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伯爵家の祖ジェイムズ・バーティ<small>(1653-1699)</small>は、リンジー伯爵家当主の後妻の長子として生まれた。{{#tag:ref|初代アビンドン伯爵ジェイムズは、リンジー伯爵家当主{{仮リンク|モンタギュー・バーティ_(第2代リンジー伯爵)|label=第2代リンジー伯爵モンタギュー・バーティ|en|Montagu_Bertie,_2nd_Earl_of_Lindsey}}と後妻である第4代ノリス女男爵ブリジット・レイとの間に生まれた長男である。したがって、父の前妻の子である{{仮リンク|ロバート・バーティ_(第3代リンジー伯爵)|label=第3代リンジー伯爵ロバート・バーティ|en|Robert_Bertie,_3rd_Earl_of_Lindsey}}は初代伯の異母兄にあたる。<br>そのため、初代伯はリンジー伯爵を継ぐことはできなかったが、母ブリジットから[[ノリス男爵]]を継承することができた。|group="註釈"}}<ref name=":0" />彼は[[1675年]]に[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]より議会招集を受けて、母方由来の爵位である'''[[ノリス男爵]]'''<small>(Baron Norreys/Norris of Rycote)</small>として貴族院議員となった。<ref name=":1">{{Cite book|title=Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc|url=http://archive.org/details/debrettspeeraget00unse|publisher=London, Dean|date=1921|others=Wellesley College Library}}</ref>彼は{{仮リンク|オックスフォードシャー統監|en|Lord Lieutenant of Oxfordshire}}在職中の[[1682年]]に[[イングランド貴族]]として'''アビンドン伯爵'''<small>(Earl of Abingdon)</small>に陛爵した。<ref name=":0" /><ref name=":1" />初代伯ののちは長男のモンタギューが爵位を継承した。 |
伯爵家の祖ジェイムズ・バーティ<small>(1653-1699)</small>は、リンジー伯爵家当主の後妻の長子として生まれた。{{#tag:ref|初代アビンドン伯爵ジェイムズは、リンジー伯爵家当主{{仮リンク|モンタギュー・バーティ_(第2代リンジー伯爵)|label=第2代リンジー伯爵モンタギュー・バーティ|en|Montagu_Bertie,_2nd_Earl_of_Lindsey}}と後妻である第4代ノリス女男爵ブリジット・レイとの間に生まれた長男である。したがって、父の前妻の子である{{仮リンク|ロバート・バーティ_(第3代リンジー伯爵)|label=第3代リンジー伯爵ロバート・バーティ|en|Robert_Bertie,_3rd_Earl_of_Lindsey}}は初代伯の異母兄にあたる。<br>そのため、初代伯はリンジー伯爵を継ぐことはできなかったが、母ブリジットから[[ノリス男爵]]を継承することができた。|group="註釈"}}<ref name=":0" />彼は[[1675年]]に[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]より議会招集を受けて、母方由来の爵位である'''[[ノリス男爵]]'''<small>(Baron Norreys/Norris of Rycote)</small>として貴族院議員となった。<ref name=":1">{{Cite book|title=Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc|url=http://archive.org/details/debrettspeeraget00unse|publisher=London, Dean|date=1921|others=Wellesley College Library}}</ref>彼は{{仮リンク|オックスフォードシャー統監|en|Lord Lieutenant of Oxfordshire}}在職中の[[1682年]]に[[イングランド貴族]]として'''アビンドン伯爵'''<small>(Earl of Abingdon)</small>に陛爵した。<ref name=":0" /><ref name=":1" />初代伯ののちは長男のモンタギューが爵位を継承した。 |
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2代伯[[モンタギュー・ヴェナブルズ=バーティー (第2代アビンドン伯爵)|モンタギュー]]<small>(1673-1743)</small>は、アン女王の治世下で父同様にオックスフォードシャー統監に就任したほか、{{仮リンク|ロンドン塔代|en|Constable of the Tower}}や{{仮リンク|タワーハムレット統監|en|Lord Lieutenant of the Tower Hamlets}}を歴任した。<ref name="hop2">{{HistoryofParliament|1690|url= |
2代伯[[モンタギュー・ヴェナブルズ=バーティー (第2代アビンドン伯爵)|モンタギュー]]<small>(1673-1743)</small>は、アン女王の治世下で父同様にオックスフォードシャー統監に就任したほか、{{仮リンク|ロンドン塔代|en|Constable of the Tower}}や{{仮リンク|タワーハムレット統監|en|Lord Lieutenant of the Tower Hamlets}}を歴任した。<ref name="hop2">{{HistoryofParliament|1690|url=https://www.historyofparliamentonline.org/volume/1690-1715/member/venables-bertie-montagu-1673-1743|title=VENABLES-BERTIE (formerly BERTIE), Montagu, Lord Norreys (1673-1743), of Rycote, Oxon.|last=Watson|first=Paula|last2=Gauci|first2=Perry|accessdate=29 July 2019}}</ref>また、彼は勅許を得てその姓に「ヴェナブルズ<small>(Venables)</small>」を加えている。<ref name=":0" /><ref name="hop1">{{HistoryofParliament|1660|first1=Leonard|last1=Naylor|first2=Geoffrey|last2=Jaggar|title=VENABLES-BERTIE (formerly BERTIE), Montagu, Lord Norreys of Rycote (1673-1743).|url=https://www.historyofparliamentonline.org/volume/1660-1690/member/venables-bertie-montagu-1673-1743}}</ref>彼が1743年に亡くなると、爵位は弟の息子ウィラビーが承継して、現在に至るまで3代伯[[ウィラビー・バーティー (第3代アビンドン伯爵)|ウィラビー]]の男系子孫によって伯爵位は継承されている。<ref name=":0" /> |
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そのひ孫にあたる6代伯モンタギュー<small>(1808-1884)</small>は襲爵前に[[オックスフォード]]及び[[アビンドン=オン=テムズ|アビンドン選挙区]]選出の[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員を務めた。<ref name=":0" />また彼の代にドーチェスターの邸宅を手放したという。<ref name=":2">{{cite book|editor-first=Mary D|editor-last=Lobel|chapter=Parishes: Dorchester|title=A History of the County of Oxford|volume=Volume 7, Dorchester and Thame Hundreds|publisher=Victoria County History|location=London|year=1962|pages=39–64|url=http://www.british-history.ac.uk/vch/oxon/vol7/pp39-64}}</ref> |
そのひ孫にあたる6代伯モンタギュー<small>(1808-1884)</small>は襲爵前に[[オックスフォード]]及び[[アビンドン=オン=テムズ|アビンドン選挙区]]選出の[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員を務めた。<ref name=":0" />また彼の代にドーチェスターの邸宅を手放したという。<ref name=":2">{{cite book|editor-first=Mary D|editor-last=Lobel|chapter=Parishes: Dorchester|title=A History of the County of Oxford|volume=Volume 7, Dorchester and Thame Hundreds|publisher=Victoria County History|location=London|year=1962|pages=39–64|url=http://www.british-history.ac.uk/vch/oxon/vol7/pp39-64}}</ref> |
2020年6月2日 (火) 12:04時点における版
アビンドン伯爵 (兼 リンジー伯爵 ) | |
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Arms:Argent three Battering Rams fesswise in pale proper beaded armed and garnished Azure.Crest:A Saracen's Head affrontée couped at the shoulders proper ducally crowned Or and charged on the chest with a Fret Azure.Supporters:Dexter: a Friar habited in russet-grey with a Crutch and Rosary all proper and charged on the breast with a Fret Azure; Sinister: a Savage proper wreathed about the temples and waist with Oak Leaves Vert and likewise charged on the breast with a Fret Azure
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創設時期 | 1682年11月30日 |
創設者 | チャールズ2世 |
貴族 | イングランド貴族 |
初代 | 初代伯ジェイムズ・バーティ |
現所有者 | 9代伯リチャード・バーティ |
推定相続人 | ノリス男爵ヘンリー・バーティ |
付随称号 | ノリス男爵 |
現況 | 存続 |
邸宅 | ギルミンズクロフトハウス |
旧邸宅 | ワイタム・アビー(Wytham Abbey) スパニッシュプレイスマンション(Spanish Place Mansion) |
モットー | Loyalteé me oblige (Loyalty binds me) |
1938年よりリンジー伯爵を兼ねる |
アビンドン伯爵(英:Earl of Abingdon)は、イギリスの伯爵、貴族。イングランド貴族爵位。
リンジー伯爵家の分流である第5代ノリス男爵ジェイムズ・バーティを始祖として、現在に至るまでバーティ家が保持する。1938年以降はリンジー伯爵(Earl of Lindsey)とは継承者を一にする。[註釈 1][1][2]
歴史
伯爵家の祖ジェイムズ・バーティ(1653-1699)は、リンジー伯爵家当主の後妻の長子として生まれた。[註釈 2][2]彼は1675年に貴族院より議会招集を受けて、母方由来の爵位であるノリス男爵(Baron Norreys/Norris of Rycote)として貴族院議員となった。[3]彼はオックスフォードシャー統監在職中の1682年にイングランド貴族としてアビンドン伯爵(Earl of Abingdon)に陛爵した。[2][3]初代伯ののちは長男のモンタギューが爵位を継承した。
2代伯モンタギュー(1673-1743)は、アン女王の治世下で父同様にオックスフォードシャー統監に就任したほか、ロンドン塔代やタワーハムレット統監を歴任した。[4]また、彼は勅許を得てその姓に「ヴェナブルズ(Venables)」を加えている。[2][5]彼が1743年に亡くなると、爵位は弟の息子ウィラビーが承継して、現在に至るまで3代伯ウィラビーの男系子孫によって伯爵位は継承されている。[2]
そのひ孫にあたる6代伯モンタギュー(1808-1884)は襲爵前にオックスフォード及びアビンドン選挙区選出の庶民院議員を務めた。[2]また彼の代にドーチェスターの邸宅を手放したという。[6]
8代伯モンタギュー(1887-1963)は、1951年に本家筋にあたる第12代リンジー伯爵モンタギュー・バーティの死去によってリンジー伯爵(Earl of Lindsey)を承継していたことが確認されたため、以降の伯爵家当主はリンジー伯爵を兼ねることとなった。[2][7]
その後を継いだ9代伯リチャード(1931-)がアビンドン伯爵及びリンジー伯爵家現当主である。
一族の邸宅は、イーストエアシャー州マホリン近郊のギルミンズクロフト・ハウス(Gilmilnscroft House)。[2]
かつての邸宅には、オックスフォード州ワイタムに位置したワイタム・アビー(Wytham Abbey)やタウンハウスたるスパニッシュプレイスマンション(Spanish Place Mansion)のほか、同州ドーチェスターにも邸宅を有していた。[3][6]
現当主の保有爵位
現当主である第9代アビンドン伯爵リチャード・ヘンリー・ルパート・バーティは、以下の爵位を有する。[註釈 3][7]
- 第9代アビンドン伯爵(9th Earl of Abingdon)
(1682年11月30日の勅許状によるイングランド貴族爵位) - 第14代リンジー伯爵(14th Earl of Lindsey)
(1626年11月22日の勅許状によるイングランド貴族爵位) - 第13代ライコートのノリス男爵(13th Baron Norreys/Norris, of Rycote)
(1572年5月8日の議会招集によるイングランド貴族爵位)
アビンドン伯爵(1682年)
- 初代アビンドン伯爵(第5代ノリス男爵)ジェイムズ・バーティ(1653–1699)
- 第2代アビンドン伯爵モンタギュー・ヴェナブルズ=バーティ (1673–1743)
- 第3代アビンドン伯爵ウィラビー・バーティ (1692-1760)
- 第4代アビンドン伯爵ウィロビー・バーティー (1740–1799)
- 第5代アビンドン伯爵モンタギュー・バーティ(1784–1854)
- 第6代アビンドン伯爵モンタギュー・バーティ(1808–1884)
- 第7代アビンドン伯爵モンタギュー・アーサー・バーティ (1836–1928)
- 第8代アビンドン伯爵(第13代リンジー伯爵)モンタギュー・ヘンリー・エドマンド・タウンリー=バーティ(1887–1963)(1938年にリンジー伯爵継承)
- 第9代アビンドン伯爵(第14代リンジー伯爵)リチャード・ヘンリー・ルパート・バーティ (1931‐ )
法定推定相続人は、現当主の息子であるノリス男爵(儀礼称号)ヘンリー・マーク・ウィロビー・バーティ(1958-)。
以前のノリス男爵家当主は、ノリス男爵を参照のこと。
脚注
註釈
- ^ 1938年はあくまで法令上の解釈であって、実際に継承したことが認められたのは1951年(デ・ファクト)。
- ^ 初代アビンドン伯爵ジェイムズは、リンジー伯爵家当主第2代リンジー伯爵モンタギュー・バーティと後妻である第4代ノリス女男爵ブリジット・レイとの間に生まれた長男である。したがって、父の前妻の子である第3代リンジー伯爵ロバート・バーティは初代伯の異母兄にあたる。
そのため、初代伯はリンジー伯爵を継ぐことはできなかったが、母ブリジットからノリス男爵を継承することができた。 - ^ 叙爵順からいえば、本来はリンジー伯爵位を上位に記載すべきであるが、本記事はアビンドン伯爵の記事であるため、同爵位を優先表記した。
出典
- ^ “Norris, Baron (E, 1572)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Abingdon, Earl of (E, 1682)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月14日閲覧。
- ^ a b c Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921)
- ^ Watson, Paula; Gauci, Perry (2002). "VENABLES-BERTIE (formerly BERTIE), Montagu, Lord Norreys (1673-1743), of Rycote, Oxon.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月29日閲覧。
- ^ Naylor, Leonard; Jaggar, Geoffrey (1983). "VENABLES-BERTIE (formerly BERTIE), Montagu, Lord Norreys of Rycote (1673-1743).". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust.
- ^ a b Lobel, Mary D, ed (1962). “Parishes: Dorchester”. A History of the County of Oxford. Volume 7, Dorchester and Thame Hundreds. London: Victoria County History. pp. 39–64
- ^ a b “Lindsey, Earl of (E, 1626)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月14日閲覧。
関連項目
- リンジー伯爵―本家筋だったが、1938年に伯爵家が継承。
- ノリス男爵―初代伯が継承した古いイングランド貴族爵位。
- ウィロビー・ド・アーズビー男爵―リンジー伯爵の従属爵位だったが、現在は分離。
- テイムのバーティ子爵―親族。ただし、1954年に絶家。