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ウィリアム・レッグ (初代ダートマス伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゴドフリー・ネラーによる肖像画。

初代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグ英語: William Legge, 1st Earl of Dartmouth, 1672年10月14日 - 1750年12月15日)は、イギリスの貴族、政治家。イングランド貴族(後にグレートブリテン貴族)。

生涯

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初代ダートマス男爵ジョージ・レッグと妻バーバラ(Barbara、旧姓アーチボルド(Archbold)、1650年ごろ – 1718年1月28日、サー・ヘンリー・アーチボルドの娘)の息子として、1672年10月14日に生まれた[1]ウェストミンスター・スクールで教育を受けた後、1688年にケンブリッジ大学キングス・カレッジに入学、1689年にM.A.の学位を修得した[2]。1691年10月25日に父が死去すると、ダートマス伯爵位を継承した[1]

1702年6月18日、枢密顧問官に任命された[1]。1702年6月から1710年6月まで商務・植民地庁委員を務めた後、1710年6月から1713年8月まで南部担当国務大臣を務め、1710年から1713年までスコットランド共同王璽尚書en)を務めた[1]。1711年9月5日、グレートブリテン貴族であるダートマス伯爵およびケント州におけるルイシャム子爵に叙された[1]。1713年8月に王璽尚書に転任し、1714年9月まで務めた[1]アン女王の死後、1714年8月1日から9月18日までLord Justiceを務めた[1]。新しく即位したジョージ1世が即座にダートマス伯爵を王璽尚書から更迭、ダートマス伯爵は枢密顧問官も再任しなかった[1]

ダートマス卿は政治的には穏健派の立場にあり、トーリー党員であったがホイッグ党の穏健派と協力することもできる姿勢を見せていた。やはり穏健派であったロバート・ハーレーに目をかけられ、ハーレーの失脚後も忠実な友であり続けた[3]アン女王の信頼も得ており、女王はダートマス伯爵のことを「正直者(an honest man)」と評していた[4]。大臣としてのダートマス伯爵は敏腕には程遠かったが、能力と熱心な働きぶりには定評があった。率直な物言いでも知られたが、他方では外国の大使たちが「煉瓦の壁から情報をとる方がよっぽど簡単だ」と嘆くほど、口は固かった。私生活では、自分の言った冗談で笑うことを好み、「道化者(the Jester)」と渾名が付けられていた[3]

ダートマス卿はサンドウェル・バレー英語版にあった屋敷サンドウェル・ホール(Sandwell Hall:現存しない)に家族と共に住んでいた。

1750年12月15日にロンドンブラックヒース英語版で死去、長男ジョージに先立たれていたため孫ウィリアムが爵位を継いだ[1]

家族

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1700年7月18日、アン・フィンチ(Anne Finch、1751年11月30日没、初代エイルズフォード伯爵ヘニッジ・フィンチの娘)と結婚[1]、6男2女をもうけた[5]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 88–89.
  2. ^ "William LEGGE (LG688W)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ a b Hamilton, Elizabeth (1969). The Backstairs Dragon- a life of Robert Harley, Earl of Oxford (英語). London: Hamish Hamilton.
  4. ^ Gregg, Edward (2001). Queen Anne (英語) (2nd ed.). Yale University Press.
  5. ^ Handley, Stuart (3 January 2008) [23 September 2004]. "Legge, William, first earl of Dartmouth". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/16359 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  6. ^ Lea, R. S. (1970). "LEGGE, George, Visct. Lewisham (?1704-32).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年1月28日閲覧
  7. ^ Rigg, James McMullen; Baker, Anne Pimlott (23 May 2009) [23 September 2004]. "Legge, Heneage". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/16355 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  8. ^ Rigg, James McMullen (1892). "Legge, Heneage" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 32. London: Smith, Elder & Co. p. 410–411.
  9. ^ a b Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P, eds. (1914). Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (76th ed.). London: Harrison & Sons. p. 572.
  10. ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "LEGGE, Hon. Henry (1706-64), of Mapledurham, Hants.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年1月28日閲覧
  11. ^ Cokayne, George Edward, ed. (1902). The Complete Baronetage (1625–1649) (英語). Vol. 2. Exeter: William Pollard & Co. p. 24.
  12. ^ Watson, Paula (1970). "LEGGE, Hon. Edward (c.1710-47).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年1月28日閲覧
  13. ^ Cokayne, George Edward, ed. (1900). The Complete Baronetage (1611–1625) (英語). Vol. 1. Exeter: William Pollard & Co. p. 106.
公職
先代
サンダーランド伯爵
南部担当国務大臣
1710年 - 1713年
次代
ボリングブルック子爵
先代
ジョン・ロビンソン英語版
王璽尚書
1713年 - 1714年
次代
ウォートン侯爵
グレートブリテンの爵位
新設 ダートマス伯爵
1711年 - 1750年
次代
ウィリアム・レッグ
イングランドの爵位
先代
ジョージ・レッグ英語版
ダートマス男爵
1691年 - 1750年
次代
ウィリアム・レッグ