瀬戸町 (愛媛県)
せとちょう 瀬戸町 | |||||
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廃止日 | 2005年(平成17年)4月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 伊方町、瀬戸町、三崎町 → 伊方町 | ||||
現在の自治体 | 伊方町 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 四国地方 | ||||
都道府県 | 愛媛県 | ||||
郡 | 西宇和郡 | ||||
市町村コード | 38443-7 | ||||
面積 | 32.09 km2 | ||||
総人口 |
2,813人 (平成12年 都道府県・市区町村別統計表(一覧表) (Excel)、2000年(平成12年)10月1日) | ||||
隣接自治体 |
西宇和郡伊方町 西宇和郡三崎町 | ||||
町の木 | ウバメガシ | ||||
町の花 | ツワブキ、サザンカ、スミレ | ||||
町の魚 | アジ | ||||
瀬戸町役場 | |||||
所在地 |
〒796-0502 愛媛県西宇和郡瀬戸町三机乙3003番地6 | ||||
座標 | 北緯33度24分54秒 東経132度11分22秒 / 北緯33.41494度 東経132.18956度座標: 北緯33度24分54秒 東経132度11分22秒 / 北緯33.41494度 東経132.18956度 | ||||
ウィキプロジェクト |
瀬戸町(せとちょう)は、愛媛県の南予地方、佐田岬の先端部近くにあった町。2005年(平成17年)4月1日、西宇和郡伊方町、三崎町と合併(新設合併)し、新たに伊方町の一部となった。
地理
[編集]佐田岬半島の先端部近くに位置し、三崎町と伊方町にはさまれている。集落は瀬戸内海側と宇和海側に分かれており、町内の地域間の交通の確保が課題となる。稜線では風況がよく、風力発電が行われ、風車が林立する姿は新しい景観を形成している。
佐田岬半島
佐田岬半島は最も狭くくびれた箇所での幅は1キロメートルに満たないなど細長く、その稜線で瀬戸内海と宇和海を分けている。両岸とも急傾斜地が海に落ち込む地形であり、平地は乏しい。とりわけ瀬戸内海側は曲がりくねった海岸線を形成し、磯海岸が主体ながら三机湾などの入り江も形成している。宇和海側は出入りが少ないが、ほとんどの所で断崖がそのまま海に落ち込んでいるほか、大久、川之浜などの砂浜も存在する。
隣接していた自治体
[編集]- 伊方町
- 三崎町(現: 伊方町)
歴史
[編集]三机湾は、太平洋戦争開戦前に海軍の潜水艦訓練基地として使用された。これは、真珠湾に形が似ているためとされる[1]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)12月25日 - 町村制施行に伴い、以下の2村が成立。
- 1955年(昭和30年)6月1日 - 三机村・四ツ浜村が合併、同時に町制を施行し瀬戸町となる。
- 1975年(昭和50年)1月22日 - 天候不良のため操船を誤った小型タンカー第三岩陽丸(299トン)が志津海岸で座礁。積荷の重油が流出[2]。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 伊方町・三崎町と合併し伊方町となる。
行政
[編集]平成の合併
人口規模や今後の行政運営を考え合わせると「合併は避けて通れない道[要出典]」として、重要な行政課題となった。なお、議論の中で合併の枠組み(町村の組み合わせ)については、瀬戸町では東に隣接する伊方町と行動を共にする[要出典]という基本線に終始した。結局、伊方町・瀬戸町・三崎町の3町の新設合併となったが、合併後の名称は旧3町の一つと同じ伊方町となったほか、役場も原子力発電所があり財政力を有している[要出典]旧伊方町内に置かれることとなった。
社会
[編集]姉妹都市
[編集]集落
[編集]集落は瀬戸内海側と宇和海側とに分かれるが、役場などがあるのは瀬戸内海側の三机(みつくえ)集落である。ここには、主要な行政関係施設が集積しているほか、小さいながら商店街も形成されている。
教育
[編集]中学校
- 瀬戸町立瀬戸中学校[3]
小学校
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]国道
県道
- 町内に主要県道はない。
観光
[編集]観光地・名所
- 瀬戸町農業公園
- 須賀公園 - キャンプ場、旧九軍神碑
- 大久海水浴場
- 川之浜海水浴場
名産