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黒田覚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

黒田 覚(くろだ さとる、1900年2月1日 - 1990年12月2日[1][2])は、日本法学者京都大学教授、東京都立大学 教授、神奈川大学教授および学長代行を務めた。

経歴・人物

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京都府京都市出身[2]第三高等学校から1923年3月に京都帝国大学法学部を卒業、同年4月より大学院に進む[2]。京都帝大では憲法学・国法学の正系とされる森口繁治に師事[要出典]

1925年(大正14年)京都帝大法学部助教授に就任した[2]ドイツ法を専攻し、純粋法学のハンス・ケルゼンと彼が所属したウィーン学派の研究を手がけた[2]。1927年から1930年まで、文部省在外研究員として渡欧し、このときにはケルゼン本人に受講、個人的な親交を結んでいる[2]。しかし、帰国後にケルゼンの影響からは次第に遠ざかったとされる[2]。1936年以降、カール・シュミットの制憲権理論を踏まえ、それに修正を加えた制憲権理論を発表した[2]

1940年から1947年まで京都大学の憲法学講座を担当した(1940年から1943年までは大西芳雄と分担。帝国憲法第一章、同第二章を黒田覚が担当。大西芳雄の担当は第三章以下。)。

国家緊急権の研究に関して、黒田覚の理論は、「非常大権によって帝国憲法第2章に定められた規定以外をも侵害できる」とした。一方、同門である大西芳雄は非常大権の効力の制限を主張した。[要出典]

1965年、神奈川大学で憲法の教授に就任。1970年7月27日から1971年1月31日まで、神奈川大学学長代行。

安藤百福の脱税疑惑時には弁護団の結成を支援した。

著書・訳書

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著書

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訳書

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  • (ハンス・ケルゼン著)『自然法論と法実証主義』 大畑書店 1932年 NDLJP:1215792

脚注

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  1. ^ 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.244
  2. ^ a b c d e f g h 岡本寛「憲法制定権力論の系譜 : 黒田覚と戦後憲法理論」『島大法学』No.58、島根大学、2015年、pp.113-130(内容はページ内の「出版社版PDF」を参照)