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'''なかやん'''([[1990年|1989年]][[8月3日|1月2日]] - )は、日本の[[俳優]]・[[タレント]]。[[タッタタ探検組合]]・株式会社みんなのSに所属。

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== 目次 ==

* 1来歴
** 1.11989年 - 2015:生い立ち、芸能界入り
* 2人物
* 3出演
** 4.2テレビドラマ
** 4.3映画
** 4.5CM
** 4.7舞台
* 5脚注
** 5.1注釈
** 5.2出典

== 来歴 ==

=== 1989年 - 2015年:生い立ち、芸能界入り ===
1989年1月2日に[[新宿区|東京都新宿区]]で生まれた。父は地元・新宿区の[[小学校教員|床屋]]。 [[新宿区立戸山中学校|新宿区立外山小学校]]、[[法政大学第一中・高等学校|法政大学第一中学校]](現[[法政大学中学校・高等学校|法政大学中学校]])、 [[法政大学第一中・高等学校|法政大学第一高校]](現[[法政大学中学校・高等学校|法政大学高等学校]])を卒業。小学生時代は、自主的に校内で[[新聞|さたまる新聞]]を発行。常にクラスや学年では中心人物であった。大学は付属の[[法政大学]][[経済学部]][[現代ビジネス|現代ビジネス学科]]に入学。[[サッカー]]は小学校から続けており、大学1年でサッカー[[サークル]]を創設。大学時代は[[ゼミナール|ゼミ]]には入らず、その分の単位を前情報のない科目にて一人で取得していた。サッカーは10年以上続けていたが、一度も好きにはならず、上手くもならなかった。本人曰く「サッカーそのものではなく、友人との過ごし方として楽しかったから続けているだけ」とのこと。

その後IT企業の営業に就職するが、1年で退職。会社員時代は営業成績最短トップなどの記録を出したが、ボーナスが契約の100分の1しか入らなかったため、退職することにした。子供の頃からなりたかった[[芸能人]]という[[職業]]を本格的に目指す。

当時の彼女から、「[[ワタナベエンターテインメントカレッジ]]という養成所がある」と勧められて、[[2013年]]同校に入学した。当時はお笑いに興味があり、[[タレント]]を目指していたため、バラエティタレントコースに入った。役者については全く考えていなかったが、校内の自主舞台へ同期[[アクター]]コースから誘われたことをきっかけに、芝居に興味を持つ。卒業間近に「最初からタレントの人はおらず、なにかで顔を売ってからでないとなれない」と気づき、入学時のお笑いではなく役者を選択する。

同校を[[2015年]][[9月]]に卒業したあと、[[フリー]]で活動する中、同期のダンサーORAの紹介もあって劇団[[タッタタ探検組合]]の舞台を観劇する。元々は[[劇団]]は貧乏くさいから入りたくねいと考えていたが、「この劇団なら入りたいと考え、客演(所属でない外部の役者)での出演を経て劇団所属となる。現在は株式会社みんなのSにて芸能活動全般を行っている。

芸名のなかやんは、「小学校からの[[愛称|ニックネーム]]で、友人に浸透し過ぎているため本名では周りに宣伝し辛い」との理由から、ニックネームをそのまま芸名とした。
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2020年4月6日 (月) 10:19時点における版


なかやん1989年1月2日 - )は、日本の俳優タレントタッタタ探検組合・株式会社みんなのSに所属。


目次

  • 1来歴
    • 1.11989年 - 2015:生い立ち、芸能界入り
  • 2人物
  • 3出演
    • 4.2テレビドラマ
    • 4.3映画
    • 4.5CM
    • 4.7舞台
  • 5脚注
    • 5.1注釈
    • 5.2出典

来歴

1989年 - 2015年:生い立ち、芸能界入り

1989年1月2日に東京都新宿区で生まれた。父は地元・新宿区の床屋新宿区立外山小学校法政大学第一中学校(現法政大学中学校)、 法政大学第一高校(現法政大学高等学校)を卒業。小学生時代は、自主的に校内でさたまる新聞を発行。常にクラスや学年では中心人物であった。大学は付属の法政大学経済学部現代ビジネス学科に入学。サッカーは小学校から続けており、大学1年でサッカーサークルを創設。大学時代はゼミには入らず、その分の単位を前情報のない科目にて一人で取得していた。サッカーは10年以上続けていたが、一度も好きにはならず、上手くもならなかった。本人曰く「サッカーそのものではなく、友人との過ごし方として楽しかったから続けているだけ」とのこと。

その後IT企業の営業に就職するが、1年で退職。会社員時代は営業成績最短トップなどの記録を出したが、ボーナスが契約の100分の1しか入らなかったため、退職することにした。子供の頃からなりたかった芸能人という職業を本格的に目指す。

当時の彼女から、「ワタナベエンターテインメントカレッジという養成所がある」と勧められて、2013年同校に入学した。当時はお笑いに興味があり、タレントを目指していたため、バラエティタレントコースに入った。役者については全く考えていなかったが、校内の自主舞台へ同期アクターコースから誘われたことをきっかけに、芝居に興味を持つ。卒業間近に「最初からタレントの人はおらず、なにかで顔を売ってからでないとなれない」と気づき、入学時のお笑いではなく役者を選択する。

同校を2015年9月に卒業したあと、フリーで活動する中、同期のダンサーORAの紹介もあって劇団タッタタ探検組合の舞台を観劇する。元々は劇団は貧乏くさいから入りたくねいと考えていたが、「この劇団なら入りたいと考え、客演(所属でない外部の役者)での出演を経て劇団所属となる。現在は株式会社みんなのSにて芸能活動全般を行っている。

芸名のなかやんは、「小学校からのニックネームで、友人に浸透し過ぎているため本名では周りに宣伝し辛い」との理由から、ニックネームをそのまま芸名とした。