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'''黒田 覚'''(くろだ さとる、[[1900年]] - [[1990年]]<ref name="okamoto">岡本寛「[http://ir.lib.shimane-u.ac.jp/ja/search/item/31969?all=%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%AF%9B 憲法制定権力論の系譜 : 黒田覚と戦後憲法理論]」『島大法学』No.58、島根大学、2015年、pp.113 - 130(内容はページ内の「出版社版PDF」を参照)</ref>)は、[[日本]]の[[法学者]]。[[京都大学]]教授、[[東京都立大学]]教授、[[神奈川大学]]教授および学長代行を務めた。 |
'''黒田 覚'''(くろだ さとる、[[1900年]] - [[1990年]]<ref name="okamoto">岡本寛「[http://ir.lib.shimane-u.ac.jp/ja/search/item/31969?all=%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%AF%9B 憲法制定権力論の系譜 : 黒田覚と戦後憲法理論]」『島大法学』No.58、島根大学、2015年、pp.113 - 130(内容はページ内の「出版社版PDF」を参照)</ref>)は、[[日本]]の[[法学者]]。[[京都大学]]教授、[[東京都立大学 (1949-2011)]]教授、[[神奈川大学]]教授および学長代行を務めた。 |
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== 経歴・人物 == |
== 経歴・人物 == |
2020年3月25日 (水) 01:49時点における版
黒田 覚(くろだ さとる、1900年 - 1990年[1])は、日本の法学者。京都大学教授、東京都立大学 (1949-2011)教授、神奈川大学教授および学長代行を務めた。
経歴・人物
京都市出身[1]。第三高等学校から1923年3月に京都帝国大学法学部を卒業、同年4月より大学院に進む[1]。京都帝大では憲法学・国法学の正系とされる森口繁治に師事[要出典]。
1925年(大正14年)京都帝大法学部助教授に就任した[1]。ドイツ法を専攻し、純粋法学のハンス・ケルゼンと彼が所属したウィーン学派の研究を手がけた[1]。1927年から1930年まで、文部省在外研究員として渡欧し、このときにはケルゼン本人に受講、個人的な親交を結んでいる[1]。しかし、帰国後にケルゼンの影響からは次第に遠ざかったとされる[1]。1936年以降、カール・シュミットの制憲権理論を踏まえ、それに修正を加えた制憲権理論を発表した[1]。
1940年から1947年まで京都大学の憲法学講座を担当した(1940年から1943年までは大西芳雄と分担。帝国憲法第一章、同第二章を黒田覚が担当。大西芳雄の担当は第三章以下。)。
国家緊急権の研究に関して、黒田覚の理論は、「非常大権によって帝国憲法第2章に定められた規定以外をも侵害できる」とした。一方、同門である大西芳雄は非常大権の効力の制限を主張した。[要出典]
1965年、神奈川大学で憲法の教授に就任。1970年7月27日から1971年1月31日まで、神奈川大学学長代行。
著書・訳書
著書
- 『国会法・選挙法』 (林田和博との共著) 有斐閣 1958年
- 『憲法に於ける象徴と主権』 有斐閣 1946年
- 『国防国家の理論』 弘文堂 1941年
訳書
- (ハンス・ケルゼン著)『自然法論と法実証主義』 1974年