「シーフォード男爵」の版間の差分
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{{仮リンク|チャールズ・エリス_(初代シーフォード男爵)|en|Charles_Ellis,_1st_Baron_Seaford|label=チャールズ・エリス}}<small>(1771-1845)</small>は[[ジャマイカ]]の[[砂糖の歴史|砂糖プランテーション]]を経営する一族に生まれた。彼は渡英ののち[[オックスフォード大学]]に進学、在英不在農園主となった<ref name=":0">{{Cite web|title=ELLIS, Charles Rose (1771-1845), of Claremont, Esher, Surr. {{!}} History of Parliament Online|url=https://www.historyofparliamentonline.org/volume/1790-1820/member/ellis-charles-rose-1771-1845|website=www.historyofparliamentonline.org|accessdate=2020-05-25}}</ref><ref>{{Cite book|title=Montpelier|date=|year=1998|publisher=Kingston: University of the West Indies Press|last=Higman|author=Barry Higman|first=Barry|page=24}}</ref>。エリスは1793年より[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員を務めたのち、[[1826年]][[7月1日]]に'''サセックス州シーフォードのシーフォード男爵'''<small>(Baron Seaford, of Seaford in the County of Sussex)</small>に叙されて貴族院に転じた<ref name=":0" /><ref name=":1">{{Cite book|title=Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc|url=http://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/488|publisher=London, Dean|date=1921|others=Wellesley College Library|year=|pages=488-489}}</ref><ref name=":2">{{Cite web|title=Seaford, Baron (UK, 1826)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/seaford1826.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-05-25}}</ref><ref>{{cite DNB|wstitle=Ellis,_Charles_Rose|first=Henry|last=Stephens|authorlink=Henry Morse Stephens|volume=17|page=274}}</ref>。 |
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その長男チャールズ・オーガスタス<small>(1799-1868)</small>は[[1803年]]に母方の曽祖父たる{{仮リンク|フレデリック・ハーヴィー_(第4代ブリストル伯爵)|en|Frederick_Hervey,_4th_Earl_of_Bristol|label=第4代ブリストル伯爵}}から古い[[イングランド貴族]]爵位「'''[[ハワード・ド・ウォルデン男爵]]'''」を継承した{{#tag:ref|1803年に第4代ブリストル伯爵が死去した際、彼には次男とその孫息子が存命であったにもかかわらず、長男の女系の孫息子にあたるチャールズに男爵位が帰属する形となった。<br>なお、[[ブリストル侯爵|ブリストル伯爵]]は次男が相続している。|group="註釈"}}<ref name=":1" /><ref name=":3">{{Cite web|title=Howard de Walden, Baron (E, 1597)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/howardw1597.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-05-25}}</ref><ref>{{cite DNB|wstitle=Ellis,_Charles_Augustus|first=Henry|last=Stephens|authorlink=Henry Morse Stephens|volume=17|page=273-274}}</ref>。彼は1845年にも父からシーフォード男爵を相続したため、以降は5代男爵まで両男爵位は継承権者を一にする<ref name=":3" />。また、チャールズは[[ポートランド伯爵|ポートランド公爵家]]令嬢ルーシーと結婚したため、結果的に[[ロンドン]]の一等地[[メリルボーン]]の地所が男爵家にもたらされることとなった<ref name=":3" /><ref>{{Cite web|title=ロンドンの一等地を握る英国貴族4つの名家 - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェスト|url=http://www.news-digest.co.uk/news/features/2766-four-distinguished-families-in-london.html|website=www.news-digest.co.uk|accessdate=2020-05-25}}</ref>。 |
その長男チャールズ・オーガスタス<small>(1799-1868)</small>は[[1803年]]に母方の曽祖父たる{{仮リンク|フレデリック・ハーヴィー_(第4代ブリストル伯爵)|en|Frederick_Hervey,_4th_Earl_of_Bristol|label=第4代ブリストル伯爵}}から古い[[イングランド貴族]]爵位「'''[[ハワード・ド・ウォルデン男爵]]'''」を継承した{{#tag:ref|1803年に第4代ブリストル伯爵が死去した際、彼には次男とその孫息子が存命であったにもかかわらず、長男の女系の孫息子にあたるチャールズに男爵位が帰属する形となった。<br>なお、[[ブリストル侯爵|ブリストル伯爵]]は次男が相続している。|group="註釈"}}<ref name=":1" /><ref name=":3">{{Cite web|title=Howard de Walden, Baron (E, 1597)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/howardw1597.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-05-25}}</ref><ref>{{cite DNB|wstitle=Ellis,_Charles_Augustus|first=Henry|last=Stephens|authorlink=Henry Morse Stephens|volume=17|page=273-274}}</ref>。彼は1845年にも父からシーフォード男爵を相続したため、以降は5代男爵まで両男爵位は継承権者を一にする<ref name=":3" />。また、チャールズは[[ポートランド伯爵|ポートランド公爵家]]令嬢ルーシーと結婚したため、結果的に[[ロンドン]]の一等地[[メリルボーン]]の地所が男爵家にもたらされることとなった<ref name=":3" /><ref>{{Cite web|title=ロンドンの一等地を握る英国貴族4つの名家 - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェスト|url=http://www.news-digest.co.uk/news/features/2766-four-distinguished-families-in-london.html|website=www.news-digest.co.uk|accessdate=2020-05-25}}</ref>。 |
2020年6月2日 (火) 12:07時点における版
シーフォード男爵 | |
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Arms:Erminois a Cross Sable charged with five Crescents Argent Crest:On a Mount Vert a Goat's Head erased Argent Supporters:On either side a Lion Argent charged on the neck with three Trefoils slipped Vert within a Collar Gules
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創設時期 | 1826年7月1日 |
創設者 | ジョージ4世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代男爵チャールズ・エリス |
現所有者 | 6代男爵コリン・エリス |
付随称号 | なし |
現況 | 存続 |
モットー | Non Quo Sed Quomodo (Not by whom, but in what manner) |
シーフォード男爵(英: Baron Seaford)は、イギリスの男爵、貴族。連合王国貴族爵位。
2020年現在、シーフォード男爵エリス家は男爵以外の爵位を持たない。
歴史
チャールズ・エリス(1771-1845)はジャマイカの砂糖プランテーションを経営する一族に生まれた。彼は渡英ののちオックスフォード大学に進学、在英不在農園主となった[1][2]。エリスは1793年より庶民院議員を務めたのち、1826年7月1日にサセックス州シーフォードのシーフォード男爵(Baron Seaford, of Seaford in the County of Sussex)に叙されて貴族院に転じた[1][3][4][5]。
その長男チャールズ・オーガスタス(1799-1868)は1803年に母方の曽祖父たる第4代ブリストル伯爵から古いイングランド貴族爵位「ハワード・ド・ウォルデン男爵」を継承した[註釈 1][3][6][7]。彼は1845年にも父からシーフォード男爵を相続したため、以降は5代男爵まで両男爵位は継承権者を一にする[6]。また、チャールズはポートランド公爵家令嬢ルーシーと結婚したため、結果的にロンドンの一等地メリルボーンの地所が男爵家にもたらされることとなった[6][8]。
その子である3代男爵フレデリック(1830-1899)の代に、男爵家は「英国随一の裕福な貴族」と評された[9]。フレデリックののちは、その息子トマスが爵位を襲った[6]。
4代男爵トマス(1880-1946)は1917年に勅許を得て、その家名に祖母の姓「スコット(Scott)」を加えている[10]。
5代男爵ジョン(1912-1999)が男子なく死去すると、シーフォード男爵は2代男爵の次男の子孫に遡って、親族のコリンが継承した[註釈 2][4][6]。他方、ハワード・ド・ウォルデン男爵はジョンの4人の娘の間で停止したが、2004年に長女メアリー・ヘイゼル(1935-)に帰属する形で解消された[6]。
その6代男爵コリン(1946-)が2020年現在の男爵家現当主である。
シーフォード男爵(1826年)
- 初代シーフォード男爵チャールズ・ローズ・エリス (1771–1845)
- 第2代シーフォード男爵チャールズ・オーガスタス・エリス (1799–1868) (1803年以降、ハワード・ド・ウォルデン男爵を継承)
- 第3代シーフォード男爵フレデリック・ジョージ・エリス (1830–1899)
- 第4代シーフォード男爵トマス・イヴリン・スコット=エリス (1880–1946)
- 第5代シーフォード男爵ジョン・オズマエル・スコット=エリス (1912–1999) (1999年以降、ハワード・ド・ウォルデン男爵分離)
- 第6代シーフォード男爵コリン・ハンフリー・フェルトン・エリス (1946-)
脚注
註釈
- ^ 1803年に第4代ブリストル伯爵が死去した際、彼には次男とその孫息子が存命であったにもかかわらず、長男の女系の孫息子にあたるチャールズに男爵位が帰属する形となった。
なお、ブリストル伯爵は次男が相続している。 - ^ 6代男爵コリンは、2代男爵の次男ウィリアムの曾孫にあたる。
出典
- ^ a b “ELLIS, Charles Rose (1771-1845), of Claremont, Esher, Surr. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年5月25日閲覧。
- ^ Higman, Barry (1998). Montpelier. Kingston: University of the West Indies Press. p. 24
- ^ a b Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). pp. 488-489
- ^ a b “Seaford, Baron (UK, 1826)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月25日閲覧。
- ^ Stephens, Henry (1889). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 17. London: Smith, Elder & Co. p. 274.
- ^ a b c d e f “Howard de Walden, Baron (E, 1597)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月25日閲覧。
- ^ Stephens, Henry (1889). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 17. London: Smith, Elder & Co. p. 273-274.
- ^ “ロンドンの一等地を握る英国貴族4つの名家 - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェスト”. www.news-digest.co.uk. 2020年5月25日閲覧。
- ^ “Wealthiest Peer of England”. Denver Evening Post. (23 August 1899).
- ^ "No. 30114". The London Gazette (英語). 5 June 1917. p. 5515.