コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「米田佐代子」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
外部リンク: +{{Normdaten}}
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 首都大学東京関連1(リンクの修正、カテゴリ修正) - log
2行目: 2行目:


== 略歴 ==
== 略歴 ==
[[1934年]]9月3日、6人兄弟姉妹の4番目、次女として東京で生まれる。父親は旧逓信省に勤めていた。[[1950年]]、それまで男子校だった長野北高校に入学。クラスでただ1人の女子だったという。高校2年で父の転勤で都立戸山高校に転入。しかし、[[1952年]]に父が亡くなる。[[1958年]][[東京都立大学]]人文学部(史学専攻)卒業後、同大学助手を経て[[1990年]]より[[山梨県立女子短期大学]]教授、[[2000年]]3月定年退職。専攻は日本近現代女性史。[[平塚らいてう]]を中心に近代日本の女性運動と女性思想を研究した他、女性史を中心にノンフィクション著書多数<ref>「わたしはわたし」佐藤むつみ、法と民主主義2010年1月号</ref>。
[[1934年]]9月3日、6人兄弟姉妹の4番目、次女として東京で生まれる。父親は旧逓信省に勤めていた。[[1950年]]、それまで男子校だった長野北高校に入学。クラスでただ1人の女子だったという。高校2年で父の転勤で都立戸山高校に転入。しかし、[[1952年]]に父が亡くなる。[[1958年]][[東京都立大学 (1949-2011)]]人文学部(史学専攻)卒業後、同大学助手を経て[[1990年]]より[[山梨県立女子短期大学]]教授、[[2000年]]3月定年退職。専攻は日本近現代女性史。[[平塚らいてう]]を中心に近代日本の女性運動と女性思想を研究した他、女性史を中心にノンフィクション著書多数<ref>「わたしはわたし」佐藤むつみ、法と民主主義2010年1月号</ref>。


== 発言・主張 ==
== 発言・主張 ==

2020年3月25日 (水) 01:12時点における版

米田 佐代子(よねだ さよこ、1934年9月3日 - )は、日本の、女性史研究者、ノンフィクション作家。NPO平塚らいてうの会会長。らいてうの家館長。

略歴

1934年9月3日、6人兄弟姉妹の4番目、次女として東京で生まれる。父親は旧逓信省に勤めていた。1950年、それまで男子校だった長野北高校に入学。クラスでただ1人の女子だったという。高校2年で父の転勤で都立戸山高校に転入。しかし、1952年に父が亡くなる。1958年東京都立大学 (1949-2011)人文学部(史学専攻)卒業後、同大学助手を経て1990年より山梨県立女子短期大学教授、2000年3月定年退職。専攻は日本近現代女性史。平塚らいてうを中心に近代日本の女性運動と女性思想を研究した他、女性史を中心にノンフィクション著書多数[1]

発言・主張

  • 婚外子差別の解消や選択的夫婦別姓制度導入を主張。「今、結婚に際して「夫婦同氏」を強制する国はほとんどなくなりました。別姓も連結姓も自由というところも多い。」と述べる[2]

著書

  • 『近代日本女性史』(上下)新日本出版社 1972年 (後に新書)
  • 『婦人論ノート』新日本出版社 1986年
  • 『おかあさん、わたし、そして―これからの女性の生きかた』岩崎書店 1986年
  • 『働くことと子育てと』草土文化 1987年
  • 『ある予科練の青春と死―兄をさがす旅』花伝社 1995年
  • 『おんなの昭和史―平和な明日を求めて』有斐閣 1996年
  • 『子どものとき憲法に出会った―新制中学一期生の戦後体験』かもがわブックレット 1997年
  • 平塚らいてう―近代日本のデモクラシーとジェンダー』吉川弘文館 2002年
  • 『女たちが戦争に向き合うとき―わたし・記憶・平和の選択』ケイ・アイ・メディア 2006年
  • 『らいてうの家 四季ものがたり』平塚らいてうの会 2009
  • 『満月の夜の森で―まだ知らないらいてうに出会う旅』戸倉書院 2012年

共編著

脚注

  1. ^ 「わたしはわたし」佐藤むつみ、法と民主主義2010年1月号
  2. ^ 米田佐代子の「森のやまんば日記」』2013年9月5日

外部リンク