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財務大臣 (イギリス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イギリスの旗 イギリス
財務大臣
Chancellor of the Exchequer
現職者
レイチェル・リーヴス(第77代)
Rachel Reeves

就任日 2024年7月5日
種類閣内大臣
所属機関内閣
枢密院
国家安全保障会議
庁舎ダウニング街11番地
指名首相
キア・スターマー
任命国王
チャールズ3世
任期国王陛下の仰せのままに
創設1316年6月22日 (708年前) (1316-06-22)
初代ハーヴェイ・ド・スタントン英語版
(イングランド財務大臣)
俸給年額 154,089 GBP (2022)[1]
ウェブサイトGOV.uk

財務大臣(ざいむだいじん、英語: Chancellor of the Exchequer)は、イギリス財政に対して責任を負う閣僚であり、大蔵省の長である。他国の財務大臣 (Minister of Finance)や財務長官(Secretary of Finance)の役割に相当する。イギリスの内閣四大閣僚 (Great Offices of State) の一つと見なされており、近年はイギリス政治において首相に次ぐ政治権力を持つようになった。

今日では、財務大臣は大蔵卿 (Lord High Treasurerの職務を遂行するための大蔵卿委員会 (Lords Commissionersの一員として、常に第二大蔵卿を兼任する。18世紀から19世紀の初めには、首相が下院議員である場合に財務大臣を兼任することが普通であった。首相と財務大臣を同時に務めた最後の例は1923年のスタンリー・ボールドウィンである。かつては、財務大臣の座が空席になった場合には、王座部の首席裁判官 (Lord Chief Justice of the King's Benchが財務大臣臨時代理を務めることとされていた[2]。これに従って財務大臣臨時代理を務めた最後の首席裁判官は1834年のデンマン卿英語版である。

財務大臣はイングランド史英国史の中でも三番目に古い大臣職であり、元々は中世イングランド王室の財務をつかさどった財務府において歳入の確保と会計監査の役割を担っていた。しかし財務官として重要性を帯びるようになったのは16世紀後半の財務大臣サー・ウォルター・マイルドメイ英語版初代ウィンチェスター侯爵ウィリアム・ポーレットが改革を実施してからのことであり、以降は国王と議会の勢力均衡が後者に傾くにつれて重要性が増した[3]。そして、1706年と1713年に庶民院が可決した決議案により、財政に関する法案の提出権が国王から財務大臣に移ったことで、財務大臣の任命が政治問題になった[3]。つい最近まで、財務大臣は金融政策財政政策の両方を掌握していたが、1997年にイングランド銀行が独自に金利を設定することを許され、この慣習は終わりを告げた。財務大臣は、他の政府機関の財務も監督している。

呼称

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イギリスにおいて、財務大臣はしばしばthe Chancellorと呼ばれるが、同じChancellorの付く役職として、大法官 (Lord Chancellor) やランカスター公領大臣 (Chancellor of the Duchy of Lancaster) などがある(他にドイツの首相にもドイツ語の"Kanzler"にあたる語として使用されている)が、それらは全く別の役職である。

役割と責任

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かつての財務大臣ロバート・ロウ英語版は1870年4月11日に庶民院で財務大臣について次のように説明した:「財務大臣はその職務が大臣を多かれ少なかれ課税装置 (taxing machine) にさせるものであります。彼は、可能な限り公平に分配する大臣の職務であることの、ある程度の苦痛を託されています。」

2010年に商務担当政務次官 (Commercial Secretary to the Treasuryの職が新設され、大蔵首席政務次官 (Chief Secretary to the Treasuryの役割は2015年には軽減された[要出典]

財政政策

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省庁別歳出限度額 (Departmental Expenditure Limits, DELs) を設定するのが大蔵省であることからわかるように、財務大臣は他の政府機関に対してかなりの統制力を有する。これが個々の財務大臣に対して与える権力の量は、大臣個人の力強さ、所属政党内での地位および首相との関係の良さに左右される。1997年に労働党が政権を取ったときに財務大臣となったゴードン・ブラウンは党内で個人的に大きな権力基盤を持っていた。おそらくその結果であろうが、トニー・ブレアが首相在任中の10年間を通してブラウンを財務大臣として任用し続けたことで、ブラウンは並外れて有力な人物になり、1832年改革法の制定以後としては最長となる財務大臣在任期間を記録した[4]。これは政府の大臣の中で明白な第2位の地位を占めるという、財務大臣に対する以前からあった傾向を強化する結果となり、伝統的貴族の外務大臣内務大臣の上位に昇進した。

財務大臣の重要な役割の一つが年間予算枠の策定に関わることである。2017年現在、第一は、秋の予算編成 (Autumn Budgetで、次の会計年度中の政府の支出を予測し、新しい財政上の措置の発表も行う「予算の日」 (Budget Dayとしても知られる。第二は、春の予算演説 (Spring Statementで、補正予算 ("mini-Budget") としても知られる。イギリスの税制年度は依然として古いユリウス暦を使用し続けており、その年末(ユリウス暦の3月24日、グレゴリオ暦の4月5日)で区切る。1993年からは、春の予算案発表に先立ち、秋の予算演説が行われた。これは当時、プレバジェット・レポート (Pre-Budget Report) と呼ばれた。秋の予算演説は通常11月か12月に行われる。1997年、2001年、2002年、2003年、2006年、2007年、2008年、2012年、2016年の予算案の発表は、全て水曜日に庶民院(下院)での演説の中で要約して行われた。

金融政策

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金利の設定はイングランド銀行が担当するようになったが、財務大臣も金融政策構造の中で重要な役割を果たしている。財務大臣は、イングランド銀行がそれを満たす金利を設定しなければならないように、インフレ目標を設定する。1998年イングランド銀行法の下、財務大臣はイングランド銀行の金融政策委員会 (Monetary Policy Committee, MPC) の委員9名のうち4名(いわゆる“外部”委員)を任命する権限を持つ。また、イングランド銀行の総裁および副総裁の任命に関するハイレベルの影響力、ならびにイングランド銀行内から出た残りの2名のMPC委員の任命に関して諮問する権利を持つ[5]。また、同法によれば、極端な状況にあるときの限られた期間内において、政府はイングランド銀行に対して金利に関する指示を与える権限を持つこととされている。しかし、この権限が公式に行使されたことは一度もない。

人事配置

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大蔵省では、財務大臣は4名の下級大臣から成る政治家チームと多くの国家公務員に支えられている。最も重要な下級大臣は内閣の構成員である大蔵首席政務次官 (Chief Secretary to the Treasuryで、政府の支出に関して他の政府機関との折衝の役目を委任されている。他の3名は、主計長官 (Paymaster General、財務担当政務次官 (Financial Secretary to the Treasury、経済担当政務次官 (Economic Secretary to the Treasuryである。さらに別の2名の高官に大蔵担当政務次官 (Secretary to the Treasuryの称号が与えられているが、いずれも大蔵省における政府の大臣ではない。大蔵政務次官 (Parliamentary Secretary to the Treasuryは庶民院における与党院内幹事長 (Chief Whipである。Permanent Secretary to the Treasury(大蔵事務次官)は大臣ではなく、大蔵省の高級官僚たる公務員である。

財務大臣職の座に就いた者は職権により第二大蔵卿 (Second Lord of the Treasuryとなる。第二大蔵卿としての大臣公邸はロンドンの第一大蔵卿官邸(ダウニング街10番地、事実上の首相官邸)の隣のダウニング街11番地にある。過去には両邸は私邸であったのだが、今日ではそれらは連結された官邸として供されている。

財務大臣は枢密院の一員であることが義務付けられており、そうすることで「閣下」 (Right Honourable (Rt. Hon.)の称号が授けられる。貴族院議会法の下、財政法案を通過させることがないので、20世紀初頭以来、財務大臣職は実質的に庶民院議員に限られている。財務大臣は、かつては独立していた役職の王立造幣局局長 (Master of the Mintを自らの従属的な役職として保持する[6]

歴代の財務大臣

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イングランド財務大臣 (1221年頃-1646年)

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Chancellor of the Exchequer of England
肖像 氏名
(生没年)
期間 在職中役職 国王
(在位)
ユースタス・オブ・ファーコンバーグ英語版
(生年不詳-1228年)
1221年頃
-不明
ロンドン司教英語版 ヘンリー3世
(1216年 – 1272年)
ジョン・マンセル英語版
(1190/95年 – 1265年)
1234年頃
-不明
国王秘書長官
ラルフ・ド・レスター 1248年以前
エドワード・オブ・ウェストミンスター 1248年
-不明
アルブリック・ド・フィスキャンプ 1263年以前
ジョン・チスハル英語版
(生年不詳-1280年)
1263年
-1265年
大法官[注釈 1]
ウォルター・ジフォード英語版
1225年頃 – 1279年)
1265年
-1266年
バース・ウェルズ司教英語版
ゴッドフリー・ジフォード英語版
(1235年頃 – 1302年)
1266年
-1268年
大法官
ジョン・チスハル英語版
(生年不詳-1280年)
1268年
-1269年
大法官
リチャード・オブ・ミドルトン英語版
(生年不詳-1272年)
1269年
-1272年
ノーサンバーランド大助祭英語版
ロジャー・ド・レ・レイエ 1283年以前
ジェフリー・ド・ニューバンド エドワード1世
(1272年 – 1307年)
フィリップ・ド・ウィロウビー英語版 1283年
-1305年
ジョン・ド・ベンスティディ英語版
(1275年頃 – 1323/24年)
1305年
-1306年
国務大臣
ジョン・サンデール英語版
(生年不詳-1319年)
1307年7月頃
-1308年
ウィンチェスター司教英語版 エドワード2世
(1307年 – 1327年)
ジョン・オブ・マーケンフィールド 1309年
-1312年
ジョン・ホーサム英語版
(生年不詳-1337)
1312年
-1316年
エリー司教英語版
ハーヴェイ・ド・スタントン英語版
(1260年 – 1327年)
1316年
-1323年頃
ウォルター・ド・ステープルドン英語版
(1261年 – 1326年)
1323年
-1324年頃
大蔵卿英語版
ハーヴェイ・ド・スタントン英語版
(1260年 – 1327年)
1324年
-1327年1月頃
民事裁判所裁判長英語版
アダム・ド・ハーヴィントン英語版
(c. 1270 – c. 1345)
1327年1月頃
-1330年
エドワード3世
(1327年 – 1377年)
ロバート・ウッドハウス英語版
(生年不詳-1346年)
1330年
-1331年
ロバート・ド・ストラトフォード英語版
(1292年頃 – 1362年頃)
1331年
-1334年
チチェスター司教英語版
ジョン・ヒルデスリー 1338年頃
-不明
ウィリアム・ド・エヴァードン 1341年
-不明
ウィリアム・アスケビー 1363年
-不明
ノーサンバーランド大助祭英語版
ロバート・ド・アシュトン英語版
(生年不詳-1385年)
1375年
-1377年6月頃
ウォルター・バーナム 1377年6月頃
-1399年9月頃
リチャード2世
(1377年 – 1399年)
ヘンリー・ソマー英語版
(1370年頃 – 1450年)
1410年
-1437年
庶民院議員 ヘンリー4世
(1399年 – 1413年)
ヘンリー5世
(1413年 – 1422年)
ヘンリー6世
(1422年 – 1461年)
ジョン・サマセット英語版
(生年不詳-1454年)
1441年
-1447年
トマス・ブラウン英語版
(1402–1460)
1440年頃
-1450年頃
庶民院議員
トマス・ウィザム英語版
(1420年頃 – 1489年)
1454年
-不明
トマス・スウェイツ英語版
(1435年頃 – 1503年)
1461年3月
-不明
エドワード4世
(1461年 – 1470年)
トマス・ウィザム英語版
(1420年頃 – 1489年)
1465年
-1469年
リチャード・ファウラー英語版
(1425年頃 – 1477年)
1469年
-1471年4月
ヘンリー6世
(1470年 – 1471年)
トマス・スウェイツ英語版
(1435年頃 – 1503年)
1471年4月頃
-1483年4月頃
ランカスター公領大臣 エドワード4世
(1471年 – 1483年)
ウィリアム・ケイツビー英語版
(1450年 – 1485年)
1483年4月
-1484年頃
庶民院議長英語版 エドワード5世
(1483年)
リチャード3世
(1483年 – 1485年)
トマス・ラベル英語版
生年不詳-1524年)
1485年8月頃
-1524年
庶民院議長 ヘンリー7世
(1485年 – 1509年)
ヘンリー8世
(1509年 – 1547年)
第2代バーナーズ男爵
ジョン・バウチャー英語版
(1467年 – 1533年)
1524年
-1533年頃
初代エセックス伯爵
トマス・クロムウェル
(1485年頃 – 1540年)
1533年4月12日
-1540年6月10日
国務大臣
ジョン・ベイカー英語版
(1488年 – 1558年)
1545年
-1558年11月
庶民院議員
エドワード6世
(1547年 – 1553年)
メアリー1世
(1553年 – 1558年)
リチャード・サックヴィル英語版
(1507年頃 – 1566年)
1559年2月
-1566年4月21日
庶民院議員 エリザベス1世
(1558年 – 1603年)
ウォルター・マイルドメイ英語版
(1523年頃 – 1589年)
1566年
-1589年5月31日
庶民院議員
ジョン・フォーテスキュー英語版
(1531年頃 – 1607年)
1589年
-1603年
庶民院議員
ジェームズ1世
(1603年 – 1625年)
初代ダンバー伯爵英語版
ジョージ・ヒューム英語版
(1556年頃 – 1611年)
1603年5月24日
-1606年4月
ジュリアス・シーザー英語版
(1557/1558年 – 1636年)
1606年4月11日
-1614年
庶民院議員
フルク・グランヴィル英語版
(1554年 – 1628年)
1614年10月15日
-1621年
庶民院議員
リチャード・ウェストン英語版
(1577年 – 1634年頃)
1621年1月29日
-1628年7月15日
庶民院議員
チャールズ1世
(1625年 – 1649年)
ニューバラの初代バレット卿
エドワード・バレット英語版
(1581年 – 1645年頃)
1628年8月14日
-1629年
初代コティントン男爵
フランシス・コティントン英語版
(1579年頃 – 1652年)
1629年4月18日
-1642年1月6日
ジョン・カルペパー英語版
(1600年頃 – 1660年)
1642年1月6日
-1643年2月22日
庶民院議員
エドワード・ハイド
(1609年 – 1674年)
1643年2月
-1646年

共和政期はポスト廃止。

イングランド財務大臣 (1660年-1708年)

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Chancellor of the Exchequer of England
肖像 氏名
(生没年)
期間 在職中役職 政府/内閣 国王
(在位)
初代ハイド男爵
エドワード・ハイド
(1609 – 1674)
1660年
-1661年5月13日
クラレンドン内閣英語版 チャールズ2世
(1660年 – 1685年)
初代アシュリー男爵
アンソニー・アシュリー=クーパー
(1621年 – 1683年)
1661年5月13日
-1672年11月22日
Cabal
ジョン・ダンクーム
(1622年 – 1687年)
1672年11月22日
-1676年5月2日
庶民院議員
第1次ダンビー内閣英語版
ジョン・アーンリ英語版
(1620年 – 1697年)
1676年5月2日
-1689年4月9日
庶民院議員
枢密院内閣英語版
Chits
ジェームズ2世
(1685年 – 1688年)
ウィリアム3世
&
メアリー2世
(1689年 – 1694年)
第2代デラマー男爵英語版
ヘンリー・ボース英語版
(1652年 – 1694年)
1689年4月9日
-1690年3月18日
カーマ―ゼン=ハリファックス内閣英語版
リチャード・ハムデン英語版
(1631年頃 – 1695年)
1690年3月18日
-1694年5月10日
庶民院議員 カーマーゼン内閣英語版
チャールズ・モンタギュー
(1661年 – 1715年)
1694年5月10日
-1699年5月31日
庶民院議員 ホイッグ・ジャントー
ウィリアム3世
(1694年 – 1702年)
ジョン・スミス
(1655/56年 – 1723年)
1699年5月31日
-1701年3月23日
庶民院議員 ペンブルック内閣英語版
ヘンリー・ボイル
(1669年 – 1725年)
1701年3月27日
-1708年4月22日
庶民院議員
ゴドルフィン=マールバラ内閣 アン
(1702年 – 1714年)

グレートブリテン財務大臣 (1708年–1817年)

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所属政党

Chancellor of the Exchequer of Great Britain[7]
肖像 氏名
(生没年)
期間 在職中役職 所属政党 内閣
(首相所属政党)
国王
(在位)
ジョン・スミス
(1655/56年 – 1723年)
1708年4月22日
-1710年8月11日
庶民院議員 ホイッグ党 ゴドルフィン=マールバラ内閣
(トーリー党)
アン
(1702年 – 1714年)
ロバート・ハーレー
(1661年 – 1724年)
1710年8月11日
-1711年6月4日
庶民院議員 トーリー党 ハーレー内閣
(トーリー党)
ロバート・ベンソン
(1676年頃 – 1731年)
1711年6月4日
-1713年8月21日
庶民院議員 トーリー党
第3代準男爵
ウィリアム・ウィンダム
(1688年 – 1740年)
1713年8月21日
-1714年10月13日
庶民院議員 トーリー党
ジョージ1世
(1714年 – 1727年)
第2代準男爵
リチャード・オンズロー
(1654年 – 1717年)
1714年10月13日
-1715年10月12日
庶民院議員 ホイッグ党 タウンゼンド子爵内閣
(ホイッグ党)
ロバート・ウォルポール
(1676年 – 1745年)
1715年10月12日
-1717年4月15日
庶民院議員 ホイッグ党
初代スタンホープ伯爵
ジェイムズ・スタンホープ
(1673年頃 – 1721年)
1717年4月15日
-1718年3月20日
貴族院議員 ホイッグ党 第1次スタンホープ=サンダーランド内閣
(ホイッグ党)
ジョン・エイズラビー
(1670年 – 1742年)
1718年3月20日
-1721年1月23日
庶民院議員 ホイッグ党 第2次スタンホープ=サンダーランド内閣
(ホイッグ党)
ジョン・プラット
(1657年 – 1725年)
(臨時代理)
1721年2月2日
-1721年4月3日
首席判事英語版 ホイッグ党
初代オーフォード伯爵[注釈 2]
ロバート・ウォルポール
(1676年 – 1745年)
1721年4月3日
-1742年2月12日
首相
庶民院議員
貴族院議員
ホイッグ党 ウォルポール=タウンゼンド内閣
(ホイッグ党)
ジョージ2世
(1727年 – 1760年)
ウォルポール内閣
(ホイッグ党)
サミュエル・サンズ
(1695年 – 1770年)
1742年2月12日
-1743年12月12日
庶民院議員 ホイッグ党 ウィルミントン伯内閣
(ホイッグ党)
ヘンリー・ペラム
(1694年 – 1754年)
1743年12月12日
-1754年3月8日
首相
庶民院院内総務
庶民院議員
ホイッグ党
ペラム内閣
(ホイッグ党)
ウィリアム・リー
(1688年 – 1754年)
(臨時代理)
1754年3月8日
-1754年4月6日
首席判事 ホイッグ党 第1次ニューカッスル公内閣
(ホイッグ党)
ヘンリー・ビルソン=レッグ
(1708年 – 1764年)
1754年4月6日
-1755年11月25日
庶民院議員 ホイッグ党
第5代準男爵英語版
ジョージ・リトルトン
(1709年 – 1773年)
1755年11月25日
-1756年11月16日
庶民院議員 ホイッグ党
ヘンリー・ビルソン=レッグ
(1708年 – 1764年)
1756年11月16日
-1757年4月13日
庶民院議員 ホイッグ党 デヴォンシャー公内閣
(ホイッグ党)
初代マンスフィールド伯爵
ウィリアム・マリー英語版
(1705年 – 1793年)
(臨時代理)
1757年4月13日
-1757年7月2日
主席判事
貴族院議員
ホイッグ党
1757年暫定内閣
(ホイッグ党)
ヘンリー・ビルソン=レッグ
(1708年 – 1764年)
1757年7月2日
-1761年3月19日
庶民院議員 ホイッグ党 第2次ニューカッスル公爵内閣
(ホイッグ党)
ジョージ3世
(1760年 – 1820年)[注釈 3]
第2代バリントン子爵英語版
ウィリアム・バリントン
(1717年 – 1793年)
1761年3月19日
-1762年5月29日
庶民院議員 ホイッグ党
第11代ル・ディスペンサー男爵
フランシス・ダッシュウッド
(1708年 – 1781年)
1762年5月29日
-1763年4月16日
庶民院議員 トーリー党 ビュート伯内閣
(トーリー党)
ジョージ・グレンヴィル
(1712年 – 1770年)
1763年4月16日
-1765年7月16日
首相
庶民院議員
ホイッグ党 グレンヴィル内閣
(ホイッグ党)
ウィリアム・ダズウェル
(1721年 – 1775年)
1765年7月16日
-1766年8月2日
庶民院議員 ホイッグ党 第1次ロッキンガム侯内閣
(ホイッグ党)
チャールズ・タウンゼンド
(1725年 – 1767年)
1766年8月2日
-1767年9月4日
庶民院議員 ホイッグ党 チャタム伯内閣
(ホイッグ党)
ノース卿
フレデリック・ノース
(1732年 – 1792年)
1767年9月11日
-1782年3月27日
首相
庶民院院内総務
庶民院議員
トーリー党
グラフトン公内閣
(ホイッグ党)
ノース卿内閣
(トーリー党)
ジョン・キャヴェンディッシュ卿英語版
(1732年 – 1796年)
1782年3月27日
-1782年7月10日
庶民院議員 ホイッグ党 第2次ロッキンガム侯内閣
(ホイッグ党)
ウィリアム・ピット
(1759年 – 1806年)
1782年7月10日
-1783年3月31日
庶民院議員 ホイッグ党 シェルバーン伯内閣
(ホイッグ党)
ジョン・キャヴェンディッシュ卿英語版
(1732年 – 1796年)
1783年4月2日
-1783年12月19日
庶民院議員 ホイッグ党 第1次ポートランド公内閣
(ホイッグ党)
ウィリアム・ピット
(1759年 – 1806年)
1783年12月19日
-1801年3月14日
首相
庶民院院内総務
庶民院議員
トーリー党 第1次小ピット内閣
(トーリー党)
ヘンリー・アディントン
(1757年 – 1844年)
1801年3月14日
-1804年5月10日
首相
庶民院院内総務
庶民院議員
トーリー党 アディントン内閣
(トーリー党)
ウィリアム・ピット
(1759年 – 1806年)
1804年5月10日
-1806年1月23日
首相
庶民院院内総務
庶民院議員
トーリー党 第2次小ピット内閣
(トーリー党)
初代エレンバラ男爵
エドワード・ロー英語版
(1750年 – 1818年)
(臨時代理)
1806年1月23日
-1806年2月5日
首席判事
貴族院議員
トーリー党 グレンヴィル男爵内閣
(ホイッグ党)
ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス卿
(1780年 – 1863年)
1806年2月5日
-1807年3月26日
庶民院議員 ホイッグ党
スペンサー・パーシヴァル
(1762年 – 1812年)
1807年3月26日
-1812年5月11日
庶民院議員 トーリー党 第2次ポートランド公内閣
(トーリー党)
パーシヴァル内閣
(トーリー党)
ニコラス・ヴァンシッタート英語版
(1766年 – 1851年)
1812年6月9日
-1817年7月12日
庶民院議員 トーリー党 リヴァプール伯内閣
(トーリー党)

連合王国財務大臣 (1817年–現在)

[編集]

グレートブリテン王国アイルランド王国1800年合同法グレートブリテンおよびアイルランド連合王国として合体したが、グレートブリテン財務大臣とアイルランド財務大臣英語版は、1817年まで統合されなかった。1817年から両国の財務大臣職が統合されて連合王国財務大臣が新設された[8][9]

Chancellor of the Exchequer of the United Kingdom[7]
肖像 氏名
(生没年)
期間 在職中役職 所属政党 内閣
(首相所属政党)
国王
(在位)
ニコラス・ヴァンシッタート英語版
(1766年 – 1851年)
1817年7月12日
-1823年1月31日
庶民院議員 トーリー党 リヴァプール伯内閣
(トーリー党)
ジョージ3世
(1760年 – 1820年)
[注釈 4]
ジョージ4世
(1820年 – 1830年)
2 フレデリック・ロビンソン
(1782年 – 1859年)
1823年1月31日
-1827年4月27日
庶民院議員 トーリー党
3 ジョージ・カニング
(1770年 – 1827年)
1827年4月27日
-1827年8月8日
首相
庶民院議員
トーリー党 カニング内閣
(トーリー党)
4 初代テンターデン男爵英語版
チャールズ・アボット英語版
(1778年 – 1855年)
(臨時代理)
1827年8月8日
-1827年9月5日
首席判事英語版
貴族院議員
トーリー党 ゴドリッチ子爵内閣
(トーリー党)
5 ジョン・チャールズ・ハリス英語版
(1778年 – 1855年)
1827年9月5日
-1828年1月26日
庶民院議員 トーリー党
6 ヘンリー・ゴールバーン英語版
(1784年 – 1856年)
1828年1月26日
-1830年11月22日
庶民院議員 トーリー党 ウェリントン公内閣
(トーリー党)
ウィリアム4世
(1830年 – 1837年)
7 オールトラップ子爵
ジョン・スペンサー
(1782年 – 1845年)
1830年11月22日
-1834年11月14日
庶民院議員 ホイッグ党 グレイ伯内閣
(ホイッグ党)
第1次メルバーン子爵内閣
(ホイッグ党)
8 初代デンマン男爵
トマス・デンマン英語版
(1779年 – 1854年)
(臨時代理)
1834年11月14日
-1834年12月15日
首席判事
貴族院議員
ホイッグ党 第2次ウェリントン公内閣
(保守党)
9 ロバート・ピール
(1788年 – 1850年)
1834年12月15日
-1835年4月8日
庶民院議員 保守党 第1次ピール内閣
(保守党)
10 トマス・スプリング・ライス英語版
(1790年 – 1866年)
1835年4月18日
-1839年8月26日
庶民院議員 ホイッグ党 第2次メルバーン子爵内閣
(ホイッグ党)
ヴィクトリア
(1837年 – 1901年)
11 フランシス・ベアリング
(1796年 – 1866年)
1839年8月26日
-1841年8月30日
庶民院議員 ホイッグ党
12 ヘンリー・ゴールバーン英語版
(1784年 – 1856年)
1841年9月3日
-1846年6月27日
庶民院議員 保守党 第2次ピール内閣
(保守党)
13 第3代準男爵
チャールズ・ウッド
(1800年 – 1885年)
1846年7月6日
-1852年2月21日
庶民院議員 ホイッグ党 第1次ラッセル内閣
(ホイッグ党)
14 ベンジャミン・ディズレーリ
(1804年 – 1881年)
1852年2月27日
-1852年12月17日
庶民院院内総務
庶民院議員
保守党 第1次ダービー伯内閣
(保守党)
15 ウィリアム・グラッドストン
(1809年 – 1898年)
1852年12月28日
-1855年2月28日
庶民院議員 ピール派 アバディーン伯内閣
(ピール派)
16 第2代準男爵英語版
ジョージ・ルイス英語版
(1806年 – 1863年)
1855年2月28日
-1858年2月21日
庶民院議員 ホイッグ党 第1次パーマストン子爵内閣
(ホイッグ党)
17 ベンジャミン・ディズレーリ
(1804年 – 1881年)
1858年2月26日
-1859年6月11日
庶民院院内総務
庶民院議員
保守党 第2次ダービー伯内閣
(保守党)
18 ウィリアム・グラッドストン
(1809年 – 1898年)
1859年6月18日
-1866年6月26日
庶民院院内総務
庶民院議員
自由党 第2次パーマストン子爵内閣
(自由党)
ラッセル伯内閣
(自由党)
19 ベンジャミン・ディズレーリ
(1804年 – 1881年)
1866年7月6日
-1868年2月29日
庶民院院内総務
庶民院議員
保守党 第3次ダービー伯内閣
(保守党)
20 ジョージ・ワード・ハント英語版
(1825年 – 1877年)
1868年2月29日
-1868年12月1日
庶民院議員 保守党 第1次ディズレーリ内閣
(保守党)
21 ロバート・ロウ英語版
(1811年 – 1892年)
1868年12月9日
-1873年8月11日
庶民院議員 自由党 第1次グラッドストン内閣
(自由党)
22 ウィリアム・グラッドストン
(1809年 – 1898年)
1873年8月11日
-1874年2月17日
首相
庶民院院内総務
庶民院議員
自由党
23 第8代準男爵
スタッフォード・ノースコート
(1818年 – 1887年)
1874年2月21日
-1880年4月21日
庶民院院内総務
庶民院議員
保守党 第2次ディズレーリ内閣
(保守党)
24 ウィリアム・グラッドストン
(1809年 – 1898年)
1880年4月28日
-1882年12月16日
首相
庶民院院内総務
庶民院議員
自由党 第2次グラッドストン内閣
(自由党)
25 ヒュー・チルダース
(1827年 – 1896年)
1882年12月16日
-1885年6月9日
庶民院議員 自由党
26 第9代準男爵
マイケル・ヒックス・ビーチ
(1837年 – 1916年)
1885年6月24日
-1886年1月28日
庶民院議員 保守党 第1次ソールズベリー侯爵内閣
(保守党)
27 ウィリアム・ヴァーノン・ハーコート
(1827年 – 1904年)
1886年2月6日
-1886年7月20日
庶民院議員 自由党 第3次グラッドストン内閣
(自由党)
28 ランドルフ・チャーチル卿
(1849年 – 1895年)
1886年8月3日
-1886年12月22日
庶民院議員 保守党 第2次ソールズベリー侯爵内閣
(保守党)
29 ジョージ・ゴッシェン
(1831年 – 1907年)
1887年1月14日
-1892年8月11日
庶民院議員 自由統一党
30 ウィリアム・ヴァーノン・ハーコート
(1827年 – 1904年)
1892年8月18日
-1895年6月21日
庶民院議員 自由党 第4次グラッドストン内閣
(自由党)
ローズベリー伯爵内閣
(自由党)
31 第9代準男爵
マイケル・ヒックス・ビーチ
(1837年 – 1916年)
1895年6月29日
-1902年8月11日
庶民院議員 保守党 第3次ソールズベリー侯爵内閣
(保守党)
エドワード7世
(1901年 – 1910年)
32 チャールズ・リッチー英語版
(1838年 – 1906年)
1902年8月11日
-1903年10月9日
庶民院議員 保守党 バルフォア内閣
(保守党)
33 オースティン・チェンバレン
(1863年 – 1937年)
1903年10月9日
-1905年12月4日
庶民院議員 自由統一党
34 ハーバート・ヘンリー・アスキス
(1852年 – 1928年)
1905年12月10日
-1908年4月16日
庶民院議員 自由党 キャンベル=バナマン内閣
(自由党)
35 デイヴィッド・ロイド・ジョージ
(1863年 – 1945年)
1908年4月16日
-1915年5月25日
庶民院議員 自由党 アスキス内閣
(自由党)
ジョージ5世
(1910年 – 1936年)
36 レジナルド・マッケナ
(1863年 – 1943年)
1915年5月25日
-1916年12月10日
庶民院議員 自由党 アスキス挙国一致内閣
(自由党)
37 アンドルー・ボナー・ロー
(1858年 – 1923年)
1916年12月10日
-1919年1月10日
庶民院議員 保守党 ロイド・ジョージ挙国一致内閣
(自由党)
38 オースティン・チェンバレン
(1863年 – 1937年)
1919年1月10日
-1921年4月1日
庶民院議員 保守党
39 ロバート・ホーン英語版
(1871年 – 1940年)
1921年4月1日
-1922年10月19日
庶民院議員 保守党
40 スタンリー・ボールドウィン
(1867年 – 1947年)
1922年10月27日
-1923年8月27日
首相
庶民院議長
庶民院議員
保守党 ロー内閣
(保守党)
第1次ボールドウィン内閣
(保守党)
41 ネヴィル・チェンバレン
(1869年 – 1940年)
1923年8月27日
-1924年1月22日
庶民院議員 保守党
42 フィリップ・スノーデン英語版
(1864年 – 1937年)
1924年1月22日
-1924年11月3日
庶民院議員 労働党 第1次マクドナルド内閣
(労働党)
43 ウィンストン・チャーチル
(1874年 – 1965年)
1924年11月6日
-1929年6月4日
庶民院議員 保守党 第2次ボールドウィン内閣
(保守党)
44 フィリップ・スノーデン英語版
(1864年 – 1937年)
1929年6月7日
-1931年11月5日
庶民院議員 労働党 第2次マクドナルド内閣
(労働党)
挙国派労働機構英語版 第1次マクドナルド挙国一致内閣
(挙国派労働機構英語版)
45 ネヴィル・チェンバレン
(1869年 – 1940年)
1931年11月5日
-1937年5月28日
庶民院議員 保守党 第2次マクドナルド挙国一致内閣
(挙国派労働機構)
ボールドウィン挙国一致内閣
(保守党)
エドワード8世
(1936年)
ジョージ6世
(1936年 – 1952年)
46 ジョン・サイモン
(1873年 – 1954年)
1937年5月28日
-1940年5月12日
庶民院議員 挙国派自由党英語版 チェンバレン挙国一致内閣
(保守党)
チェンバレン戦時内閣
(保守党)
47 キングスリー・ウッド英語版
(1881年 – 1943年)
1940年5月12日
-1943年9月21日
庶民院議員 保守党 チャーチル戦時内閣
(保守党)
48 ジョン・アンダーソン英語版
(1882年 – 1958年)
1943年9月24日
-1945年7月26日
庶民院議員 無所属
チャーチル暫定内閣
(保守党)
49 ヒュー・ダルトン英語版
(1887年 – 1962年)
1945年7月27日
-1947年11月13日
庶民院議員 労働党 アトリー内閣
(労働党)
50 スタッフォード・クリップス
(1889年 – 1952年)
1947年11月13日
-1950年10月19日
庶民院議員 労働党
51 ヒュー・ゲイツケル
(1906年 – 1963年)
1950年10月19日
-1951年10月26日
庶民院議員 労働党
52 ラブ・バトラー
(1902年 – 1982年)
1951年10月26日
-1955年12月20日
庶民院議員 保守党 第3次チャーチル内閣
(保守党)
エリザベス2世
(1952年 – 2022年)
イーデン内閣
(保守党)
53 ハロルド・マクミラン
(1894年 – 1986年)
1955年12月20日
-1957年1月13日
庶民院議員 保守党
54 ピーター・ソニークロフト英語版
(1909年 – 1994年)
1957年1月13日
-1958年1月6日
庶民院議員 保守党 第1次-第2次マクミラン内閣
(保守党)
55 デリック・ヒースコート=エイモリー英語版
(1899年 – 1981年)
1958年1月6日
-1960年7月27日
庶民院議員 保守党
56 セルウィン・ロイド英語版
(1904年 – 1978年)
1960年7月27日
-1962年7月13日
庶民院議員 保守党
57 レジナルド・モードリング英語版
(1917年 – 1979年)
1962年7月16日
-1964年10月16日
庶民院議員 保守党
ダグラス=ヒューム内閣
(保守党)
58 ジェイムズ・キャラハン
(1912年 – 2005年)
1964年10月17日
-1967年11月29日
庶民院議員 労働党 第1次-第2次ウィルソン内閣
(労働党)
59 ロイ・ジェンキンス
(1920年 – 2003年)
1967年11月29日
-1970年6月19日
庶民院議員 労働党
60 イアイン・マクラウド英語版
(1913年 – 1970年)
1970年6月20日
-1970年7月20日
庶民院議員 保守党 ヒース内閣
(保守党)
61 アンソニー・バーバー英語版
(1920年 – 2005年)
1970年7月25日
-1974年3月4日
庶民院議員 保守党
62 デニス・ヒーリー
(1917年 – 2015年)
1974年3月5日
-1979年5月4日
庶民院議員 労働党 第3次-第4次ウィルソン内閣
(労働党)
キャラハン内閣
(労働党)
63 ジェフリー・ハウ
(1926年 – 2015年)
1979年5月4日
-1983年6月11日
庶民院議員 保守党 第1次サッチャー内閣
(保守党)
64 ナイジェル・ローソン
(1932年 – )
1983年6月11日
-1989年10月26日
庶民院議員 保守党 第2次サッチャー内閣
(保守党)
第3次サッチャー内閣
(保守党)
65 ジョン・メージャー
(1943年 – )
1989年10月26日
-1990年11月28日
庶民院議員 保守党
66 ノーマン・ラモント
(1942年 – )
1990年11月28日
-1993年5月27日
庶民院議員 保守党 第1次メージャー内閣
(保守党)
第2次メージャー内閣
(保守党)
67 ケネス・クラーク英語版
(1940年 – )
1993年5月27日
-1997年5月2日
庶民院議員 保守党
68 ゴードン・ブラウン
(1951年 – )
1997年5月2日
-2007年6月27日
庶民院議員 労働党 第1次-第3次ブレア内閣
(労働党)
69 アリスター・ダーリング
(1953年 – )
2007年6月29日
-2010年5月11日
庶民院議員 労働党 ブラウン内閣
(労働党)
70 ジョージ・オズボーン
(1971年 – )
2010年5月12日
-2016年7月13日
庶民院議員 保守党 第1次キャメロン内閣
(保守党)
第2次キャメロン内閣
(保守党)
71 フィリップ・ハモンド
(1955年-)
2016年7月13日
-2019年7月24日
庶民院議員 保守党 第1次メイ内閣
(保守党)
第2次メイ内閣
(保守党)
72 サジド・ジャヴィド
(1969年 – )
2019年7月24日
-2020年2月13日
庶民院議員 保守党 第1次ジョンソン内閣
(保守党)
第2次ジョンソン内閣
(保守党)
73 リシ・スナク
(1980年 – )
2020年2月13日
-2022年7月5日
庶民院議員 保守党 第2次ジョンソン改造内閣
(保守党)
74 ナディム・ザハウィ
(1967年 – )
2022年7月5日
-2022年9月6日
庶民院議員 保守党
75 クワシ・クワーテン
(1975年 – )
2022年9月6日
-2022年10月14日
庶民院議員 保守党 トラス内閣
(保守党)
76 ジェレミー・ハント
(1966年 – )
2022年10月14日
- 2024年7月5日
庶民院議員 保守党 チャールズ3世
(2022年 – 現在)
77 レイチェル・リーヴス
(1979年 – )
2024年7月5日
-(現職)
庶民院議員 労働党 スターマー内閣
(労働党)

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1264年まで大法官を務める
  2. ^ 在任中の1742年2月6日にオーフォード伯爵に叙される。
  3. ^ 1811年2月5日からプリンス・オブ・ウェールズが摂政皇太子(Prince Regent)
  4. ^ 1811年2月5日からプリンス・オブ・ウェールズが摂政皇太子(Prince Regent)

出典

[編集]
  1. ^ Salaries of Members of His Majesty's Government – Financial Year 2022–23” (15 December 2022). 2023年11月25日閲覧。
  2. ^ Joseph Haydn, Horace Ockerby (ed.): The Book of Dignities, 3rd edition, Part III (Political and Official), p. 164. W.H. Allen & Co., London 1894, reprinted by Firecrest Publishing Ltd, Pancakes, 1969.
  3. ^ a b "Chancellors of the exchequer". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. 11 January 2024 [23 September 2004]. doi:10.1093/ref:odnb/92822 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  4. ^ Gordon Brown: Chancellor of the Exchequer”. Encyclopedia II. Experiencefestival.com. 2 November 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。2 May 2010閲覧。
  5. ^ Monetary Policy | Monetary Policy Committee (MPC) | Framework”. Bank of England (6 May 1997). 2 May 2010閲覧。
  6. ^ Owen, James (19 December 2012). “Sir Isaac Newton – did you know?”. The Royal Mint. 6 June 2017閲覧。
  7. ^ a b GOV.UK. “Past Chancellors of the Exchequer”. 2018年4月29日閲覧。
  8. ^ "Consolidated Fund Act 1816". section 2, Act No. 98 of 1816. 2016年11月18日閲覧
  9. ^ Haydn, Joseph, ed (1890). “X (Ireland)”. The Book of Dignities. London: W. H. Allen & Co.. p. 562. OL 13505280M 

外部リンク

[編集]