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2020年4月1日 (水) 00:38時点における版

村松 修(むらまつ おさむ、1949年 - )は日本プラネタリウム解説員で、アマチュア天文家である。

人物・経歴

東京都出身。子供の頃より東京都渋谷区天文博物館五島プラネタリウムに通い詰める[1]東京都立工業短期大学(現・首都大学東京)卒業後、五島プラネタリウムに技術係として就職するが、高校生の頃から天文ファンだったこともあって、解説員も兼ねることになった。五島プラネタリウム閉館後は渋谷区ケアコミュニティ・桜が丘の渋谷区五島プラネタリウム天文資料室に勤務する傍ら、フリーの天文解説員としての活動も続けていた。その後コスモプラネタリウム渋谷が開館したことに伴い、同館の解説員となった[2]

プラネタリウム解説員としての活動と並行して小惑星番号3432番の小淵沢を始め、小淵沢町において、井上傑浦田武とともに1986年から多数の小惑星を発見した[1]

また、1993年には周期彗星串田・村松彗星も発見した[1]。1994年、木星シューメーカー・レヴィ第9彗星が衝突すると事を中野主一と共に計算し世界で最初に予報・指摘した[3]

1995年10月の日本天文学会秋季年会(於:新潟大学)において周期彗星串田・村松彗星が木星と接近して一時的に捕獲されたことをポスター

発表(太陽系 L09c)を行った。村松が作成したn体数値積分計算プログラムで串田・村松彗星の発見前の軌道変化を追いかけている中で、1952年6月に木星と0.0084AUまで接近して一時的に木星に捕獲された状況を経て現在の軌道に至ることを発表したもの。

参考文献

脚注・出典