢野健太郎と共編、千住鎮雄著 1967)
  • 「確率」(共立出版 小林善一、田島一郎、中谷太郎、矢野健太郎と共編、渡部隆一著 1967)
  • ベクトル-新しい数学へのアプローチ3」(共立出版 1968)
  • 「電子計算機-新しい数学へのアプローチ15」(共立出版 小林善一、田島一郎、中谷太郎、矢野健太郎と共編 1968)
  • 「論証と空間図形」(共立出版 秋谷守徹と共著 1968)
  • 「高等学校数学I」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1968)
  • 「高等学校数学I:教授資料」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1968)
  • 「高等学校数学Ⅱ」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1968)
  • 「高等学校数学Ⅱ:教授資料」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1968)
  • 「高等学校数学Ⅲ」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1968)
  • 「高等学校数学Ⅲ:教授資料」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1968)
  • 「共立数学公式 ―附関数表―」(共立出版 泉信一、近藤基吉、永倉俊充と共著 1969)[3]
  • 「電子計算機-Fortran・Argolとその応用-」(共立出版 小林善一、田島一郎、中谷太郎、矢野健太郎と共編、刀根薫、恒川純吉共著 1968)[4]
  • 「高等学校応用数学」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1969)
  • 「高等学校数学I」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1969)
  • 「線形代数」(共立出版 小林善一、田島一郎、中谷太郎、矢野健太郎と共編 1970)
  • 「高等学校数学ⅡA~B」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1971)
  • 「高等学校数学Ⅱ」(日本書院 泉信一、近藤基吉と共著 1971)
  • 「新しい代数」(共立出版 本部均、田島一郎、小林善一、中谷太郎、矢野健一郎と共編 1969)[5]
  • 「高校ベストコース 数学I」(学習研究社 1973)
  • 「高校ベストコース 数学Ⅲ」(学習研究社 1973)
  • 「現代数学入門事典」(共立出版 ジャン・ルイ・ブルサン著、加藤勝と共訳 1976)[6]
  • 「数学I: 教科傍用:基礎から応用まで」(正高社 1976)
  • 「高等学校数学Ⅰ」(秀文出版 1979)
  • 「数学Iの精解―完全征服」(ライオン社 1979)
  • 「高等学校数学Ⅱ」(秀文出版 1980)
  • 「数学ⅡBの精解-完全征服」(ライオン社 1980)
  • 「高等学校数学Ⅱ・教授資料」(秀文出版 1980)
  • 「高等学校数学Ⅲ」(秀文出版 1981)
  • 「数学Ⅲの精解―完全征服 (ライオンBooks)」(ライオン社 1981)
  • 「新ベストコース 代数・幾何」(学習研究社 1982)
  • 「教科書がよくわかる数学I(新ベストコース)」(学研研究社 1982)
  • 「教科書がよく分かる基礎解析(新ベストコース)」(学研研究社 1982)
  • 「教科書がよくわかる代数・幾何I(新ベストコース)」(学研研究社 1983)
  • 「高看・医療技術受験 数学の解き方」(正高社 1992)

論文

  • On a sufficient condition for unicity of the solution of differential equation of the nth order(1932)
  • Ueber die Bivektoruebertragung(1934)
  • Ueber die Uebertragungen, die der erweiterten Transformationsgruppe angehoeren, I(1935)
  • Ueber die Uebertragungen, die der erweiterten Transformationsgruppe angehoeren, II(1935)
  • Die Geometrie des Integrals(1936)
  • Winkeltreue Transformationen und Bewegungen im Finslerschen Raume(1936)
  • Die Differentialgeometrie in der speziellen Kawaguchishen Mannigfaltigkeit mit der Massbestimmung von einer bestimte Gestalt(1937)
  • Geometric objectsと平行移動の原理(1937)
  • 河口空間における線素の次数について(1938)
  • 抽象空間における Riemann幾何学について(1938)
  • 抽象空間における接続の幾何学について(1938)
  • Zur neue Behandlung der Geometrie des Systems der gewoehnlichen Differentialgleichungen hoeherer Ordnung(1939)
  • 抽象空間における接続の幾何学(1939)
  • Eine symmertrische, matrische Uebertragung im Kwwaguchischen Raume der Ordnung zwei(1939)
  • Die Kruemmungstheorie im Kawabuchischen Raume der Ordnung zwei(1939)
  • 高次の道の幾何学における接続について(1940)
  • 河口空間に於ける微分幾何学について(1940)
  • Ueber die Geometrie des Systems der partiellen Differential – gleichungen dritter Ordnung(1940)
  • Die Grundlegung der Geometrie der funf-dimensionalen metriscen Raume auf Grind des Begriffs des zwei-dimensionalen Flaecheninhalts(1940)
  • Die Grundlegung der Geometrie der n-dimensionalen metrischen Raume auf Grund des Begriffs der K-dimensionalen Flaechen-inhalts(1940)
  • Die intrinsike Theorie der Geometrie des Systems der partiellen Differentialgleichungen(1940)
  • Die Theorie des Kawaguchischen Raumes mit der Massbestimmung von einer bestimmten Gestalt(1940)
  • Einige Staetze ueber ein System von Pfaffschien Auddruecken und ihre Anwendungen(1941)
  • Staetze ueber ein System von Pfaffschen Ausdruecken in der Mannigfaltigkeit von K-dimensionalen Flaechenelementen und ihre Anwendungen(1941)
  • On the new treatment of the subspaces(1941)
  • 偏微分方程式系の幾何学(1941)
  • 3次の常微分方程式の幾何学について(1941)
  • 髙次偏微分方程式系の幾何学について(1942)

脚注