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「桝田與三郎」の版間の差分

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* 三男・'''[[桝田啓三郎|啓三郎]]'''<ref name="ehime2"/><ref name="jinji15"/>(哲学者、[[東京都立大学 (1949-2011)]]名誉教授)
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2020年3月25日 (水) 02:06時点における版

桝田 與三郎桝田 与三郎[1]、ますだ よさぶろう、1880年明治13年)5月28日[2] - 1951年昭和26年)9月30日[1])は、日本政治家愛媛県会議員[1]商人(生糸屑物商)[3]、愛媛県多額納税者[4]実業家。桝田製糸社長[1][5]。愛媛県製糸業組合長[1]。大洲銀行取締役[1]、同監査役[3]。旧姓・井上

人物

愛媛県西宇和郡三机村(後瀬戸町、現伊方町)大字大江出身[1]。井上安次郎の三男[5]。大江小学校卒業後大洲に来て、呉服雑貨商・河野真太郎方に入り、商いについて学んだ[1]。1899年、桝田家に養子入籍、1901年、生糸繭物売買業を開始し[3]、後桝田商店として蚕糸業に足を踏みこんだ[1]

1915年、若宮に製糸工場を開設「伊予生糸」と称する生糸を生産した[1]1927年、桝田製糸の社長となり、愛媛県製糸業組合長に就任した[1]。また大洲銀行取締役、監査役[3]、町会議員、同議長、喜多郡町村議長会会長、全国町村議長会幹事に就任した[1]1931年、愛媛県会議員に当選した[1]

貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[2]藍綬褒章を授与された[1]

家族・親族

桝田家

愛媛県喜多郡大洲町[6](現大洲市

  • 妻・タカ(愛媛、戸田勘蔵の長女)[5][6]
1882年 -
1899年 -
1902年 -
1904年 - 1990年
1908年 -
1911年 -

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n データベース『えひめの記憶』愛媛県史 人物(平成元年2月28日発行)、愛媛県生涯学習センター公式サイト。
  2. ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』533頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 『愛媛県人物名鑑 第2輯 喜多郡、上浮穴郡、伊予郡之部』喜多郡まの部94-95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月24日閲覧。
  4. ^ 『日本紳士録 第35版附録』附録 全国多額納税者 愛媛県68頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月24日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 下』マ41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月23日閲覧。
  6. ^ a b c d 『人事興信録 第15版 下』マ12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月23日閲覧。

参考文献

  • 『愛媛県人物名鑑 第2輯 喜多郡、上浮穴郡、伊予郡之部』海南新聞社、1923-1924年。
  • 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。