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河野兵市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

河野 兵市(こうの ひょういち、1958年4月12日 - 2001年5月17日頃)は、日本冒険家。日本人初の北極点単独徒歩到達。愛媛県西宇和郡瀬戸町(現伊方町)出身。 日本アドベンチャーサイクリストクラブ永久会員。

経歴

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最後の冒険のルートを示した記念の案内板
冒険した場所の方角と距離を示す道標

愛媛県立三崎高等学校卒業。1978年の自転車での日本一周の後、北米南米を走破する。1982年、冒険家植村直己の影響を受けアラスカユーコン河フォートユーコンからベーリング海までゴムボートで旅をする。また、登山経験は殆ど無かったものの、ニューヨークアルバイトをしながら、日本人の登山家に弟子入りし、登山のノウハウを学び、1983年、北米大陸最高峰のマッキンリーの登頂に成功。 

その後、南米最高峰のアコンカグア等の山々の登頂に成功。ヒマラヤ8000メートル峰ナンガ・パルバット登山時に、落氷を顔面に受け下山。上唇部に傷が残った為、鼻ひげを伸ばし始めた。

1990年、アフリカ大陸では荷物を詰めたリヤカーを引きながらサハラ砂漠を徒歩で縦断。リヤカーのアイデアは、自転車での冒険から着想。

日本に帰国後、ナンガ・パルバットで知り合った順子と結婚。一男一女の子宝に恵まれる。

1997年、39歳のときに日本人初の北極点単独徒歩到達に成功。

その後、2001年北極点から地元佐田岬半島まで徒歩等により5年がかりで帰還する『河野兵市リーチングホーム2001』を計画し、3月26日に北極点を出発。5月17日に最後の交信を行った後、発信地から南東へ約13キロ離れた地点(北緯83度49分、西経74度34分)で北極海の氷の割れ目に転落し死亡。5月24日、ソリと共に遺体が発見された[1][2]

小惑星(8552)兵市は、彼にちなんで命名された。

著書

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関連著書

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  • 愛媛新聞社編 『特別速報グラフ:河野兵市アドベンチャーワールド〜北極点を踏んだ男〜』(愛媛新聞社,1997年)
  • 坪井伸吾著 『僕流その日暮らし:世界一周ライダーのめげない人生術』(窓社,2002年)ISBN 9784896250398
  • 河野順子著 『絆:河野兵市の終わらない旅と夢』(河出書房新社,2002年)ISBN 9784309265599
  • 埜口保男著 『みかん畑に帰りたかった:北極点単独徒歩日本人初到達・河野兵市の冒険』(小学館,2003年)ISBN 4-09-379228-3

出演番組

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テレビ番組

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  • 『たったひとりの北極点〜冒険家 河野兵市さんの60日〜』NHK(1997年6月15日)
  • 『終わらない旅〜河野兵市・2001年への挑戦〜』愛媛朝日テレビ(1999年11月4日)

ラジオ番組

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  • 『河野兵市のドリームアドベンチャー』南海放送(1997年7月6日 - 1997年10月12日)

脚注

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外部リンク

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