「横浜銀蝿」の版間の差分
訂正 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
|||
508行目: | 508行目: | ||
== 不祥事 == |
== 不祥事 == |
||
1997年に翔が[[覚 |
1997年に翔が[[覚醒剤取締法]]違反で逮捕され不起訴処分となったが、1998年にも同取締法違反の罪で再び逮捕され1年4ヶ月の実刑判決をうけた。さらには[[2003年]][[4月24日]]に覚せい剤取締り法違反で[[現行犯逮捕]]。[[警視庁]]北沢署によると同署員が渋谷区内で路上駐車していた不審な車を見つけ[[職務質問]]し車内を捜索したところ、所持していたバッグから覚せい剤数グラムを発見、現行犯逮捕した。3度目の逮捕の際に責任を感じたのか、実兄である嵐が髭を剃り、[[坊主]]頭となった。 |
||
また嵐はTBSテレビ『[[サンデージャポン]]』で、[[三田佳子]]の次男・[[高橋祐也]]が再犯で逮捕されたことに関連してコメントを求められた際、再犯の可能性を確認するために翔に対して尿検査を頻繁に行わせている事や、自身や家族も覚せい剤についての勉強をしている事を告白し、家族の協力の必要性も訴えた。 |
また嵐はTBSテレビ『[[サンデージャポン]]』で、[[三田佳子]]の次男・[[高橋祐也]]が再犯で逮捕されたことに関連してコメントを求められた際、再犯の可能性を確認するために翔に対して尿検査を頻繁に行わせている事や、自身や家族も覚せい剤についての勉強をしている事を告白し、家族の協力の必要性も訴えた。 |
2020年4月22日 (水) 08:04時点における版
THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL | |
---|---|
出身地 | 日本 |
ジャンル |
ロック パワーポップ |
活動期間 |
1980年 - 1983年 1998年 - 現在 |
レーベル |
Crazyrider/キングレコード(1980年 - 1983年) ビクターエンタテインメント(1998年) シルバーレコード(2000年〜) ベルウッド・レコード(2019年〜) |
事務所 |
嵐レコード ベルウッド・レコード(横浜銀蠅40thとして) |
公式サイト |
横浜銀蝿オフィシャルサイト 横浜銀蝿40thオフィシャルサイト |
メンバー |
翔(ボーカル・ギター) Johnny(ギター) TAKU(ベース) 嵐(ドラムス) |
横浜銀蝿(よこはまぎんばえ)は日本のロックンロールバンド。正式名称「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL(T・C・R 横浜銀蝿 R・S)」略して「横浜銀蝿」。
概要
リーゼントの髪形にサングラス、ライダー革ジャン、白いドカン(ズボン)という独特の服装をギミックとして登場。「ツッパリ」、「暴走族」といった当時の時代風潮に乗り1980年代前半に一気に若者の人気を獲得した。その独特な存在からデビュー以来現在に至るまで幅広いアーティストに影響を与えている。
「銀蝿一家」として弟分グループなども展開し1983年に「解散」したが1998年に活動再開し2020年現在も活動を続ける。楽曲としては、4人で演奏するシンプルなロックンロール、バラードなどから、笑いを誘うコミックソングまで幅広いものがある。
来歴
- 1979年9月21日 - 翔、Johnny、TAKU、嵐の4人でバンドを結成。正式名称は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」。このままでは表記が長すぎるため「TCR横浜銀蝿RS」などと略して表記されることもある。
- 1980年9月21日 - アルバム『ぶっちぎり』、シングル『横須賀Baby』の同時発売でデビュー。
- 「銀蝿一家」として、弟分グループ「紅麗威甦」(ぐりいす-杉本哲太らが在籍)、嶋大輔、矢吹薫、妹分アイドルの岩井小百合、麗灑などがデビュー。
- 1983年7月23日、テレビドラマ『ザ・サスペンス・川崎探偵団』に出演。
- 1983年12月31日 - 解散。
- 1998年1月1日 - 「横浜銀蝿」として翔、TAKU、嵐の3人で再結成。
- 2002年 - 7月23日に「横浜銀蝿」解散。同日に「湘南銀蝿」結成。以降、同年9月22日に解散するまで翔、TAKU、嵐の3人もそれぞれ「シャーク」、「サンセット」、「ヤシの実」と名乗り夏季限定の音楽活動を行う。解散後の翌日から「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL RETURNS」の名称で活動再開した。
- 2006年6月9日「結成25周年記念コンサート」を横浜BLIZで行い再々始動。2010年にデビュー30周年を迎えた。
- 2010年9月21日のデビュー30周年記念では当初「武道館ライブ」を公言していたが横浜銀蠅の聖地でもある横浜教育会館の2DAYSとなった。
- 2012年現在、オリジナルCDリリースが10年程止まっていて副業的な活動となっており。ライブも年10本程度にとどまっているが定期的に活動を続けている。
- 2019年9月、Johnnyも加わった4人で「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL 40th」として、2020年にオリジナルメンバー全員で1年間限定の活動を行うことを発表した。
メンバー
- 楽曲の多くに作詞・作曲で名を記す。メインボーカリスト。血液型B型。横浜市立舞岡中学校、神奈川県立柏陽高等学校、関東学院大学卒業[1]。またタレントしても活動し、1990年代後半にものまね王座決定戦によく出演しており、審査員や司会者も勤めたが、覚醒剤使用で1997年、1998年、2003年に逮捕されたことで、タレント業は大幅に縮小し、音楽に軸足を置いた活動をしている。
- 神奈川県立柏陽高等学校、神奈川大学卒業[1]。グループ所属中もソロでレコードリリースなどの活動をしていた。メンバーの中で一番人気があり、バレンタインデーにはトラック何台分もの大量のチョコレートが贈られ、本人はその事が不思議だったらしく、大量のチョコレートを見て「この国はどうなってるんだ?」と思ったと言う。解散後もソロ活動を継続した後、1988年にキングレコードに就職。中山美穂、的場浩司らをディレクターとして手掛け、2002年からは「ベルウッド・レコード」プロデューサー。1998年の再結成時には、復活第一弾アルバム『ぶっちぎりVII』のレコーディング及びCD・ライヴパンフレット用の写真撮影のみに参加し、ライヴは本業が多忙なために不参加、以降は横浜銀蝿関係の活動には参加しなかったが、2019年の「40th」でメンバーとして復帰。2007年1月まで、インディーズバンドを支援する「YOKOHAMA FACTORY」を展開した。2013年7月、キングレコード上席執行役員と兼務で関連会社のベルウッド・レコードの代表取締役社長に就任した。
- 中央大学杉並高等学校卒業[2]、中央大学中退[1]。 血液型B型。作詞作曲編曲家として銀蝿一家の作品の他、中森明菜、三原順子をはじめ岩井小百合・おニャン子クラブ等のアイドルの作品も手がける。特に三原はTAKUの楽曲でオリコンベスト10入りをはたし第33回NHK紅白歌合戦(1982年)に出場、岩井は第14回日本歌謡大賞(1983年)の最優秀新人賞を受賞した。また、1990年に(株)日音に入社。原盤ディレクターとして、槇原敬之、島田歌穂、本田美奈子等を担当。日音制作部“秋葉プロジェクト”チーフプロデューサーとして最盛期にはオリコンチャートベスト20以内に同時に3曲を送り込んだ。銀蝿復活後2007年以降よりプロデューサー兼ベーシストとして、BRAIN WASH BAND、チェリーボーイズ等の昭和のロックンロールバンドを復活させている。
- 最年長者。リーダーで、翔の実兄。キャンディーズのランこと伊藤蘭のファンだったことから、これをもじって「嵐」と名乗った。血液型AB型。数曲の作者として「タミヤヨシユキ」名でクレジットされている。2001年の第19回参議院議員通常選挙に自由連合公認で比例代表区から立候補したが、落選した。2004年に脳梗塞にかかり開頭手術を受けた。2006年6月9日の結成25周年記念コンサートでは、デビュー曲「横須賀Baby」を演奏したが、その後もリハビリを続け、ドラムをサポートメンバーに委ねながらもコーラスやボーカルでステージに参加している。相模工業大学附属高等学校卒、関東学院大学中退[1]。キャラクターと違い声は甲高く柔らかい人物とされる。
サポートメンバー
- Jack(ジャック) - ギター
- Atsushi(アツシ) - ドラムス
ディスコグラフィ
シングル
- 横須賀Baby (1980年9月21日)
- (c/w ぶっちぎり Rock'n Roll)
- ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編) (1981年1月12日)
- (c/w I Love 横浜)
- 羯徒毘璐薫'狼琉 (1981年6月23日)
- (c/w D.J.Rock'n Roll-2)
- ツッパリHigh School Rock'n Roll (試験編) (1981年10月7日)
- (c/w 夕立ちRock'n Roll(松竹映画『北斎漫画』イメージソング))
- お前サラサラサーファー・ガールおいらテカテカロックンローラー (1982年2月24日)
- (c/w It's only Rock'n Roll集会のテーマ(のれのれRock'n Roll))
- あせかきベソかきRock'n Roll run (1982年10月19日)
- (c/w 夜に抱かれてHighway騎士/尻取りRock'n RollⅢ)
- おまえにピタッ! (1983年7月27日)
- (c/w 土曜の夜だぜ!!)
- 哀愁のワインディングロード (1983年12月5日)
- (c/w スイート リトル キッス)
- RUNNING DOG (1998年1月1日)
- (c/w ツッパリ High-School Rock'n Roll[復活編])
- 成りあがり (2000年4月21日)
- (c/w Little Sweet Devil/夏のフィルム/STAY WITH ME/俺たちのグラフィティードリーム)
- Forever (2000年7月20日)
- (c/w V.I.P/KING OF ROCK'N ROLL/親父)
- 平成自動車SHOW歌 (2002年1月19日)
- (c/w Never Give Up! (MARK II)/男の勲章2002/ジェームスディーンのように2002/輪唱Rock'n Roll 象さんの唄(熱唱編))
- 渚のC.C.C. (2002年7月20日)
- (c/w PIONEER-MOSS/I call your name/湘南シャイニングラブ/無口でゴ・メ・ン)
- 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ (2002年9月21日)
- (c/w スモーキン・ブギ/トラック・ドライヴィング・ブギ/愛しのティナ)
オリジナルアルバム
- デビューシングル「横須賀Baby」と同時リリースされた1stアルバム。バイクのエンジン音(排気音)から始まるオープニングの「ぶっちぎりRock'n Roll」はシングル「横須賀Baby」のB面の曲。「そこのけRock'n Roll」(TAKUがボーカル)や、「尻取りRock'n Roll」など演奏時間が極端に短い(1分未満)ものもあり、全11曲の合計時間が30分に満たない。ピアノが少々聞こえるのみで基本的には4パートによるシンプルな演奏だが、いわゆる「ロックンロール」色を前面に出すためかベースの録音が大きいのがこのアルバムに限らず彼らの特徴である。
- セカンドシングル「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」と同時発売。シングルと共にアルバムもヒットし、オリコンのアルバムレコード売り上げで1位を獲得した。彼らのシングルA面の多くはアルバムに収録されていない中で唯一「お前サラサラサーファー・ガールおいらテカテカロックンローラー」(1982年2月24日発売)のみが本アルバムに収録されている(シングルとは別アレンジ)。但しこれは唯一のちにシングルカットになった楽曲で、シングルのA面をアルバムにいれないことを公言していた彼らにとっては極めて異例のことである。「DJ Rock'n Roll」は演奏時間6分以上の長い曲。といっても曲とは言えず題名のとおり4人のDJを収録したもの。
- 「♀大好きRock'n Roll」、「ビニボンRock'n Roll」、「なぞなぞRock'n Roll」といったコミックソングが目立つが、正統派ロックンロールの「ゆれてゆられてLonely night」や、「ゆくさきゃ横浜」、「雨の湘南通り」など哀愁を誘う曲もある。TAKUの作による曲は本アルバム以外にもあるが、「Drive OnシャカリキカリキのRock'n Roll is大好き」はTAKUのボーカルである。本作あたりから、Johnny、TAKUも作詞・作曲に名を連ねることが多くなってきている。
- シングル「お前サラサラサーファー・ガールおいらテカテカロックンローラー」と同時発売。「銀ばるRock'n Roll」が収録されているが、初期の頃のロックンロール色が段々と少なくなりつつある頃の作品。「純なお前にRock'n Roll」はJohnnyがアルバム中で初めてメインボーカルを務めた曲。またアルバム収録初のインストゥルメンタルである「渚のサーフロード」などが収録されている。
- バンドとして最後のオリジナルアルバム。本アルバムでは嵐、Johnny、TAKUの3人がメインボーカルを務めた曲がそれぞれ一曲ずつ収録されている。メンバー4人全てがメインボーカルを務めたアルバムはこれが初めて。前作よりもさらにロックンロール色が薄くなり、様々なタイプの歌謡曲の集合である。
- 解散まで一ヶ月を切ったタイミングでリリースされたアルバム。これまでのアルバムタイトルが自動車のトランスミッションにおける1速、2速、3速、4速、5速までを表しているのに続いて「R(リバース):後進」をタイトルにしている。横浜銀蝿のメンバーが作詞・作曲し、銀蝿一家のグループ(横山みゆきやアキ&イサオは正式には銀蝿一家ではないが)に提供している曲を、翔のDJにより紹介してゆく形式のアルバム。
- ぶっちぎりVII(1998年1月21日)
- ぶっちぎり八(2001年11月21日)
ベストアルバム
タイトル | 発売日 | |
---|---|---|
1 | ぶっちぎりベストコレクション | 1982年12月21日 |
2 | ぶっちぎりベストコレクションVol.2 | 1983年12月21日 |
3 | 横浜銀蝿 THE BEST | 1984年11月21日 |
4 | ORIGINAL1 | 1990年5月21日 |
5 | ORIGINAL2 | 1990年5月21日 |
6 | ORIGINAL3 | 1990年9月21日 |
7 | ORIGINAL5 | 1991年1月1日 |
8 | シングルス1 | 1994年11月23日 |
9 | シングルス2 | 1994年11月23日 |
10 | 完全復刻盤 スーパースペシャル 上 | 1998年1月21日 |
11 | 完全復刻盤 スーパースペシャル 下 | 1998年1月21日 |
12 | スペシャルメモリーズ | 1999年7月23日 |
13 | ぶっちぎり総集編 壱 | 2000年4月21日 |
14 | ぶっちぎり総集編 弐 | 2000年6月21日 |
15 | ぶっちぎりBest Vol.1〜シングルセレクション | 2005年5月18日 |
16 | ぶっちぎりBest Vol.2〜横浜銀蝿/2セレクション | 2005年5月18日 |
17 | ぶっちぎりBest Vol.3〜ぶっちぎりセレクション | 2005年5月18日 |
18 | COMPLETE BOX 完 | 2010年8月4日 |
19 | ぶっちぎり35~オールタイム・ベスト | 2015年9月21日 |
ライブアルバム
タイトル | 発売日 | |
---|---|---|
1 | 東映ドキュメント映画「ぶっちぎり」オリジナル・サウンドトラック盤 | 1981年11月5日 |
2 | 銀蝿一家祭 | 1983年12月15日 |
3 | 散る。ぶっちぎりFINAL COUNT 10 | 1984年2月24日 |
4 | ORIGINAL4 | 1990年9月21日 |
5 | 熱狂!千葉ライブ1 | 1994年11月23日 |
6 | 熱狂!千葉ライブ2 | 1994年11月23日 |
7 | 仏恥義理 前夜祭 -横浜銀蝿30周年記念ライブ- | 2011年3月25日 |
その他アルバム
タイトル | 発売日 | |
---|---|---|
1 | Johnny VS 横浜銀蝿 | 1984年11月21日 |
2 | ぶっちぎり おっ!宝盤 | 1999年10月 |
3 | ぶっちぎり"It's only KARAOKE 集会" | 2000年9月21日 |
4 | ぶっちぎり鹿馬〜リーゼントロックンロール大全集〜 | 2003年4月23日 |
映像作品
1 | 東映ドキュメント映画「ぶっちぎり」 | 1983年 |
---|---|---|
2 | 銀ばるっきゃない | 1983年 |
3 | 散る。ぶっちぎり FINAL COUNT 10 | 1984年 |
4 | 銀蝿一家祭 | 1984年 |
5 | ぶっちぎり~生誕編~ | 1993年 |
6 | ぶっちぎり~燃焼(前篇)~ | 1993年 |
7 | ぶっちぎり~燃焼(後篇)~ | 1993年 |
8 | ぶっちぎり~完全燃焼篇~ | 1993年 |
9 | Evolution Tour'98 | 1998年 |
10 | Evolution Tour Vol.1 | 2006年 |
11 | ぶっちぎりコレクション | 2006年 |
12 | ロックンロールカーニバル2005~2006 | 2006年 |
13 | ロックンロールカーニバル-川崎直撃2006- | 2007年 |
14 | THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL RETURNS ~ぶっちぎりロックンロール集会~ | 2008年 |
15 | 横浜銀蝿 30周年記念ライブ仏恥義理 前夜祭 ~映像編~ | 2011年 |
タイアップ一覧
曲名 | タイアップ |
---|---|
横須賀Baby | 東映ドキュメント映画「ぶっちぎり」主題歌 |
夕立Rock'n Roll | 北斎漫画イメージソング |
おまえにピタッ! | カネボウ化粧品「パウダーチェンジピタッ!」イメージソング |
土曜の夜だぜ!! | TBS「川崎探偵団」挿入歌 |
RUNNING DOG | フジテレビ「めちゃ×2イケてるッ!エンディングテーマ |
他アーティストによるカバー
- ぶっちぎりRock'n Roll
- 紅麗威甦がアルバム『ヨ・ロ・シ・ク壱』の中でカバー。(1982年1月20日)
- 嶋大輔がシングル「男の勲章」のカップリング曲としてカバー。(1982年4月28日)
- 麗灑がアルバム『薫婬蝿いち』の中でカバー。(1982年)
- 石橋貴明がとんねるずのみなさんのおかげですの「タカ子姉さんのメリケンキッズ」のコーナーでラストに歌った。
- Happy Birthday
- 尻取りRock'n Roll
- 小泉今日子がアルバム『ナツメロ』の中でカバー。(1988年12月17日)
- 安田成美がトヨタ「シエンタ」のCMで歌った。(2008年1月)
- 神崎ゆう子がアルバム『ベスト・セレクション こどものうた〜ラクダになるぞ/しりとりロックンロール〜』の中でカバー。(2008年9月10日)
- HI-PRIXがダウンロードシングルとしてカバー。(2008年11月26日)
- 田村有実子としりとり隊がアルバム『こどものうた うたって!おどって!わらっちゃおう!』の中でカバー。(2009年1月21日)
- ツッパリHigh School Rock'n Roll 登校編
- 長島雄一が「ツッパリHighschool Rock'nRoll〜大統領編」として歌った(替え歌)。(2000年)
- 土屋アンナがユニクロのCMで歌った。(2002年)
- えなりかずきが「新堂本兄弟」で歌った。(2005年5月1日)
- メロン記念日が「歌ドキッ! 〜ポップクラシックス〜」で歌った。(2007年1月31日)
- 新垣結衣が「十六茶」のCMで通勤編を踊りと共に歌った。(2011年)
- その他にも銀蝿一家によって多数カバーされている。
楽曲提供
- 西城秀樹
- とんねるず
- ピョン吉・ロックンロール(1981年8月25日) - 作詞/作曲:横浜銀蝿/編曲:小六禮次郎
- おれたちピョン吉バンド(1981年10月) - 作詞/作曲:横浜銀蝿/編曲:小六禮次郎
- 紅麗威甦
- しりとりRock'n Roll(お弁当のおかず編)(1982年1月20日) - 作詞/作曲/編曲:横浜銀蝿
- 三原順子
- だって・フォーリンラブ・突然(1982年5月21日) - 作詞:横浜銀蝿・山田麗子/作曲:TAKU/編曲:中島正雄
- ほ・ど・ほ・どマイダーリン(1982年5月21日) - 作詞:横浜銀蝿/作曲:TAKU/編曲:中島正雄
- 麗灑
- 小噺Rock'n Roll(1982年10月) - 作詞/作曲/編曲:横浜銀蝿
タイピングソフト
- タイピング 横浜銀蝿 仏恥義理(2001年2月22日、ホロン)
コンサート
1980年 | |||||
---|---|---|---|---|---|
日付 | 場所 | 備考 | |||
10月25日 | 横浜市教育会館 | 初コンサート | |||
10月26日 | 姫路市民会館 | ||||
12月8日 | 名古屋雲竜ホール | ||||
12月22日 | 久留米市体育館 |
1981年 | |||||
---|---|---|---|---|---|
日付 | 場所 | 備考 | |||
1月15日 | 横浜市教育会館 | ||||
2月10日 | 山形市民大ホール | ||||
2月24日 | 仙台市民ホール | ||||
3月7日 | 横浜市教育会館 | ||||
3月8日 | 横浜市教育会館 | ||||
3月14日 | 姫路市民会館 | ||||
4月10日 | 静岡県民文化会館 | ||||
4月12日 | 愛知勤労会館 | ||||
4月26日 | 金沢観光会館 | ||||
4月28日 | 富山県民会館 | ||||
4月30日 | 函館市民会館 | ||||
5月1日 | 札幌市民会館 | ||||
4月12日 | 愛知勤労会館 | ||||
5月23日 | 横浜市教育会館 | ||||
5月28日 | 大宮市民会館 | ||||
6月22日 | 名古屋市公会堂 | ||||
7月22日 | 名古屋市公会堂 | ||||
7月26日 | 西武球場 | ||||
7月28日 | 上越文化会館 | ||||
8月5日 | 和歌山市民会館 | ||||
8月8日 | 金沢観光会館 | ||||
8月12日 | 釧路市文化会館 | ||||
8月13日 | 旭川市民会館 | ||||
8月15日 | 滝川文化会館センター | ||||
8月16日 | 室蘭文化センター | ||||
8月17日 | 札幌市民会館 | ||||
8月18日 | 秋田県民会館 | ||||
8月19日 | 岩手県民会館 | ||||
8月21日 | 徳島文化センター | ||||
8月22日 | 高知県民文化ホール | ||||
8月25日 | 宮城県民会館 | ||||
8月27日 | 石巻市民会館 | ||||
8月28日 | 山形県民会館 | ||||
9月1日 | 京都会館第一ホール | ||||
9月7日 | 日本武道館 | ||||
11月24日 | 茨城県民文化センター | ||||
12月12日 | 福岡市民会館 | ||||
12月13日 | 佐賀市民会館 | ||||
12月14日 | 佐世保市民会館 | ||||
12月15日 | 唐津市文化会館 | ||||
12月19日 | 八王子市民会館 | ||||
12月21日 | 名古屋厚生年金ホール | プチセブンチャリティーコンサート |
2020年 横浜銀蝿40th コンサートツアー2020~It's Only Rock'n Roll集会 完全復活編 Johnny All Right!~ | |||||
---|---|---|---|---|---|
日付 | 場所 | 備考 | |||
3月7日 | 横浜市教育会館 | ||||
3月22日 | Zepp Sapporo | ||||
3月28日 | Zepp Namba | ||||
3月29日 | Zepp Nagoya | ||||
5月3日 | KT Zepp Yokohama | ||||
5月6日 | Zepp Fukuoka | ||||
5月16日 | Zepp Tokyo |
出版物
著書
- おちこぼれ宣言(1981年、立風書房)
- ツッパリ激論集 全開バリバリ(1981年、小学館)
- あ・ば・よ お前らみんなマブかった(1983年、集英社)
- ぶっちぎり 最終章 - 横浜銀蝿40th(2020年、講談社)[3]
写真集
- ぶっちぎり(1981年、シンコー・ミュージック)
- 銀蝿一家写真集 銀ばる(1982年、小学館)
- 横浜銀蝿解散写真集 完全燃焼 (1983年、小学館)
- 横浜銀蝿 仏恥義理 RedZone(2011年、三栄書房)
バンドスコア
- ぶっちぎり(1981年、音春)
- ぶっちぎりII(1981年)
- 仏恥義理蹉あ怒(1981年、音楽春秋)
関連書籍
- ツッパルなら勝て! わたしはこうして横浜銀蝿一家を育てた 大坂英之著(1983年、ゴマ書房)
出演
映画
ドラマ
音楽番組
他多数
ラジオ
- 午後のロータリー(1981年4月11日、NHKラジオ)
- オールナイトニッポン(1981年4月25日、ニッポン放送)
- 夜はともだち内 横浜銀蝿只今参上(1981年、TBSラジオ)
- Y-Y-Y(2006年10月7日・2009年3月28日、FMヨコハマ)
銀蝿一家
ソロ
- 嶋大輔
- 麗灑 (りさ。元・演歌歌手)
- 岩井小百合
- 矢吹薫
- 森一馬
- ROSEY ROLLY (1984年にRVCより『Tsuppari High School Rock'n Roll U.S.A.』を発売)
- ユタカ (1984年にフィリップス・レコードより『今日もいのこりR&R』を発売)
バンド
- 紅麗威甦 (グリース) - 杉本哲太、桃太郎、Mitz(ミッツ)、Leer(リー)
- アキ&イサオ
- BLACK SATAN (ブラックサタン)
- 紅麗威甦の杉本哲太の脱退により、ギターの麻生仁、ドラムの田口オサム、が加入した5人組のロックバンド。2005年に新ボーカル・森一馬を迎えて新生BLACK SATANが活動を再開。解散から18年ぶりにワンマンライブを「赤坂MOVE」、「L@N Akasaka」で行い、2006年4月5日に約20年ぶりにライブアルバムを、株式会社エクスプロージョンエンタテインメントよりリリース。「BLACK LABEL」を立ち上げる。ブラックサタンオフィシャルサイト
- WALTHER
不祥事
1997年に翔が覚醒剤取締法違反で逮捕され不起訴処分となったが、1998年にも同取締法違反の罪で再び逮捕され1年4ヶ月の実刑判決をうけた。さらには2003年4月24日に覚せい剤取締り法違反で現行犯逮捕。警視庁北沢署によると同署員が渋谷区内で路上駐車していた不審な車を見つけ職務質問し車内を捜索したところ、所持していたバッグから覚せい剤数グラムを発見、現行犯逮捕した。3度目の逮捕の際に責任を感じたのか、実兄である嵐が髭を剃り、坊主頭となった。
また嵐はTBSテレビ『サンデージャポン』で、三田佳子の次男・高橋祐也が再犯で逮捕されたことに関連してコメントを求められた際、再犯の可能性を確認するために翔に対して尿検査を頻繁に行わせている事や、自身や家族も覚せい剤についての勉強をしている事を告白し、家族の協力の必要性も訴えた。
なお、横浜銀蝿はかつて「覚せい剤撲滅キャンペーン」でイメージキャラクターを勤め、当時の中曽根康弘首相に総理官邸に招かれたことがある。その際の事をマッド・アマノが「つっぱり内閣」とパロディー化した。
脚注
- 注釈
- ^ 横浜銀蠅のドキュメンタリー。日本では1981年11月7日から公開されたが、一部地域(丸の内・新宿・渋谷・浅草・五反田・高田馬場・上野・池袋・江東・蒲田・吉祥寺・川崎・伊勢佐木町・横須賀・平塚・小田原・千葉)の封切りは、『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』(主演:千葉真一、東映)と同時上映された[4]。
- 出典
関連項目
外部リンク
- 横浜銀蝿40thオフィシャルサイト
- TCR横浜銀蝿RSR
- 嵐レコード
- マイスペース横浜銀蝿サイト
- Area-TAKU - TAKUの公式サイト。