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「チャールズ・スペンサー (第3代サンダーランド伯)」の版間の差分

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2020年6月2日 (火) 11:31時点における版

第3代サンダーランド伯チャールズ・スペンサー

第3代サンダーランド伯爵チャールズ・スペンサー英語: Charles Spencer, 3rd Earl of Sunderland, KG, PC, FRS, 1675年4月23日 - 1722年4月19日)は、イギリスの貴族、政治家。

生涯

第2代サンダーランド伯爵ロバート・スペンサーとアン・ディグビー(第2代ブリストル伯爵ジョージ・ディグビーの娘)の次男。マールバラ公爵兼サンダーランド伯爵チャールズ・スペンサーの父。

1695年にデヴォンシャーティヴァートン選挙区英語版で立候補して下院議員に選出された。1698年11月30日、王立協会フェローに選出された[1]

1702年に亡くなった父の爵位を継承した。マールバラ公ジョン・チャーチルサラ・ジェニングス夫妻はアン女王と深い信頼関係で結ばれていたため、1700年にその娘と再婚したサンダーランドも重要なポストを任され、1705年に神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の即位に伴うウィーンへの特使に任命、翌1706年にイングランドスコットランド合同の交渉委員の1人に選ばれ合同条約を締結、同年に南部担当国務大臣に任命されスペイン継承戦争でマールバラ公爵を支え、ホイッグ党の中心人物になりジャントーの一員となった。また、1705年にケンブリッジ大学よりLL.D.の学位を授与された[2]

しかし、急進的で共和主義者だったことからホイッグ党嫌いのアンからは反感を抱かれ、1710年に和平を唱える野党のトーリー党ロバート・ハーレーヘンリー・シンジョンらがアンの信任を得るようになると6月に更迭された。アンからは代償として年金提供を持ちかけられたが、「国家奉仕の栄誉を与えられずとも国を食い潰したりしない」と言って拒絶した。4月にサラがアンと絶交、8月に第一大蔵卿の初代ゴドルフィン伯爵シドニー・ゴドルフィンが更迭されたため、サンダーランドの更迭はトーリー党政権誕生の布石であった。10月の総選挙で勝利したトーリー党が与党となり、ホイッグ党が野党に転落してからはトーリー党の批判に立っていた[3]

1714年にアンが亡くなり、又従兄ハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒがイギリス王ジョージ1世に即位して、ハーレー・シンジョンらトーリー党が没落してホイッグ党が復帰すると1717年までアイルランド総督を務め、1715年から1716年まで王璽尚書、1717年から1718年に北部担当国務大臣、1717年から1719年まで枢密院議長、1718年から1721年まで第一大蔵卿に任命されるなどホイッグ党政権で重用され、初代スタンホープ伯爵ジェームズ・スタンホープと共に政府の中心となった。同時期にあたる1719年、王立音楽アカデミー社英語版に出資した[4]

しかし、元閣僚のロバート・ウォルポールと第2代タウンゼンド子爵チャールズ・タウンゼンドが野党活動を展開すると政権が揺らぎ1720年に2人を復帰させたが、同年の南海泡沫事件で議会から責任を追及され、翌1721年にスタンホープが急死して第一大蔵卿を辞任、ウォルポールが後任となった。辞任後も政界に影響力があったが1722年に急死、ウォルポールはジョージ1世の信任の元長期政権を確立していった[5]。1716年にアンが死去した翌1717年にサー・ベンジャミン・ティッチボーンの娘ジュディスと再婚したが、彼女はサンダーランド亡き後にロバート・サットンと再婚した。

長男のロバートがサンダーランド伯位を継いだが、1729年に亡くなると次男のチャールズが継承した。チャールズは1733年に母方の実家であるチャーチル家からマールバラ公位も継承、以後スペンサー家は公爵家として続いていった。また、末子ジョン英語版の息子で孫のジョンは1765年にスペンサー伯爵を創設した。公爵家の子孫にはイギリス首相を務めたウィンストン・チャーチル、伯爵家の子孫には元イギリス皇太子妃のダイアナ・スペンサーがいる。

子女

1695年、第2代ニューカッスル公爵ヘンリー・キャヴェンディッシュの娘アラベラ(1698年没)と結婚した。2人は1女を儲けた。

  1. フランシス(? - 1742年) - 第4代カーライル伯爵ヘンリー・ハワードと結婚

1700年、初代マールバラ伯爵ジョン・チャーチル(後の初代マールバラ公爵)とサラ・ジェニングス夫妻の娘アン英語版と再婚、3男2女を儲けた。

  1. ロバート(1701年 - 1729年) - 第4代サンダーランド伯爵
  2. アン(1702年 - 1769年) - 初代ベートマン子爵ウィリアム・ベートマンと結婚
  3. チャールズ(1706年 - 1758年) - 第5代サンダーランド伯爵、第3代マールバラ公爵
  4. ジョン英語版(1708年 - 1746年) - 下院議員、初代スペンサー伯爵ジョン・スペンサーの父
  5. ダイアナ(1710年 - 1735年) - 第4代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセルと結婚

3番目の妻ジュディスとの間に3人の子を儲けたが、全て夭折した。

脚注

  1. ^ "Spencer; Charles (c 1674 - 1722); 3rd Earl of Sunderland" (英語). Royal Society. 2019年6月8日閲覧
  2. ^ "Spencer, Charles, Earl of Sunderland (SPNR705C)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ 友清、P52 - P53、P147、P188 - P192、P276 - P289。
  4. ^ Milthous, Judith; Hume, Robert D (January 1986). "The Charter for the Royal Academy of Music". Music and Letters (英語). 67 (1): 51. doi:10.1093/ml/67.1.50
  5. ^ 今井、P277 - P291。

参考文献

関連図書

イングランド議会 (en
先代
トマス・ベア英語版
アンソニー・ケック英語版
庶民院議員(ティヴァートン選挙区英語版選出)
1695年 - 1702年
同職:トマス・ベア英語版
次代
トマス・ベア英語版
ロバート・バーリッジ
公職
先代
チャールズ・ヘッジス英語版
南部担当国務大臣
1706年 - 1710年
次代
ダートマス男爵
先代
シュルーズベリー公爵
アイルランド総督
1714年 - 1717年
次代
タウンゼンド子爵
委員会制
最後の在位者
ウォートン侯爵
王璽尚書
1715年 - 1716年
次代
キングストン=アポン=ハル公爵
先代
ジェームズ・スタンホープ
北部担当国務大臣
1717年 - 1718年
次代
スタンホープ子爵
先代
デヴォンシャー公爵
枢密院議長
1717年 - 1719年
次代
キングストン=アポン=ハル公爵
先代
スタンホープ子爵
第一大蔵卿
1718年 - 1721年
次代
ロバート・ウォルポール
イングランドの爵位
先代
ロバート・スペンサー
サンダーランド伯爵
第2期
1702年 - 1722年
次代
ロバート・スペンサー