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「トマス・ペラム=クリントン (第3代ニューカッスル公爵)」の版間の差分

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== 生涯 ==
== 生涯 ==
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軍歴では1769年に{{仮リンク|エンサイン (軍階)|en|Ensign (rank)|label=エンサイン}}として{{仮リンク|サフォーク連隊|en|Suffolk Regiment|label=第12歩兵連隊}}に入隊、1770年に{{仮リンク|第1国王近衛竜騎兵連隊|en|1st King's Dragoon Guards}}の大尉に転じ、[[グレナディアガーズ|近衛歩兵第1連隊]]に転じた後、1775年に中佐に昇進した<ref name="HOP" />。[[アメリカ独立戦争]]では1779年から1780年まで[[ヘンリー・クリントン]]将軍の副官を務め、1780年に大佐に昇進した<ref name="Cokayne" />。1782年に{{仮リンク|第75歩兵連隊 (プリンス・オブ・ウェールズの連隊)|en|75th Regiment of Foot (Prince of Wales's Regiment)|label=第75歩兵連隊}}隊長になり、1785年に{{仮リンク|第17ランサー連隊|en|17th Lancers|label=第17軽竜騎兵連隊}}隊長に転じ(1795年まで在任)、1787年に少将に昇進した<ref name="HOP" />。
軍歴では1769年に{{仮リンク|エンサイン (軍階)|en|Ensign (rank)|label=エンサイン}}として{{仮リンク|サフォーク連隊|en|Suffolk Regiment|label=第12歩兵連隊}}に入隊、1770年に{{仮リンク|第1国王近衛竜騎兵連隊|en|1st King's Dragoon Guards}}の大尉に転じ、[[グレナディアガーズ|近衛歩兵第1連隊]]に転じた後、1775年に中佐に昇進した<ref name="HOP" />。[[アメリカ独立戦争]]では1779年から1780年まで[[ヘンリー・クリントン]]将軍の副官を務め、1780年に大佐に昇進した<ref name="Cokayne" />。1782年に{{仮リンク|第75歩兵連隊 (プリンス・オブ・ウェールズの連隊)|en|75th Regiment of Foot (Prince of Wales's Regiment)|label=第75歩兵連隊}}隊長になり、1785年に{{仮リンク|第17ランサー連隊|en|17th Lancers|label=第17軽竜騎兵連隊}}隊長に転じ(1795年まで在任)、1787年に少将に昇進した<ref name="HOP" />。
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政界では[[1774年イギリス総選挙]]で[[フレデリック・ノース (第2代ギルフォード伯爵)|ノース卿]]の手配により{{仮リンク|ウェストミンスター選挙区|en|Westminster (UK Parliament constituency)}}から出馬したことが始まりとなった<ref name="HOP" />。ノース卿の目的は[[ジョン・ウィルクス]]の支持者に勝つことにあり、国王[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]も受けたため、政府は選挙活動およびその経費を担当した<ref name="HOP" />。[[1780年イギリス総選挙]]でも再選を目指したが、[[チャールズ・ジェームズ・フォックス]]の人気もあり落選した<ref name="HOP" />。このとき、父の第2代ニューカッスル公爵は政府の過失を追及してトマスの軍階昇進を要求、トマスは同年に大佐に昇進することとなった<ref name="HOP" />。
政界では[[1774年イギリス総選挙]]で[[フレデリック・ノース (第2代ギルフォード伯爵)|ノース卿]]の手配により{{仮リンク|ウェストミンスター選挙区|en|Westminster (UK Parliament constituency)}}から出馬したことが始まりとなった<ref name="HOP" />。ノース卿の目的は[[ジョン・ウィルクス]]の支持者に勝つことにあり、国王[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]も受けたため、政府は選挙活動およびその経費を担当した<ref name="HOP" />。[[1780年イギリス総選挙]]でも再選を目指したが、[[チャールズ・ジェームズ・フォックス]]の人気もあり落選した<ref name="HOP" />。このとき、父の第2代ニューカッスル公爵は政府の過失を追及してトマスの軍階昇進を要求、トマスは同年に大佐に昇進することとなった<ref name="HOP" />。


1781年末に弟[[ジョン・ペラム=クリントン|ジョン]]が死去すると、トマスはその後任として{{仮リンク|イースト・レットフォード選挙区|en|East Retford (UK Parliament constituency)}}の補選に当選した<ref name="HOP" />。1782年より、[[ノース内閣]]を支持しなくなり、同年から1783年まで暫定講和条約や東インド法案に投票しないなど議会活動をほとんど行わなかった<ref name="HOP" />。1783年12月以降は父とともに[[ウィリアム・ピット (小ピット)|小ピット]]を支持したが<ref name="HOP" />、トマスの結婚にあたって父子の関係が悪化、1790年5月には「議会から離れることを望むのならばそれに従おう」と父から脅された(ただし、[[1790年イギリス総選挙|同年の総選挙]]では再選している)<ref name="HOP2">{{HistoryofParliament|1790|url=http://www.historyofparliamentonline.org/volume/1790-1820/member/pelham-clinton-thomas-1752-1795 |title=PELHAM CLINTON, Thomas, Earl of Lincoln (1752-1795).|last=Symonds|first=P. A.|accessdate=1 September 2019}}</ref>。その後は資金に困るようになり、1791年5月には小ピットに[[ジャージー総督]]の官職を求めたが失敗している<ref name="HOP2" />。
1781年末に弟[[ジョン・ペラム=クリントン|ジョン]]が死去すると、トマスはその後任として{{仮リンク|イースト・レットフォード選挙区|en|East Retford (UK Parliament constituency)}}の補選に当選した<ref name="HOP" />。1782年より、[[ノース内閣]]を支持しなくなり、同年から1783年まで暫定講和条約や東インド法案に投票しないなど議会活動をほとんど行わなかった<ref name="HOP" />。1783年12月以降は父とともに[[ウィリアム・ピット (小ピット)|小ピット]]を支持したが<ref name="HOP" />、トマスの結婚にあたって父子の関係が悪化、1790年5月には「議会から離れることを望むのならばそれに従おう」と父から脅された(ただし、[[1790年イギリス総選挙|同年の総選挙]]では再選している)<ref name="HOP2">{{HistoryofParliament|1790|url=https://www.historyofparliamentonline.org/volume/1790-1820/member/pelham-clinton-thomas-1752-1795 |title=PELHAM CLINTON, Thomas, Earl of Lincoln (1752-1795).|last=Symonds|first=P. A.|accessdate=1 September 2019}}</ref>。その後は資金に困るようになり、1791年5月には小ピットに[[ジャージー総督]]の官職を求めたが失敗している<ref name="HOP2" />。


1794年2月22日に父が死去すると、[[ニューカッスル公爵|ニューカッスル=アンダー=ライン公爵]]の爵位を継承、同年から1795年まで{{仮リンク|ノッティンガムシャー統監|en|Lord Lieutenant of Nottinghamshire}}を務めた<ref name="Cokayne" />。1795年5月17日に死去、[[ウィンザー (イングランド)|ウィンザー]]で埋葬された<ref name="Cokayne" />。息子[[ヘンリー・ペラム=クリントン (第4代ニューカッスル公)|ヘンリー]]が爵位を継承した<ref name="Cokayne" />。
1794年2月22日に父が死去すると、[[ニューカッスル公爵|ニューカッスル=アンダー=ライン公爵]]の爵位を継承、同年から1795年まで{{仮リンク|ノッティンガムシャー統監|en|Lord Lieutenant of Nottinghamshire}}を務めた<ref name="Cokayne" />。1795年5月17日に死去、[[ウィンザー (イングランド)|ウィンザー]]で埋葬された<ref name="Cokayne" />。息子[[ヘンリー・ペラム=クリントン (第4代ニューカッスル公)|ヘンリー]]が爵位を継承した<ref name="Cokayne" />。

2020年6月2日 (火) 11:55時点における版

第3代ニューカッスル=アンダー=ライン公爵トマス・ペラム=クリントン英語: Thomas Pelham-Clinton, 3rd Duke of Newcastle1752年7月1日1795年5月17日)は、グレートブリテン王国の貴族、軍人、政治家。1779年から1794年までリンカーン伯爵儀礼称号を使用した。

生涯

第2代ニューカッスル=アンダー=ライン公爵ヘンリー・ペラム=クリントンとキャサリン・ペラム(Catherine Pelham、1727年7月24日 – 1760年7月27日、ヘンリー・ペラムの娘)の三男として、1752年7月1日に生まれ、28日にウェストミンスターの聖マーガレット教会で洗礼を受けた[1]。1763年から1764年までイートン・カレッジで教育を受けた後、フランスのアンジェで教育を受け、1769年から1772年までグランドツアーに出た[2]

軍歴では1769年にエンサイン英語版として第12歩兵連隊英語版に入隊、1770年に第1国王近衛竜騎兵連隊英語版の大尉に転じ、近衛歩兵第1連隊に転じた後、1775年に中佐に昇進した[2]アメリカ独立戦争では1779年から1780年までヘンリー・クリントン将軍の副官を務め、1780年に大佐に昇進した[1]。1782年に第75歩兵連隊英語版隊長になり、1785年に第17軽竜騎兵連隊英語版隊長に転じ(1795年まで在任)、1787年に少将に昇進した[2]

ウェストミンスター選挙区における1780年の選挙を描いた風刺漫画。中央の人物がチャールズ・ジェームズ・フォックス、中央右の人物がトマス・ペラム=クリントンである。

政界では1774年イギリス総選挙ノース卿の手配によりウェストミンスター選挙区英語版から出馬したことが始まりとなった[2]。ノース卿の目的はジョン・ウィルクスの支持者に勝つことにあり、国王ジョージ3世も受けたため、政府は選挙活動およびその経費を担当した[2]1780年イギリス総選挙でも再選を目指したが、チャールズ・ジェームズ・フォックスの人気もあり落選した[2]。このとき、父の第2代ニューカッスル公爵は政府の過失を追及してトマスの軍階昇進を要求、トマスは同年に大佐に昇進することとなった[2]

1781年末に弟ジョンが死去すると、トマスはその後任としてイースト・レットフォード選挙区英語版の補選に当選した[2]。1782年より、ノース内閣を支持しなくなり、同年から1783年まで暫定講和条約や東インド法案に投票しないなど議会活動をほとんど行わなかった[2]。1783年12月以降は父とともに小ピットを支持したが[2]、トマスの結婚にあたって父子の関係が悪化、1790年5月には「議会から離れることを望むのならばそれに従おう」と父から脅された(ただし、同年の総選挙では再選している)[3]。その後は資金に困るようになり、1791年5月には小ピットにジャージー総督の官職を求めたが失敗している[3]

1794年2月22日に父が死去すると、ニューカッスル=アンダー=ライン公爵の爵位を継承、同年から1795年までノッティンガムシャー統監英語版を務めた[1]。1795年5月17日に死去、ウィンザーで埋葬された[1]。息子ヘンリーが爵位を継承した[1]

家族

1782年5月2日[2]、アンナ・マリア・スタンホープ(Anna Maria Stanhope、1760年3月31日 – 1834年10月18日、第2代ハリントン伯爵ウィリアム・スタンホープの娘)と結婚[1]、2男2女をもうけた[4]

出典

  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 25–26.
  2. ^ a b c d e f g h i j k Christie, I. R. (1964). "PELHAM CLINTON, Lord Thomas (1752-95).". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年9月1日閲覧
  3. ^ a b Symonds, P. A. (1986). "PELHAM CLINTON, Thomas, Earl of Lincoln (1752-1795).". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年9月1日閲覧
  4. ^ "Newcastle-under-Lyne, Duke of (GB, 1756 - 1988)". Cracroft's Peerage (英語). 23 January 2003. 2019年9月1日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
パーシー伯爵
サー・ロバート・バーナード準男爵
庶民院議員(ウェストミンスター選挙区英語版選出)
1774年 – 1780年
同職:パーシー伯爵 1774年 – 1776年
ピーターシャム子爵英語版 1776年 – 1779年
モルデン子爵英語版 1779年 – 1780年
次代
サー・ジョージ・ブリッジス・ロドニー
チャールズ・ジェームズ・フォックス
先代
ジョン・ペラム=クリントン
ウォートン・アムコッツ
庶民院議員(イースト・レットフォード選挙区英語版選出)
1781年 – 1794年
同職:ウォートン・アムコッツ 1781年 – 1790年
サー・ジョン・インギルビー準男爵英語版 1790年 – 1794年
次代
サー・ジョン・インギルビー準男爵英語版
ウィリアム・ヘンリー・クリントン英語版
軍職
先代
ジョージ・モリソン
第75歩兵連隊英語版隊長
1782年 – 1783年
連隊解散
先代
トマス・ゲイジ
第17軽竜騎兵連隊英語版隊長
1785年 – 1795年
次代
オリヴァー・ド・ランシー英語版
名誉職
先代
ニューカッスル=アンダー=ライン公爵
ノッティンガムシャー統監英語版
1794年 – 1795年
次代
ポートランド公爵
グレートブリテンの爵位
先代
ヘンリー・ペラム=クリントン
ニューカッスル=アンダー=ライン公爵
1794年 – 1795年
次代
ヘンリー・ペラム=クリントン