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「利用者‐会話:Sillycrown」の版間の差分

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:ご報告ありがとうございます。先程カテゴリ部分をコメントアウトしました。--[[利用者:Sillycrown|Sillycrown]]([[利用者‐会話:Sillycrown|会話]]) 2020年4月8日 (水) 06:56 (UTC)
:ご報告ありがとうございます。先程カテゴリ部分をコメントアウトしました。--[[利用者:Sillycrown|Sillycrown]]([[利用者‐会話:Sillycrown|会話]]) 2020年4月8日 (水) 06:56 (UTC)

== コメント依頼 ==
突然の書き込みで失礼します。現在[[Wikipedia:投稿ブロック依頼/I.hidekazu]]でI.hidekazu氏へのブロックの審議が行われているのですが、Sillycrownさんにコメントを頂けないかなと思っております。

I.hidekazu氏はこの編集(特別:差分/85372594)で「マルティン=レーフの型理論はブレンターノの判断理論が決定的な役割を果たした」と書いており、その根拠としてこの編集([[特別:差分/88848991]])で「分析哲学(言語哲学)と現象学は水と油みたいに相容れないものですが、マイケル・ダメットは『分析哲学の起源』でそれが同じルーツを持つものだと示唆しました。ペール・マルティン=レーフは明らかに分析哲学的な形式体系である直観主義型理論の中に現象学的な判断の理論(theory of judgement)を導入するという偉業を成し遂げました。その過程で混同され続けてきた「命題」と「判断」の違いも明らかにしました。判断(judgement)するためには直観(現象)を得る必要があり、ブレンターノが鍵となっています。出典をつけるならば、ON THE MEANINGS OF THE LOGICAL CONSTANTS AND THE JUSTIFICATIONS OF THE LOGICAL LAWS。」を挙げています。私が簡単に調べた感じですと、シーケント計算とホーア論理の元論文では「命題」と「判断」ははっきり区別された形で書いてありましたので、「命題」と「判断」が混同されてきたというのは正しくないと思っています。「判断(judgement)するためには直観(現象)を得る必要があり」というのも全く意味が分かりません。このような状況なのですが、私だけの意見ですと他の参加者の参考にならないのではと思い、Sillycrownさんにコメントをお願いできなかなと考えています。急なお願いで申し訳ないのですが検討いただけると幸いです。

余談になりますが、Sillycrownさんは[[ラッセルのパラドックス]]のノートなどで不完全性定理についてI.hidekazu氏に助言されていたと思いますが、I.hidekazu氏が最近Quoraに[https://qr.ae/pvKq0J jp.quora.com/不完全性定理とはなんですか]を書いているのをみつけました。Sillycrownさんの話は全く耳に届いていなかったようです。--[[利用者:Kik|Kik]]([[利用者‐会話:Kik|会話]]) 2022年4月8日 (金) 13:32 (UTC)

2022年4月8日 (金) 13:32時点における版

エルブラン化

エルブラン化で、

  • 「第一に、 の全ての変数を定数記号に置き換える。」

という記述がありますが、何の全ての変数のことをいっているのでしょうか?<math></math>の中身が空白になっております。修正可能であれば修正していただけないでしょうか?よろしくお願いいたします。--bcxfu75k会話2019年8月30日 (金) 18:45 (UTC)[返信]

です。英語版からの翻訳の際に抜け落ちてしまいました。ご報告ありがとうございます。--Sillycrown会話2019年8月31日 (土) 09:06 (UTC)[返信]

利用者ページのカテゴリについて

こんにちは。Sillycrownさんの利用者ページ「利用者:Sillycrown/sandbox3」ですが、Category:集合論など通常記事(標準名前空間)で使うことが想定されているカテゴリが複数、付与されています。そのため、カテゴリページにてSillycrownさんの利用者ページが表示されてしまっています。利用者ページには通常記事と同じカテゴリは付与しないことになっていますので、Wikipedia:利用者ページ#カテゴリ、テンプレート、リダイレクトを参考に利用者ページのカテゴリを<!---->で囲んでコメントアウトするなどの対処をお願いします。

1週間ほどお待ちしても対処いただけなければ、不躾ながら利用者ページを他の利用者が直接修正させていただく場合もありますので、ご容赦ください。--Keruby会話2020年4月7日 (火) 01:00 (UTC)[返信]

ご報告ありがとうございます。先程カテゴリ部分をコメントアウトしました。--Sillycrown会話2020年4月8日 (水) 06:56 (UTC)[返信]

コメント依頼

突然の書き込みで失礼します。現在Wikipedia:投稿ブロック依頼/I.hidekazuでI.hidekazu氏へのブロックの審議が行われているのですが、Sillycrownさんにコメントを頂けないかなと思っております。

I.hidekazu氏はこの編集(特別:差分/85372594)で「マルティン=レーフの型理論はブレンターノの判断理論が決定的な役割を果たした」と書いており、その根拠としてこの編集(特別:差分/88848991)で「分析哲学(言語哲学)と現象学は水と油みたいに相容れないものですが、マイケル・ダメットは『分析哲学の起源』でそれが同じルーツを持つものだと示唆しました。ペール・マルティン=レーフは明らかに分析哲学的な形式体系である直観主義型理論の中に現象学的な判断の理論(theory of judgement)を導入するという偉業を成し遂げました。その過程で混同され続けてきた「命題」と「判断」の違いも明らかにしました。判断(judgement)するためには直観(現象)を得る必要があり、ブレンターノが鍵となっています。出典をつけるならば、ON THE MEANINGS OF THE LOGICAL CONSTANTS AND THE JUSTIFICATIONS OF THE LOGICAL LAWS。」を挙げています。私が簡単に調べた感じですと、シーケント計算とホーア論理の元論文では「命題」と「判断」ははっきり区別された形で書いてありましたので、「命題」と「判断」が混同されてきたというのは正しくないと思っています。「判断(judgement)するためには直観(現象)を得る必要があり」というのも全く意味が分かりません。このような状況なのですが、私だけの意見ですと他の参加者の参考にならないのではと思い、Sillycrownさんにコメントをお願いできなかなと考えています。急なお願いで申し訳ないのですが検討いただけると幸いです。

余談になりますが、Sillycrownさんはラッセルのパラドックスのノートなどで不完全性定理についてI.hidekazu氏に助言されていたと思いますが、I.hidekazu氏が最近Quoraにjp.quora.com/不完全性定理とはなんですかを書いているのをみつけました。Sillycrownさんの話は全く耳に届いていなかったようです。--Kik会話2022年4月8日 (金) 13:32 (UTC)[返信]